アヴェスターにはこう書いている?
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立岩真也 『人間の条件 そんなものない』

政治に関心がないこと参加しようとしないことそのものが、なにかいけないことであるように言う人たちがいる。私はそんなふうには考えない。たしか安心して他人たちに任せておくとひどいことになることがあるから、気をつけた方がよい、関心をもった方がよいというのはもっともだ。しかしもっとよいのは、毎日なにかを決めたり、決めるために時間をかけて議論をしたり、誰を代理者あるいは代表者にするかを考えたりすることが、なくすことはできないだろうけれども、少なくなることではないだろうか。ここでも私たちは、仕方なく大切なことと、そのものが大切なことと、どちらなのだろうと考えてみたらよいと思う。政治(を自分たちで行うこと)は仕方なく大切なことなのだろうか、もともと大切なことなのだろうか。(p.66)


政治への参加や関心について、それがないことは良くないかのような言説に対する違和感は、私も初めて政治学や行政学を学んだ時に感じたことがある。そして、ここで述べられているようなことを思ったことがあったので、この叙述には同感である。

ここで語られていないことで私が付け加えるとすれば、皆(多くの人)が下手に関心をもってしまうと、逆に適切な判断ができなくなることがあるのではないか、ということだ。

政治や社会的な問題についてある程度の客観性を持って把握できるためには、実際にはかなりの素養が必要で、それらを身につけている人というのは、社会のなかのほんの一握りに過ぎないだろう。そうでない人のいい加減な意見が世論としてまかり通りやすい昨今の政治環境は良好なものだとは思われないからである。



たとえば「消費社会論」というのが流行ったことがあって、いろいろなことを言った。どんな商品がどんなふうに企画され消費されているのかといった個々の話はまずまずおもしろかったのだが、せんじつめると、それが言っていることは、(かつてと違って、今の)人は記号を消費しているとか、差異を消費しているとかいうことだった。だが、「そんなの当り前じゃない(昔も今もこれからもそうだよ)」、というぐらいの感想しか抱けず、あまり新しい感じはしなかった。人は昔も今も、かっこつけたくて、目立ちたがって、趣味がいいと思われたくて、服を買ったり着たりしている。それはそうだろう、だからどうしたと――これはずいぶん乱暴なまとめ方だが――思った。(p.194)


このあたりは本書の主題とはあまり関係ない傍論ではあるのだが、共感した箇所でもある。日本で80年代頃から90年代に流行っていた議論の多くに対して、私もこのような感想を抱くことが多かった。

ポストモダンやそれに近い議論というのは、無理に何か新しいことを言おうとし過ぎて、新しい造語を勝手に作って、それの解説っぽいことを延々と繰り返すだけ、みたいなしょうもない議論が多いように思う。ここでも「記号を消費する」とか「差異を消費する」なんていう普通じゃない言い方をすることによって、一見新しいことを言っているかのように見せているが、中身的には「それがどうした」的なものだったりする。もちろん、そういう半ば不毛な議論の中にも読んでいるとちょっと面白い要素や新しく気づくようなこともあったりはするのだが。

その点、本書の著者は(所有の規則など「当たり前」だと思われていることに疑義をはさむことも含めて)当たり前のことを当たり前に考えようというようなことを言っているところがあり、今のような社会で何をどのようにしていけばよいのかということについて不透明感が強い社会状況では、こうした考え方は重要であるように思う。



 多くの人が買ってくれるものを一度に作れ、売ることができる商売と、そうでない商売がある。そして前者の仕事の方が増えていて、その規模が大きくなって、儲かる人たちの儲かる度合いは大きくなっている。ただ同時に、もちろん後者の仕事も残る。その間の差が大きくなっている。(p.196)


こうして始まる一節は本書を読んで最も参考になった部分だった。

所得の差が生じやすい産業構造があり、これを補強するように独占や寡占を可能にする条件がそろうと、とてつもない差が生じやすいということについて理解が深まった。こうした多数の人が同時にアクセスできる商品は「スケールフリー」性を獲得しやすい。もちろん、それは本書の本題ではなく、それをどのように是正するのか、ということに主眼があり、エイズの薬の事例などを用いてそのあたりの処方箋を具体的に示しているのは参考になる。

余談だが、立岩真也の読者としては、NHKのマイケル・サンデルの講義を視聴したのだが(私はリアルタイムでは視聴しておらず、正月に再放送されたものを少しずつ見ている最中だが…)、日本の障害者についての社会学とアメリカの政治哲学の講義で、扱うテーマがかなり共通だということに少し驚いたことがある。

ある意味、彼らの議論というのは、いわゆるグローバル化ということに対応するテーマ設定なのだと思う。その意味で、サンデルの本は結構売れているらしいが、あれを面白いと思う人は立岩真也の本も面白く読めるのではないか、と思う。



むしろ日本という国は、一時期より、多くあるところから多くとってくるというやり方の度合いを少なくしてそのままにしてしまっている国なのだ。そんな国は「先進国」ではアメリカと日本ぐらいのものだ。(p.248)


累進課税を弱めて財政を脆弱にしたままにしていることへの批判。妥当である。



だが、公的介護保険という仕組みでは、医療と違って、あなたの使えるのはどれだけと査定される。「要介護認定」というものである。多くの人が、基準が厳しすぎるとか思うことはあっても、基準があることは当たり前だと思っている。医療にはその認定にあたるものがないということも思いつかない。だが、どうしても必要なものか。医療の場合と大きく違うところがあるだろうか。(p.269)


なるほど。確かにそうかもしれない。

ただ、医療と比べると、介護の方が制限なく使えることになった場合、「マイナスを埋める以上のこと」に持っていきやすいとは思う。医療で注射を沢山打ってもらっても患者にはほとんどメリットはないが、介護で買い物や掃除をより多くやってもらうなど、ヘルパーを家政婦代わりであるかのように使うことがあるとすれば、そのサービス給付の費用の一部が公的保険料や税金から支出されているとすれば、ちょっと違うのではないか、とは言える。その意味で、医療よりは制限的であることにも少しは理屈があるように思う。もちろん、現状の要介護認定が良いとは思わないが。

(なお、少し常識に欠ける利用者が上記のような使い方をしようとしてヘルパーに注意される、という話は実際にないわけではない。)



今の高齢化は歴史上ただ一回だけ起こることなのだ。だから、これから五十年くらい間をなんとか乗り切って、うまいやり方を見つけてしまえば後はなんとでもなるはずなのである。(p.317)


これは著者の別の本でも述べられていたことで、確かにもっともなのだが、これを乗り切ることだけでも結構大変なことだということは付け加えていいように思う。

財政的な問題について言えば、問題解決とは逆方向のことが進められてきた経緯があり、現在も「減税日本」のような名前が新聞上で踊っていたりして、さらに状況を悪化させるような方向に進んでしまう可能性も高まっている中においては、そう楽観してもいられない、と思う。

私としては団塊の世代が退職する前に累進的な増税に踏み切れと言ってきたのだが、時すでに遅しとなった感がある。これにより過去の国債発行によって受益した人とそれを償還する負担する人が別の人になることが確実になった。現在の年齢構成の段階でプライマリー・バランスを黒字化できるところまで累進的増税ができれば、その後は年齢構成の高齢化が終わった後からは黒字化が進むだろうから、まずはそこまでできるだけ早めに持っていくことが必要だと思われる。(もちろん、50年も100年も債務を引きずってずっと財政出動に制限があるという政策オプションが制限された状態でよいのか、という問題もあるのだが。)



政治が決めることがそれ以外で決まることと違う一番大きなことは、政治には強制があるということだろう。税金は払いたくなくても払うものだ。払わなければ脱税で罰せられる。だから、私たちは政府になにをさせるかを考えるなら、人を強制してでもすべきことはなにかと考えた方がよい。(p.320)


重要な指摘。ここには経済政策より人命や安全などに関わる分野が優先的であるという含意がある。

私としても優先順位として経済政策よりも広義の安全保障・福祉政策の方が優先されるという点ではかなり近い立場にあると思うが、経済政策は私が読んだ限りでの立岩の論で言われるよりは重要だろうとも思っている。

立岩の議論で弱いのは、外国との国際競争をどのように乗り切るのか(どのような方法でどのような状態に変えるのか)を考える必要性に気づいていることを明示しながらも、それに対する具体的な対処の方法が欠けているところである。そして、彼の議論の立て方からこの問題をすっきりと解いていくことはかなり難しいのではないか、と思う。今後の本でこのあたりがどのように解決されていくのか、あるいは解決されないままにされるのか、注目したい。

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