アヴェスターにはこう書いている?
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河本英夫、佐藤康邦 編 『叢書 現象学と解釈学 感覚 [世界の境界線]』
谷徹「感覚と記号の形而上学」より

 さて、ここからが「感覚」の問題である。「直観」における「『記号』をフッサールは「感覚(Empfindung)」という言葉でも捉えている。たとえば、「私は、等しくない角を感覚しているが、しかし、等しいと判断している」(Hua.,ⅩⅩⅠ,S.282)のように。初期フッサールにとっては、これはある意味で必然的なことだった。というのも、フッサールの学んだウィーンには、いわゆる「感覚要素論」を掲げるマッハがおり、フッサールはマッハ(や経験論の伝統)に関心を寄せていたからである。「感覚」こそが一切の「学問」の基礎にあるという考え方は、当時の(広義での)「現象学的」な考え方であった。そして、フッサール自身の「現象学」という呼び名さえも、じつはこの(当時のウィーンを中心にしてマッハらによって一般名詞的に使われていた)広義の「現象学」という言葉に由来している。(p.128-129)


フッサールの現象学にまつわる思想史的な背景として興味深い。



一ノ瀬正樹「音楽化された認識論に向けて Towards Epistemology of Musicalized」より

 あなたは知識の普遍性についていう。だが、知識が普遍的に成立している、というそうした判断そのものが、間違いなく、その瞬間に一回的に、つまり即興的に生じている、という側面をもっている。……(中略)……。その意味で、知識や認識はそれをなす人の即興的「作品」であると、そういうべきだろう。(p.171)


ここでは即興性という時間的な側面からの叙述になっているが、その作品の作者において成立しているという点では「普遍的な人間」ではなく、ある具体的な個人のものでもあるという点にも注目しているあたりは、例えば、上野千鶴子などが「当事者性」ということを強調する場合や、マイケル・サンデルがリベラリズムにおける自己を「負荷なき自己」であるとして批判しているあたりと共通する思想的な流れのようなものが感じられ、興味深い。

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