アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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杉作J太郎 『恋と股間』

「オレはひとりで生きていける」なんて粋がって言ってるヤツがいますが、じゃあそれ、おまえが六ヵ月とか一歳のときに聞きたかったわ、っていうことですよ。そんなセリフ、たまたまそいつが調子がいいから言ってるだけです。人が調子がいいときに立てたプランなんて長続きするわけがありませんっていうの。(p.18-19)


リバタリアニズムの思想などの大部分にこの批判は妥当するように思われる。



 男と女は、わかり合えなくていい。理解もしなくていい。共感も必要ない。
 でも、思いやろう。お互いに思いやろう。
わかんなくても思いやれるからすばらしいんじゃないですか。(p.40)


本書では男と女は別の生き物であるとする前提から出発している。多少の違和感はあるが、ある意味、それくらい大胆に割り切ったところから関係を構築していこうとする姿勢を取る方が良好な関係を築くことができるのかもしれない。そうした実践的なスタンスの一例としては本書は参考になるものがあった。

ただ、書かれた言葉に対して批判的に取り上げるとすれば、「思いやる」ことが適切な行為として成立するためには、相手に対するある程度の理解や共感は不可欠だとは思う。



 実際の場面ではね、もとから自分が持っていた「女性への理解」「男性への理解」というものが、好きな人の前ではいとも簡単にうちくだかれるのが恋愛ですよ。
 だから、「自分は異性への理解能力も共感能力も高い人間なのだ」と思い込んでいる人間ほど、恋愛の場面では足もとをすくわれます。
 自分はこの人のことが好きなんだな……と思ったらまず、自分が知らず知らず思い込んでいた「異性ってこんなもん」という「これまでの理解」は捨ててしまって、謙虚な気持ちで、相手に向き合いましょうよ。
 「自分は、この人にとってどうあればいいのかな?」という気持ちだけを羅針盤にして、「他者」という大海原を、ゆっくりと進んでいく
こと。(p.42-43)


ステレオタイプや過去の経験にとらわれることなく、個人としての相手にできるだけ直に向き合うという姿勢は重要である。本書を読んで思ったのは、一般的な人間関係においても重要な姿勢であり、この姿勢が的確にとれていればいるほど、相手の人との良好な関係を作りやすいのではないか、ということである。



 ふられるとわかっていても、それまで思う存分、気がすむまで相手を好きでいる。ふられるとわかっていても、ヘコたれずに、その人にふさわしい男になろうと努力する。一年後、やっぱりふられたとしても、これまでずっとその人に対して一生懸命であれたことで、きっとその男はひとかどの人物になれていますよ。(p.54)


本書の考え方のエッセンスが書かれている箇所の一つ。好きになった相手にふさわしい男になるよう努力することで自分の器を広げていくことが恋愛の意味であるとでもいうべき考え方。自分を高めていくためにすることだという考え方は、私にとっては非常にしっくりくる。

世の中に流布している恋愛に関する俗論には、この観点が欠けているものが多いように思われる。例えば、異性に好かれるため努力するということ自体はいろいろな雑誌などでも見られるかもしれないが、服装などの見栄えをよくしたり、センスの良い道具を持ったりすることで好感度を上げようとするような商売する側の人間の思惑が裏に隠された話も多く、そこには内面的ないし関係論的な成長の観点は欠如しがちであると思われる。



 童貞をいつ捨てるか。童貞は何歳で失うものなのか。
 これは、男にとっては大問題であります。
 ……(中略)……。
 しかし、きみたちは「早熟な恋の行方を描いたフランス映画」に出演している少年少女ではありません。主人公でもなければ、カメラが追っかけているわけでもない。
 映画でもあるまいに、おおっぴらにやってはいけないんです。
 なぜならば、プロ野球のチームでいえば、きみたちはまだ二軍選手なんですから!
 二軍時代からあんまりおおっぴらにやってると、まわりだっていい感じはしないでしょ?一生懸命ボールを追いかけることも知らないで、スポーツカーは乗り回すわ、セックスはしまくるわなんていった日には監督も気分が悪くて、もうこいつは一軍はないわと、見切りをつけられて当然です。
 だから、「童貞はいつ捨てるべきなんだろう?」という疑問への答えは、「自分はもう二軍じゃない。一軍選手になったんだ」というゆるがない確信をみずから持てるようになってから、となるでしょう。(p.72-74)


中高生を読者として想定している本シリーズならではの問いと答えである。私見もほぼ同様に考える。

ただ、一軍選手になったという揺るがない確信を持つといっても、客観的にその基盤となるものがなければならない。単なる思い込みだけの主観的な確信であってはならない。その意味では、自らの稼ぎなどで生活できることは重要なメルクマールであると考える。

(早期に経験してしまうというのは、早く大人になったかのような錯覚をもたらすかもしれないが、単に衝動的に行動する傾向が強く、自制する力に欠けているということを示していることが多く、むしろ精神的に幼い傾向があるからしてしまうものと思われる。近代初期までの時代では10代にはすでに稼働していることがほとんどだったから、思春期の問題は現在よりも生じにくかったかもしれないが、現代は教育にかかる時間が長いため、この部分に関しては問題として軽軽されることが多いと思われる。)



 どうして「恋愛」が生きている人間に必要なのかという話はこれまでにもしてきましたが、繰り返しますと、恋愛をすると、相手から自分を認めてもらおうとするために、人間は「自分」というもののいまの枠を無理やりにでも広げようとするからなんですよ。たとえ、不幸にもその恋愛が成就しなかったとしても、何かのスキル、何かのレベル、何かの関心をいまよりもアップさせたり広げたりしようとした、そういう痕跡が自分の中に残るんです。その痕跡、つまり、自分の身と心にきざんだ努力は絶対に、あとあと自分のためにもなるんです。
 なのに、何の無理も努力もしないで、「どうして、ありのままのオレじゃダメなんだろう?」という疑問なり不満なりを募らせてしまう場合もあるようですが、そんなに「ありのまま」が認められたいっていうのはね、それは「自分は赤ちゃんなんです」って言ってんのと同じだよ。成長しようという意志も行動もなくって、じゃあもう、一生バブバブ言ってろってことですよ。
 「自分はありのままで生きていくしかない」っていうのはね、さんざん努力も葛藤もしたけれどもうまくいかなくて、自分ではどうしようもなくなった人間がぎりぎりのところから再び生き直すために、それこそ捨て身の努力で獲得する思想なんです。なのに、何の苦労も努力も試そうとしない人間が、いま自分がいるところから一歩も動かないで、楽して何かを手に入れようなんてね、世間をなめちゃあいけません。(p.121-122)


本書の考え方が端的に要約されている箇所。



 だんだん何の話をしているのかわからなくなりましたが、要は、その内容はともあれ、女性があれこれ注文や要求を出すことそのものにイラッとするのは、男として見当違いだ、ということです。人から「ダメ出し」をされることって、本当はありがたいことなんだって、若い人もいまから知っておいたほうがいいですよ。(p.124)


教育する側としては誉めて伸ばすという考え方を強調した方が良いが、教育を受ける側に対してはダメ出しのありがたさという考えを強調した方が良いと思われる。本書の想定する読者は中高生の男子なので、このコメントは適切であると思われる。



そんな、彼女を監視するようなさもしいマネをするよりも、いい関係を維持させるようにがんばったほうがよほど、彼女も浮気しません。
 行為の動機がさもしいと、どれだけその行為を一生懸命にやったからって、「さもしさ」が減るわけではない
んです。「それだけおまえのことが心配で好きだから」なんて言ったって、それでおまえのさもしさが正当化されると思うなよ、ってことですよ。
 携帯はね、どれだけ気になっていても絶対に、見ないほうがいいです。「この男は小さい」と付き合っている彼女にまで思われてしまったら、本当に終わりですから。(p.160)


彼女の携帯を見るという行為に対する批判だが、ストーカーなどにも当てはまる。



 彼女とのあいだで、昔に起こったアレコレ。その中で特に「腹を立てたこと」については、女の人はなかなか忘れてくれないものであります。(p.189)


もしこの論が正しければ、彼女を立腹させるといつまでも責められるということになる。



 男から見たときによく、「あの女はワガママだ」という女の人がいるでしょ。何かすごくこう、男を振り回すタイプの人で、付き合っている当事者よりも、そのまわりの人間からえらい不評を買ったりしているわけですが、そういう女性はね、瞬間瞬間で生きている男性を自分に長くつなぎとめておく策に長けた、「愛に満ちた人」なのかもしれないですよ?
 愛に満ちたといってもまあ、近くで見ていると「厳しいなー」と思ってしまうんで、あくまで「遠くから見れば」ということですが。
 ほうっておくと「点」で終わってしまう男を、あえて「ワガママ」という攻め方をすることによってあきさせない。そのつどそのつどをつなげさせていくことで、結果的に、ながーく、相手をつなぎとめておこうとするのが女性である……。(p.193-194)


女がワガママに振る舞うことで男に様々な対応を迫る。それが男の成長の契機となることがある。このように捉えると、ある意味ではワガママにも効用があると見ることもできるわけだ。まぁ、これを全面的に受け入れると女性側の成長という側面が抜け落ちるので、両方から努力しなければならないだろう。


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