アヴェスターにはこう書いている?
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モンテスキュー 『ローマ人盛衰原因論』

 カルタゴ人の屈服の後、ローマは、ほとんど小さな戦争しかせず、それでいて大きな勝利を収めた。これに対し、かつては、大きな戦争をしながら、小さな勝利を得ただけであった。(p.55)


ヘゲモニーを確立すると実力行使する必要がなくなることを適切に表現している。



 ローマの法律は公共の権力を非常に多くの政務官の間に巧みに分割していた。彼ら政務官はたがいに支持し、抑制し、緩和し合った。そして、政務官には制限的権力しか与えられていなかったので、どの公民がどの官職に就いてもうまくいった。(p.114-115)


権力分立による相互の監視や抑制によって適正な権力行使が可能になるという考え方はモンテスキューの著書には随所にみられる。



 カエサルやポンペイウスがカトーのような考え方をしていたとしても、他の者はカエサルやポンペイウスのような考え方をしたことであろう。滅亡を運命づけられていた共和国は、他の人間の手で破滅へと導かれたであろう。(p.123)


歴史の変化に関する一般的な趨勢と個別的な事件との関係について、モンテスキューは一般的な趨勢の方をやや重視する傾向があり、個別的な事件については、それだけでは歴史の趨勢を変えるわけではないという見方をとっている。

ブローデルはこうした見方を時間に沿って構成したし、ウェーバーは『文化科学の論理の領域における批判的諸研究』の中で定式化した客観的可能性判断という考え方を提示する際に、第一次大戦のきっかけとなった小さな事件がなかったとしても別の事件によってそれが起こりうる趨勢にあったならば、それが起こる客観的可能性が存在したものとみなすことができることを示唆していたと思われる。

モンテスキューの考え方には、こうした20世紀前半頃に成立しつつあった社会科学の考え方の萌芽的なものが見受けられるように思われる。



 弱体化してゆく国家ほど貢納を必要とする国家はない。こうして、租税を負担する力が弱くなればなるほど、租税を増額しなければならなくなる。間もなく、ローマの属州において、貢納は堪え難いものとなった。(p.208)


昨今の日本政府の状況と通じるものがある。私見では、問題は増税の必要性が生じることそのものではなく、増税の必要性を一般の人々が十分に理解することができず、「堪え難いもの」となってしまうことにあるのだが。



 われわれの許では、大事業を企てることは、古代人におけるより困難であるように思われる。大事業を隠しておくことはほとんどできない。というのは、今日では、諸国民の間の交通が発達して、各君主はあらゆる宮廷に使節を派遣し、あらゆる官房に内通者をもつことができるほどになっているからである。
 郵便制度の創設によって、通信はあらゆる場所を飛びかっている。
 大事業は資金なしにはなされないし、為替手形の発明以後は大商人が資金を左右するようになっているので、彼らの取引は非常にしばしば国家の秘密と結びついている。そして、大商人は国家機密に入り込むため虎視眈々としている。
 為替の変動は原因がよくわからないまま生じているが、多くの人々がそれを探究し、最後には発見するにいたる。
 印刷術の発明は書物を万人の手のうちにおいた。彫版術(グラヴィア)の発明は地図をかくも広く普及させた。そして、新聞事業が確立されて、一般的利害関心が十分に各人のものとなり、秘密の事柄もずっと容易に理解されるようになった。
 国家内部における陰謀は困難になった。なぜなら、郵便制度の創設以来、個々人のあらゆる秘密は国家権力の手のうちにあるからである。
 君主は、国家の兵力を掌握しているので、敏速に行動できる。陰謀者の側は、あらゆるものを欠いているため、緩慢に行動することをよぎなくされている。しかし、今日では、あらゆることがより容易にまた迅速に明らかになるので、陰謀者がどれだけ準備のための時間を切りつめても、発覚してしまうであろう。(p.240-242)


情報と権力の関係について興味深い考察がなされている。

ここでは情報は政府の権力が掌握できるという前提に立ち、当局側に有利なものとして叙述されているが、昨今の情報、例えばウィキリークスやfacebookなどを巡る言説では、むしろ「陰謀者」に有利な面が強調されている。

ただ、グローバルにヒト・モノ・カネが飛び交う状況が進展しつつあったモンテスキューの時代に情報の意義が認識されていたということは、昨今の状況とも通じており興味深い。



 大きな河川に水路がつけられてから、それらの沼はなくなり、ドイツは様相を変えた。ウァレンティニアヌスによるネッカー河の工事、ローマ人によるライン河の工事は、大きな変化をもたらした。商業が確立され、馬をもたなかった国々もそれを手にして、利用するようになったのである。(p.245)


興味深い指摘。事実関係について確認していきたい。



 聖像をめぐる論争をこんなにも生々しいものにし、次の段階では、分別ある人々にも温和な礼拝を奨励できなくさせたのは、この論争がまさに世俗的な事柄と結びついていたからである。すなわち、それは権力の問題であった。権力を簒奪していた修道士たちは、自分たち自身がその対象の一つとなる外面的崇拝をこの権力に絶えず付加してゆくのでなければ、権力を増大させることも、維持することもできなかったのである。ここに、聖像に対する戦いが常に修道士に対する戦いとなった理由がある。そして、修道士たちが優位に立つと、その権力は際限のないものとなった。(p.248)


宗教的な現象のほとんどは政治的な現象である。このように見れば(特に歴史上の)多くの「宗教関係の」現象について、容易に理解できるようになる。

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