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アヴェスターにはこう書いている?
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豊田利幸 責任編集 『世界の名著21 ガリレオ』

今日、数学と日本語に訳されているマテマティカのギリシア語の原義は、「学びうるもの」であるが、ガリレオは新しい科学は誰にも学びうるものでなくてはならないと信じた。彼が「自然は数学で書かれた本である」というときの数学は、その意味である。(p.72-73)



マテマティカが「学びうるもの」という原義だというのは、少し新鮮。

当時、キリスト教徒でない中国人でヨーロッパの言語を修得し、自分たちの手で、ヨーロッパの文化を翻訳移入しようという者はあまりなかったように思われる。
 その逆に、宣教師たちのほうは、懸命に中国語を学び、自ら中国名を名乗り、あるときは儒者のように、またあるときは僧侶のように振舞って、中国社会、とくに上層階級にとけこもうとした。そしてさらに、この文字の国中国の読書人の心を掴むために、ヨーロッパ人にとって、おそらく学習が容易ではなかったと思われる中国語による著作活動さえも行ったのであった。(p.176)



17世紀頃の話であるが、当時の認識ではやはり中国は世界で第一級の経済、技術、文化、学問など多くの分野で優位に立っていた。そのことがこうした態度の違いとして表れている。

しかし、ヨーロッパは中国などから学ぼうとする姿勢があったのでその後発展したが、中国はそうした姿勢がなかったので列強に敗れた、という道徳的で精神論的な歴史解釈を私は正しいとは思わない

この逆転が可能になったのは、ヨーロッパは大陸の西端にあり、その西端から「南北アメリカ大陸」という後背地を手に入れたため、天然資源や人的資源(アフリカの奴隷)を活用できる状況ができたことが大きい。こうして経済的な発展が可能となった。

大陸の中央にはオスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル朝という大帝国があり、繁栄を享受していたが、それらの巨大勢力は相互に争っており(特にオスマン朝とサファヴィー朝は対立関係にあったと思われる)、そうした中で疲弊する要因があった。

(中国の衰退要因については、まだ十分研究していないので今のところ保留しておくが、中国が実際に「衰退」の過程に入るのは一般に思われているよりかなり遅く、恐らく清朝の後半だと思われる。もちろん、それ以前にも何度も上昇だけでなく、下降する局面はあったにせよ。)

そうした中でかつてこれらの地域の資源供給地でしかなかった「ヨーロッパ」地域が相対的に力をつけてきたために、力関係が次第に拮抗するようになっていく。こうしたマタイ効果がたまたま働きうる状況が成立したが故に、「ヨーロッパ」それも「『西』ヨーロッパ」は18世紀以降、大きく経済的に発展し得たと見るべきであろう。


当時、文化的にも世界の中華をもって自他共に許していた中国も(例えばリッチは、1584年、「シナの偉大さについては、どう見ても、この世にそれに優る偉大なものがあろうとは思われません」「シナは一王国などというものではありません。シナは世界そのものです」と書き送っている)、こと暦法、つまり暦の作り方に関しては、少なくともヨーロッパ人の目から見る限り、絶望的といってもよいくらい混乱していた。(p.178、強調は引用者)



マテオ・リッチの中国への大絶賛には少しばかり驚いた。

また、イエズス会の宣教師たちが、ヨーロッパの学問や技術のうち、中国にとって役立ちうる数少ないものとして、宣教するのに暦法を必要としたというのは興味深い。例えば、マテオ・リッチは1605年発のローマ教会宛の手紙で以下のように述べている。

それゆえ、もしこの地に、私の相談相手になってくれる数学者を寄こしていただければ、私はわれわれの暦(グレゴリウス暦のこと)の数値表を中国語にすぐにも翻訳し、中国の暦を正してやることができるでしょう。そうなれば、私の信用は大いに増し、中国の門戸をより広く開けさせることができるだろうと思います。(p.179、強調は引用者)



最後の一文は注目に値する。宣教師は宣教のためだけでなく、むしろ、中国の「門戸開放」のために行っていたととれるからである。しかし、これは「列強」が中国を「こじ開ける」というよりは、「ぜひともあなたたちの高品質で多様な商品を取り引きさせてください」とお願いしにいっているようなイメージに近い。その力関係が逆転し始めるのは1800年前後になってからのことである。

以上、豊田氏による解説からの引用とそれへのコメント。以下、ようやくガリレオ自身の書いたものについて。

『偽金鑑識官』より

ひとは理解や知識がたりないほど、それについて断定的ないいかたをしたがる。反対に、さまざまなことがらを認識し理解していれば、なにか新しいものについて判断するのに、性急でもないし、断定的でもなくなるのです。(p.386、強調は引用者)



これは確かに鋭い洞察である。このことに関しては自戒も必要だが、特に政治的な議論をする際など、話しをしていてこれと同じことをよく感じる。「知っている」のではなく、調べたり確かめたりもせずに「信じている」だけである人ほど、意見が断定的で(論理的に論破された場合でも)誤りを認められない傾向があると私は見ている。

もちろん、こうした論理学的・認識論的な要因以上に、心理的な要因も大きいのだが、それについては個別的に「診断する」必要があるので、ここで一般論として述べるのは相応しくないだろう。

また、私は、あらゆる断定的発言を控えるべきだと言っているわけではない。分かっていることと主張の根拠の強さの度合いに対して自覚しつつ、その枠内で断定することは許されると考えるからである。

つまり、論拠がないときに強力に断定した上で誤りを撤回しないような姿勢はダメだが、それなりに信用できる論拠があるときには、それに基づいて断定することは許される(できる限りその論拠を示しつつではあるが)。ただ、その論拠の不十分さを自覚した場合には、主張を撤回ないし修正するような柔軟さも必要だ、ということである。

特に大学時代の何人かの友人には、以上の点を指摘したいと思っている。個人的にこれらの問題を指摘したい友人も何人かいるが、ここでは一般論として記しておくことにする。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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