アヴェスターにはこう書いている?
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田端宏、桑原真人、船津功、関口明 『県史1 北海道の歴史』

 江戸時代初期の松前藩にとって、対アイヌ交易の商品の調達、また産物の移出のためにも、生活物資の確保のためにも本州方面との流通経路を安定して把握しておくことはきわめて重要だった。近江商人の組織的な活動は、その役割をになったのである。(p.99)


本書は北海道の歴史だが、小樽の歴史でも近江商人が最初に進出してきたということは学んでいた。より広域の歴史を学ぶと、全体的な布置の中で位置づけやすくなる点で有益である。ローカルな歴史はディテールを知るには有益だが、それだけを見ていても全体的な位置づけが見えにくく、意味を理解する際に苦労することが多い。視野を広げると意味を的確に把握しやすくなる



 場所請負人や諸藩へも移民の導入、永住者の増加策をとらせ、農業開拓につとめるよう指示しており、蝦夷地への出入規制もといて往来を促進し、定住を奨励した。この第二次幕領期に蝦夷地に定住する和人人口は急増する。とくに西蝦夷地の鰊漁の盛んな地域での増加がめだち、ヲタルナイ(永住324戸、1412人。出稼ぎ226戸、896人――慶応4年)のように、寺院もでき、商店も多くならび「遊女町」まであるという都市化の様相を示すところもあらわれるのである。
 和人人口の増大した地域では場所請負制を廃し、「村並」の扱いを行った。村役人をおいて自治の要素も含めて箱館奉行所の直接統治が行われるのである。イシカリ(安政5<1858>年)、ヲシャマンベ・ヤマコシナイ(元治元<1864>年)、ヲタルナイ(慶応元年)が「村並」化されたところである。(p.156-157)


第二次幕領期とはおおよそ1855年頃から1868年頃までのことを指すと思われる。

「村並」というのがどのようなものであるのか、何度かこれまでも聞いたことはあるがあまりよく説明されているのを見たことがなく、わからないところである。



 幕末期には、いくつもの場所をひとまとめにした広大な地域を一請負人が引きうけるようになっているが、そうなると、オホーツク沿岸一帯の働き手を漁業に有利なソウヤ・リシリに集めて使役、春の鰊漁、秋の鮭漁と通年の漁業労働で自分の村へほとんど帰れなくなる困難におちいるのであった。(p.162)


幕末期には場所請負人が大きくなり寡占化が進んでいたようである。世界的に政治権力と結びついた大資本が形成されていった時期と重なるのではなかろうか。場所請負人の規模拡大も、そうした中に位置づけられるのだろうか?興味深い問題である。



ちなみに明治十八年の内閣制、同二十三年の明治憲法発布までは、幕府開設の前提の征夷大将軍の任命を含めて日本の根本法典は律令であった。(p.178)


かなり最近まで律令が根本法典であったということには軽く驚きを覚える。



 ところで明治元年閏四月、小樽内騒動という事件が勃発した。すでに小都市化していた小樽内の零細な漁民や出稼人に流民や浪人・博徒が加わった600余人が、鰊類の価格の暴落や本州からの米や日用品の高騰と供給減少に動揺し、過重とは思われない新税に反発して御用所を襲撃した騒擾事件である。出稼人や流民にみられる前期プロレタリア要素や新政への期待をもった騒動であったことから、世直し一揆としての側面をみる見解もある。(p.179)


小樽は幕末頃から鰊漁で栄えたようだが、経済活動がある程度活発であったことがうかがえる事件であると思われる。



 開拓使は明治四(1871)年以降、種々の官営工場を設立した。工場の主力は札幌本庁舎管内におかれ、とくに開拓使工業局と物産局に属する諸工場は、水利の点から創成川と豊平川のあいだに工場団地を形成した。札幌本庁のおかれた今日の赤レンガ庁舎の正門より、現在サッポロファクトリーのある辺りの工業団地とのあいだを東西に結ぶ札幌通り(現、北三条通り)がメイン・ストリートで、中間に札幌農学校が設けられていた。(p.187)


開拓使が設置されたころの札幌の市街の様子。



北海道には女囚が送られなかった点を含めて、集治監設置の目的が労役にあったことはあきらかである。……(中略)……。
 樺戸集治監は、明治十五年から十八年までに500町歩を開墾した。この開拓地にのちに結社移民の北越殖民社の一部が入植することになる。空知集治監は幌内炭鉱の採鉱が主要な使役であった。明治十九年から二十六年にかけて600人から1000人以上が出役した。幌内炭鉱の使用労働者は80%以上は囚人で、良民の約四分の一の賃金で使役された。ほかに有力な炭鉱のない当時の北海道では炭鉱労働者の主力が囚人であったのである。釧路集治監の外役は跡佐登硫黄山の採黄だった。(p.201)


北海道の開拓という名の征服活動には、こうした側面もあったことは銘記されるべきである。



このようにして設立された北炭は、政府・道庁の手厚い保護にささえられていた。その最たるものは、鉄道および所属物件が24万7950円、炭鉱および所属物件が10万4368円の計35万2318円という払下げ価格である。この価格決定までに、大蔵省が異議をとなえるなど政府内部でも批判が強かった。幌内炭鉱の開発に投下された資金は、炭鉱と鉄道をあわせて229万1499円とされており、払下げ価格はそのわずか15.4%にすぎない(田中修『日本資本主義と北海道』)。また北炭は民間会社でありながら、労働力不足をカバーするために空知監獄署の囚人の継続使用を許されていた
 以後北炭は、明治三十九年の「鉄道国有化法」によって鉄道を買収されるまで、道内の石炭生産で圧倒的に有利な地位をきずいた。その最大の理由は、北炭が採鉱部門のほかに輸送部門としての鉄道を所有し、独占的に使用できたからである。このため三井・三菱・住友などの財閥系炭鉱資本は、明治四十年代にはいるまで石狩炭田への進出をはたすことができなかった。(p.217-218)


明治時代の北海道を語るに当たり、北炭の存在は欠かせないものであると思われるが、なかなかまとまった叙述は少ないようにも思う。だから、多少勉強してもなかなか理解が深まらない。ここは割とコンパクトにまとまっているのでメモしておく。



 明治二十二(1889)年に設立された北海道炭礦鉄道会社(北炭。同二十六年より株式会社)は、埋蔵炭量の豊富な石狩炭田に位置する幌内炭鉱を拠点とし、同二十七年までは、北海道庁から空知集治監の囚人を労働力として使用することを認められていた。そのうえ、採掘した石炭の輸送には幌内鉄道を自社専用線として利用できた。また、同鉄道の室蘭および空知太(滝川)方面への延長工事が完成するまでは、株金払込額に対して一カ年五朱の割合で利子補給が行われた。このため、北炭は明治中期の北海道では圧倒的に有利な状況にあり、道内の石炭生産をほぼ独占していた。いま、明治二十年代から四十年代にかけての北炭の石炭生産量を示すと上表のようになるが、この時期の道内石炭生産量の約80%は北炭によって占められていたのである。このような状況は、政府の鉄道国有化方針によって、北炭の所有する鉄道が買収される明治三十九年まで続いた。
 設立直後の北炭は、村田堤らが所有する幾春別・空知・夕張の各炭鉱を買収し、その開鉱に着手した。そして、先にのべたようにこれらの炭鉱と室蘭を結ぶ鉄道を建設し、明治二十五年に開通した。この結果、北炭は石狩炭田の主要な炭鉱と小樽および室蘭を結ぶ鉄道輸送ルートを所有することになったが、これは、そもそも設立時の北炭が「私設鉄道条例」に基づく鉄道会社であり、石炭業を兼営する会社にすぎなかったという同社の法律上の位置づけに起因している(宮下弘美「創業期の北海道炭礦鉄道株式会社」北海道大学経済学部『経済学研究』第三十九巻第二号)。(p.249-250)


北炭について。



 事実この大正中期の北海道は、262頁の表にもあきらかなように、行政上の諸制度がほぼ「内地」並みになった時期であった。……(中略)……。
 市町村制は、明治三十五年までに北海道区制と北海道一・二級町村制という府県の市町村制とはやや異なった制度が施行された。一級町村はほぼ府県の町村制に準じていたが、道内町村の大部分を占める二級町村制は道庁のきびしい監督下におかれ、その自治能力は著しく制約されていた。このような北海道独自の町村制度は、昭和期にかけて数度の改正が行われ、戦時体制下の昭和十八年に廃止されて町村制が施行されたが、従来の二級町村は指定町村として残された。これに対し府県の市制にあたる北海道区制は、明治三十二年段階で札幌・小樽・函館に勅令をもって施行された。この区制も府県の市制に準じていたが、権限は市制よりも制約されていた。市長にあたる区長が区会の議長をつとめ、道庁と同じく参事会を欠いていた。この区制は、その後旭川・室蘭・釧路にも施行されたが大正十一年に廃止され、市制が施行された。このように、北海道では都市部から制度の内地化がはかられたのである(清水昭典ほか『地域からの政治学』)。(p.260-261)


このあたりの制度もわかるようでわからないところである。


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