アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

高田亜紀 『台湾風』

 台湾人がイン(食べても平気)と思う食物
「カエル、蛇、豚の脳と耳と腸と……ほとんど全身、鶏の睾丸とお尻、ガチョウ、すっぽん、鴨の舌と首と脳など」
 台湾人がアウト(気持ち悪い)と思う食物
「犬、馬刺し、イカの塩辛、とろろ、△活け魚造り、△白子、△生卵、△納豆など」(△は一部の人は食べられる物)(p.36)


このあたりの感覚について、台湾人の友達に今度聞いて回ってみたい。



日本統治時代は台湾人の家庭でも日本語を話すことが奨励され、完全に日本語を話す家の門前には「国語家庭」という札が下げられた。(p.56)


「国語家庭」がどんな家庭だったか、ということも日本語世代がまだ残っているうちに聞いておきたいところだ。



 台湾人が多種言語を話せるようになったのは、林さんの例に代表されるように別に自分が望んだからではない。ただ結果としてそうなっただけだ。
 しかし、反対に失われたものは計り知れない。
日本では、1000年前に書かれた「源氏物語」が今も読み継がれているが、台湾ではそうはいかない。はるか昔原住民の言語、閩南語や客家語、日本語とすべての言語は文学芸術が十分台湾で花開く前に、他言語に侵されてきたのだ。特に方言は確立した文字表記法を持たないので、台湾のわずかな言語文化遺産は現在口伝以外は全て北京語になおして伝えるしかない。(p.58-59)


失われたものに着眼しているのが良い。



 それにひきかえ日本は平和である。なぜ日本人は外国語ができないのかと言えば答えは簡単。外国語が出来なくても生活に困らないからだ。
 日本語だけ話せればまともに就職できるし、その給料で一家を養える。海外平民しなくても身は安全。
 ……(中略)……。
 つまり日本人が外国語が出来ないのは、日本に国力があるからなのだ。その証拠に例えばアメリカ人なぞ、そのほとんどは英語以外の言語を懸命に学んだりしないし、それを何とも思っていないだろう。言葉、そして国語は、その国の歴史と文化と経済力を反映したものである。(p.59-60)


概ね同意見である。外国語なり第二言語を習得する必要性が少ない社会にいるため第二言語を習得している者が少ないという点は特にそうである。その必要性の有無にとって経済的な要因がかなり大きく関わっているという点も正しい指摘である。

少し前にインドに行ったとき、10歳の少年が「(自称)観光ガイド」をしており、7-8か国語を操っていたが、それなども必要性があって学んだものであるのは明白であった。日本の今後について考えると、英語のほか、ビジネスのためにも中国語の重要性が以前よりも増してくると思われる。私も中国語を少し学んでいるが、そうした社会的な背景が学習環境の有無など様々な点で作用していると見ることができる。



 なおここで少し解説しておくが、台湾の株式市場は小さい。それゆえにちょっとした外的要素で株価が簡単に上下する。アメリカ市場に連動しているのは仕方がないとしても、その他政治家や有名実業家の発言、噂、天災など、上場企業自体の業績や景気動向といった本質以外のことにあっさり左右される。
 だから、うまく波をつかまえれば一週間とか短期間に儲かることもある。そのあたりが、人々を惑わせるようだ。(p.73)


貯蓄や資産の運用などについてしばしば「国民性」などという意味不明(正体不明)の言葉を用いて語る俗論があるが、大抵のことにはこうした社会的要因があり、ほとんどのことがこうした説明でより合理的に説明できる。社会現象を説明するときにはこうした説明はほとんど不可欠であり、本書のようなエッセイでもこうした点に触れられていることは評価に値する。しょうもないエッセイの中にはこうしたものに触れずに安易にいい加減な意見を述べるものがあるので要注意である。



 私「あのう、マンガ台湾論の論争とかありましたけど、実際林さんより上の世代の方は日本統治時代をどう思っているのでしょうね?」
 林さん「うーん。それはちょっと一言では難しいね。まあ一般的に言うと、当時中産階級以上だった人達は、秩序ある生活が送れてけっこういい印象を持っているみたいだね。でも、農民層はみんな小作農として働かされていたから、すごく生活が苦しかったんだ。国民党の時代になってやっと農地解放されたから、そういう人達は日本統治をよく思わない人が多いみたいだよ」
 私「そうですか。でも、日本統治のお陰で就学率が90%以上になったと言われていますよね」
 林さん「あのね、当時小学校には日本人が行く『小学校』と台湾人が行く『公学校』という二種類があってね、台湾人はよっぽど強力なコネがない限り小学校へは行けなかったんだ。普通の台湾人は公学校へ行ったんだけど、こっちの方はそんなに就学率が高いわけないね。名簿上に名前だけはあったかも知れないけど、みんな貧しい上に兄弟が沢山いて学校なんか行けない子が多かったよ」(p.112-113)


公学校には必ずしも多くの生徒が通学できたわけではなかったというのは、なるほどと思わせる。昔NHKで放送していた「おしん」ではないが、当時は「内地」でもそうした子供は結構いたようだ。



 まず、日本統治を経験した本省人は親日的な人が多い(ただし、反日感情を持っている人もいることは「日本人と台湾人の会話」で書いた)。
 なにしろ昔は自分も「日本人」だったのだから、彼らが本当に日本の心を理解しているのは間違いないだろう。だが、彼らが好むのは思い出の中の古きよき日本であり、現代日本とは大きな隔たりがあることは否めない。
 ……(中略)……。若者たちが愛しているのは日本のサブカルチャーであり、彼らにとってやはり「日本」は消費の対象に過ぎない。
 今は日本に好感を持っているが、もしこの先「日本」が消費価値のないものとなったらそっぽを向いてしまう層である。

 結局、日本から50年以上前の台湾統治の思い出と日本製品を除いたら、どれだけの台湾人が「親日」でいてくれるのか?
 つまり台湾に漂う「親日」の空気は堅固なものではなく、風向きによってすぐ揺らいでしまうものだということを日本人は知っておいたほうがよい。
 日本に限らずどこから来た人でも、客ならば手厚くもてなし、その長所を誉め称えるのが台湾の流儀であり、台湾人は別に日本人を崇拝しているわけではないのだ。
 だが、何だかそこのところを勘違いしている人がいるようである。(p.120-122)


同意見である。尖閣諸島の領有問題を巡っては中国だけでなく台湾でも抗議行動が起こることがあるが、「親日」の内容が以上のような「古きよき日本」や「日本のサブカルチャー」を中心として構成されていることを踏まえれば、理解は難しくはない。このような構図は台湾だけでなく、中国にも似たような形であてはめることができる。「日本」などという実体がないものを表している用語(これはすべての主権国家に当てはまることである)を、あたかも一つの単独の実体であるかのように言語上で扱っていることが、様々な錯誤の要因の一つとなっている。このあたりの概念操作の方法については、学校教育でもきちんと教えられるべきものだと考える。



 ちょっと意外なのは、今でも日本時代に持ち込まれた畳を好む台湾人がいることだ。我が家にはないが、たまに広い新築の家で畳敷きのスペースをリビングの一角に設けていることがよくある。だが、同じ日本様式でも押し入れが台湾に定着しなかったことは残念だ。(p.192-193)


確かに、私が以前泊めてもらった日本統治時代を知る台湾人の家はリビングの一部に6畳分の畳を敷いて使っていた。あれを初めて見たときは少し衝撃的だったが、本書でも言われているように台湾では結構あるスタイルのようだ。

なお、押入れがないのは、本書でこの後で指摘されている理由(台湾ではスペースを買うので収納は最初からついていない方がよい)というだけでなく、日本以上に高温多湿な気候も関係しているのではないか、という気がする。



スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/753-05e1d055
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)