アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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プラトン 『国家 (上)』

端正で自足することを知る人間でありさえすれば、老年もまたそれほど苦になるものではない。が、もしその逆であれば、そういう人間にとっては、ソクラテス、老年であろうが青春であろうが、いずれにしろ、つらいものとなるのだ。(p.22)


こうした道徳論は古代の哲学の特徴の一つだろう。



「そしてすぐれた裁判官でもあるのだよ」とぼくは言った、「君の質問の眼目であったところのね。なぜなら、すぐれた魂をもつ人は、すぐれた人間なのだから。これに対して、あの腕の立つ猜疑心のつよい人、自分自身が多くの不正をはたらいてきて、何でもやってのける賢い人間のつもりでいる人は、たしかに自分と似た者たちを相手にするときは、自分の内にある範型に照らして抜け目なく警戒するので、有能に見えるだろう。ところが、ひとたび善良で自分より年長の人たちと接触するときが来ると、見当違いの疑いをかけ、健全な品性というものがわからないので、こんどは逆に愚か者に見えることになる。なにぶんにも自分では、そういう品性の範型を持ち合わせていないのでね。ただ、すぐれた善い人間よりも劣悪な人間に出会う機会のほうが多いため、自分にも他人にも、どちらかといえば無知であるよりも賢い男だと思われているだけなのだ」(p.238)


善き生と幸福の問題などに関する考察は近代の哲学では忘れ去られているが、古代の思想をそのまま鵜呑みにすることはできないが、現在でも何か議論に値する問題を提起しているようにも思われる。



いったい、言葉で語られるとおりの事柄が、そのまま行為のうちに実現されるということは、可能であろうか?むしろ、実践は言論よりも真理に触れることが少ないというのが、本来のあり方ではないだろうか?(p.403)


言葉で語られるものと行為との関係については、河本英夫のオートポイエーシスから学ぶことが多くある。彼の立場はプラトンとは大きく異なっている。

ちなみに、私は最近、マイケル・サンデルにも関心を持っているが、彼もアリストテレスの目的論的な論法に着目している。近代の思想が限界に直面する中で古代の思想の中から収穫する思想家が現れているようであり、興味をひかれる。

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