アヴェスターにはこう書いている?
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王前 『中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』

フーコーにとっては、新自由主義あるいは経済自由主義は一種の政治手段であり、単なる経済思想ではない。というのも、生命や人口などを管理すると同時に国家の役割を制限することもその意図だったからである。要するに、フーコーは統治性の角度から新自由主義を研究したのであり、彼の新自由主義とハイエクへの興味は、新自由主義の生命を管理する手段を政治哲学の問題として思考したところにあったのである。(p.118-119)


新自由主義が経済思想ではなく政治手段であるという指摘は妥当である。



 中国側の質問者の質問を見ていると、国家の主権を常に優先的に考えるのが特徴である。それは何といっても近代以降の被植民のトラウマがあるからであろう。このことが、ハーバーマスと中国側が、主権と人権との関係をめぐる見解において袂を分かった一因と考えられる。ハーバーマスの新しい合理的な国際関係を構築する誠意を筆者は少しも疑わないが、中国側の学者は基本的に古典的な国家主権の概念に沿って問題を思考しているようなので、この両者の間に一致点が見出されるには、まだ時間がかかりそうだ。(p.159)


中国の学者も一般人も、基本的にこの傾向が強くみられる。それを批判的にとらえ返す思考の訓練がなされていない(むしろ積極的に思考停止が推奨されている?)ため、国家主権やナショナルアイデンティティにかかわる問題については思考の柔軟性に欠けることが多い。この点は今後の中国の教育やメディアの在り方などで改善してほしいところである。



 最初のサルトル・ブームから今日の世界的な学者や思想家の訪中まで、その多種多様な知的交流はこの転換期にある国の知的世界の全容を大きく書き換えている。マルキシズムは相変わらず正式のイデオロギーという不動の地位を占めているが、昔のようにマルクスの言葉を引用しながら論文を書くというスタイルはもうほとんど消えている。研究の範疇にとどまっていれば、全体主義を生涯の批判のターゲットにしたカール・ポパーであれ、ナチスの「桂冠法学者」だったカール・シュミットであれ、あるいはその知的営為が今の中国にとっては少し時期尚早と思われるデリダの思想であれ、中国政府の公式的立場とは大きく異なる思想家の紹介や研究でも、基本的に自由にできるようになっている。これは30年前の「読書に禁止エリアなし」という文章が書かれた時代を思い出すと、文字どおり隔世の感がある。そういう意味では、この30年は経済が大きく発展した成長期であるだけでなく、文化や思想の面でも少しずつ安定した発展段階に入ったと見ることができよう。(p.221-222)


最近の中国の思想研究を取り巻く状況としては、研究はかなり自由にできるようになってきているということがわかる。

ただ、やはり「研究の範疇にとどまって」いる限りという条件が付されている点では、言論のみならず思想の自由も制限されている。この制限が上の引用文で指摘されているような事態の背景になっていると思われる。改善が望まれる。

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