アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

北海道高等学校日本史教育研究会 編 『歴史散歩1 北海道の歴史散歩』

1900年、修道院は孤児院を開き、1903年に、はじめてホルスタインの種牛を輸入し、バター販売を開始した。ここで生産されるバター・クッキーなどは、道南を代表するみやげ品として知られている。(p.31-32)


函館のトラピスト修道院についての記述より。

バタークッキーが名物である理由がわかり興味深かった。北海道における牧畜の展開とも関係する歴史があったとは。



 下海岸産のコンブは関西方面へ流通するばかりか、沖縄や中国へも運ばれており、コンブロードも中国大陸まで続いている。薩摩藩(現、鹿児島県)が琉球王国をつうじて行った密貿易では、中国の薬種と北海道のコンブを交易しており、この動きがコンブロードを中国まで拡大させた。北海道の他の地域と比較して、下海岸地域で早い時期から和人との接触がはじまったのは、本州との距離が近いことのみでなく、コンブの存在も重要な要素だったと考えられる。(p.35)


下海岸とは渡島半島東部のこと。

この地域の昆布が薩摩、琉球を通じて中国との交易にまで繋がっていたというのは興味深い。



旧久保商店からまっすぐ海へとくだったところが、樺太航路の拠点となった第1号埠頭で、近くに貨物専用の浜小樽駅ができた(1984年廃止)。そのため、物資流通の要衝となったこの周辺には、商店や銀行がつぎつぎと出店し、数多くの倉庫がつくられた。その倉庫の1つに旧木村倉庫がある。現在、北一硝子3号館として知られるこの建物は、1891年建造の木骨石造倉庫で、内部には、かつて小樽港からトロッコで荷物を搬入していたレールが残されている。(p.84)


小樽の堺町周辺に倉庫や銀行が多数作られた背景。



リンゴといえば長野県や青森県を思い浮かべるが、じつは日本で最初にその栽培をはじめたのは、北海道の余市町であった。
 ……(中略)……。やがてこの珍果は、小樽方面に高値で売りさばかれるようになり、1896年に大阪で開かれた全国大博覧会で上位入賞をはたすなど、全国的にその名を馳せるまでになる。
 ……(中略)……。
 日露戦争(1904~05年)前後には、余市のリンゴはロシアに輸出され、外貨獲得に大きな役割をはたすまでになった。(p.99)


現在でも余市町やその隣の仁木町ではリンゴの栽培が盛んである。そこにもこのような歴史があったとは知らなかった。



 この建物は、当時アメリカ中西部で流行した、室内の空間を広くとるために、内部に柱を使わない木造建築様式バルーンフレームを取りいれた、簡素で装飾の少ない実用建築で、日本では例の少ない開拓使時代の建築として貴重なものである。(p.118)


札幌の時計台についての記述だが、北海道の近代建築を調べていると、木造建築の場合、頻繁にバルーンフレームという名を目にするが、あまりきちんとした説明を見たことがない。一応説明されていたのでメモしておいた。

これによるとバルーンフレームの特徴は、当時のアメリカ中西部で流行していたこと、室内を広くするために内部に柱がないこと、ということになる。



 この邸宅は、1880(明治13)年前後に永山武四郎の私邸としてたてられ、1911年に三菱合資会社に買収された。建物の特徴は、和室と洋室が隣あわせになっていることである。明治時代初期の住宅に洋室を取りいれる場合は、別棟にしたり廊下でつなぐのが一般的であった。洋風応接室と書院座敷が直接つながっている建築法は、洋風建築導入過程を考えるうえでも重要である。(p.123-124)


旧永山武四郎邸について。まだ見たことがないのだが、近々、行ってみたいと思っているのでメモしておく。



そもそも明治時代まで、釧路から根室・知床岬を経由して南から斜里へ航海を行う技術は、まだ存在しなかった。海流の変化に、木造船では対応できなかったからである。したがって、日本海回りで宗谷から船か徒歩で到達するしかなく、冬場は流氷のため徒歩しか移動手段がなかった。(p.202)


かつて、西蝦夷地と東蝦夷地がどうして北海道を斜めに(北東から南西へのラインで)区切られていたのかがわかったように思う。また、函館と小樽の勢力圏としてオホーツク海沿岸の方面まで小樽の勢力圏に入っていた理由もこうした歴史的な経緯が反映していたのだろう。



スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/772-cd86a2bc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)