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アヴェスターにはこう書いている?
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中野京子 『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』

 キャンバスが小さいのがわかります。持ち歩くのですから当然ですし、刻一刻変容する外光をとどめようとすれば、号数はおのずと制限されてしまいます。教会や王侯貴族がパトロンの時代は、礼拝堂や王宮や大邸宅に飾るために知的な構成の巨大画面が求められましたが、王政終焉とともに購買層たる金持ちも小粒になって絵も小型化し、主題が変わってゆく、というより主題はなくなり、見たままを描くのですから構成もさして必要なくなる。おまけに素早いタッチで仕上げるとなれば量産可能です。ルノワールは――工房でもないのに――六千点も描いたといわれます。玉石混交も極まる道理でしょう。(p.48)


マネの「アトリエ上のモネ」について。

印象派が台頭しつつあった時代の社会背景の変化が、絵画のサイズや主題、構成にも反映していることを簡潔に指摘している。



当時、人口二十万のアムステルダムに、七百人もの画家がいたというから驚くではありませんか。おまけにあるていど棲み分けもなされていたらしく、終生、帆船だけ、花だけ、冬景色(それもスケート・シーン)だけしか描かない画家などが多く存在しました。存在できた、というところに社会の豊かさがうかがえます。
 二百年後のフランスも、産業革命によるブルジョワ階級の台頭、画家の増加、絵の小型化と、明らかな共通項が見られます。またどちらも、聖書や神話や歴史には関心をはらわず、自分たちの生きている「今」の絵、ありふれた身辺スケッチを求めた。オランダで帆船が山ほど描かれたのは、それこそが豊かさをもたらす「時代のアイコン」だったからです。フランスで都市生活や近郊の田舎が描かれたのは、近代社会を形成した自負ゆえであり、田舎はその都市生活のストレスを癒す場だったからです。(p.48-49)


専門分化した画家が存在しえたという点に17世紀のオランダ社会の豊かさを見ている点はなるほどと思わされる。

また、17世紀のオランダ絵画の主題として帆船が多く描かれたことと19世紀のフランスで都市生活や近郊の田舎が主題として多く描かれた理由も興味深い。絵を見るとき、主題と社会的背景との関係などもこうやって考えながら見ると面白い発見がありそうだ。



 いずれにせよ印象派は、社会の底辺で喘ぐ男たちにほとんど関心を示しませんでした。神話も歴史も聖書も描かず、「今という時代」に焦点を絞ったとはいっても、その「今」を生きている肉体労働者は除外したのです。(p.107)


印象派が描く「現実」には、あまり苦痛や苦悩といったことも表現されていないように思われる。その意味でも「明るい」ものに、それだけに焦点を当てるという偏りがある。(ドガの絵などはやや内面的に「暗い」ところがあるが。)これは購入する層が社会の比較的富裕な市民であったこととも深く関係していると思われる。



 印象派は、絵画が商業利用される幕開けの、いわば申し子でした。公立美術館が増え、誰もが気軽に絵画鑑賞可能になるにつれ、規範となる芸術、つまり古典という考え方は廃れ、専門家のお墨付きよりむしろ、多くの人に愛される絵が「傑作」と呼ばれるようになる。クラシックよりポピュラーが愛されるように(もちろんポピュラーの中の少数のほんものは、確実にスタンダードになるのですが)、画面が明るくてきれいなもの、何も考えなくていいもの、心地よいもの、癒し効果のあるもの、知識がなくても楽しめるもの、要するに印象派絵画が圧倒的に支持される。(p.186)


同意見である。


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