アヴェスターにはこう書いている?
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安田雪 『「つながり」を突き止めろ 入門!ネットワーク・サイエンス』

問題行動の真因は、本人の心のなかにある場合もあるが、基本的には家族、友人、学校の先生など身近な人々との関係のなかにあるはずだ。関係探索は武器だと書いたが、それは相手を理解するためのツールでもある。(p.26)


個体(ノード)に着目するのではなく関係(リンク)に着目するという発想は基本的であると同時に重要である。



縁もゆかりもない遠くの他人が、自分の人生に関与することはまずない。だが、近くにいる人間は、人の人生を左右できる。近くにいる人ほど、そして、口の軽い奴ほど、怖い。(p.27)


なるほど。



 「1000万円の席替えですか!(教室、爆笑)」
 関係探索は武器になると述べたが、関係探索は商売にもなるのだ。
 とはいえ、仕事をする上でミクロな環境はきわめて大事である。どれほど業績の良い立派な大企業であろうと、上司との相性や同僚との折り合いが悪ければ、日常業務は苦痛の連続だ。マクロも大事だが、職場における前後左右数メートル圏のミクロな状況の善し悪しは、サラリーマンのエネルギーを大きくしたり消耗させたりする重要な要因なのである。(p.51)


社内のメールログから組織内の人間関係を抽出し、コミュニケーションフローの改善を図るというビジネスがあることが紹介される。この分析に基づき適切に席替えやフロアのレイアウト替えを実施することで業務効率を上げる方法を提案するというビジネスである。それを聞いた学生が上記のように言い、皆笑うわけだが、それは笑い事ではなく、実際に重要な点を突いている。

現に今の職場の私の座席配置が非常に良くないものであるため、この点は今まさに私が感じている問題をついているので琴線に触れたりした部分がある。



 ざっくりといって、ハイ・パフォーマーはそれ以外の人よりも、1.7倍の信頼・協調関係を持ち、周囲の人々の信頼・協調関係を取り結ぶ力が8倍強かった。ハイ・パフォーマーは社内の人々の信頼・協力関係を媒介する位置におり、社内の信頼・協力の関係を連結させていた。つまり、ハイ・パフォーマーのネットワークは、信頼・協力関係が成立しているペアや三者関係を含んでおり、これらの小さな信頼関係の連鎖を担うのがハイ・パフォーマーである。お願いと感謝のネットワークの、まさにハブである。(p.62)


個人のパフォーマンスも、ある意味ではネットワーク中の関係の中で発揮されている面もある。



 まず、組織のなかで人々が形成するヒューマン・ネットワークは、その組織にとっての貴重なソーシャル・キャピタルである。ソーシャル・キャピタルとは、社会関係資本とも訳される、ある集団における個人の持つ力の単純合計以上の、人々の相互の関わりやネットワークから生まれてくる「プラスαの力」を意味する。個人個人の持つ能力や資質は一定だが、上司・部下の関係、グループのあり方を変えるだけで、同じ集団が元以上の能力を発揮できる場合がある。良いリーダーが作るチーム、相性の良いコンビのようなものだ。能力がある人間でも、相性の悪い上司に仕えさせられたり、仕事のペースの合わない人と組まされたりすると、もともとの力さえ発揮できなくなってしまうことがある。こういう、足を引っ張る関係は、負のソーシャル・キャピタルだ。(p.72-73)


本書のような立場からはネットワークの布置(繋ぎ方など)を変えることによって問題を解決するという処方箋くらいしか出てこない。しかし、必ずしもそれは容易に実行できない場合が多いのではないか?そこに難点があると思われる。



 およそ上司たるものは、人間関係に敏感でなければならない。(p.75)


その通りである。



 良き人間関係には、抑止力があるのだ。そして良き人間関係の欠如は、暴走を生みやすい。(p.92)


たとえば、犯罪者には良き人間関係が欠如していることが多い、という話。

少し前のエントリーで挙げた生活保護について言えば、生活保護受給者も「良き人間関係」をあまり持っていないことが多い。最近NHKが「無縁社会」という語で提起しようとしている問題も、これとつながっている。



 さて、バラバシら統計物理学者は、どうやら人間関係もWWWページや、脳のニューロンや、送電線や、物流網と一緒でスケールフリー性を持っていると言いたいらしいのだが、第2章で述べたように、いかんせん人間関係のホールネットワーク・データが、世の中には存在しない。生物の代謝マップのネットワークや、特定の大学のウェブサイトを起点としてたどるウェブのネットワーク、特定のHIV感染者の集団、企業の取締役のネットワーク、映画俳優の共演関係などの、一般的な人間関係とはまったく異なる、限定されたネットワークの特性が、およそ「脳細胞、インターネット、食物連鎖、人間社会……。どれも同じ法則に従って、つながっていた!」(マーク・ブキャナン 『複雑な世界、単純な法則』草思社、2005年の帯)と言われる根拠なのだ。この世界に存在する人間の、目に見えない友人・知人関係がスケールフリーかどうかは検証されていないままなのだ。(p.109)


数学や統計物理学系のネットワーク研究者たちが求める普遍主義的な傾向に対する社会学系の著者の側からする批判。

こうした言説も現時点の研究の状況では必要だとは思うが、ホールネットワーク・データがないのだから、著者が「限定されたネットワーク」が一般的な人間関係と「まったく異なる」と言う根拠もまたないのではないか、と批判することはできる。相対化しようとすることは必要だが、著者の場合はやや勢い余ったな、という感じがある。



 以前もどこかで書いたが、紐帯の強弱と、その紐帯が構造的にブリッジになっているか否かはまったく異なる次元の話であり、グラノヴェターがかの名論文で書いた“弱い紐帯の強さ”は、弱い紐帯の強さではなく、ブリッジの強さにほかならない。(p.214)


なるほど。



人には、その人が好きなモノ、その人が聞きたがっている話が集まってくる。
 この意味でも、他者からわかりやすい存在でいることは力である。物や人を引き寄せたいと思えば、何がほしいのか、何を求めているのかを、他者の目にわかりやすくしておくことである。(p.229)


確かに。



自分が能動的に築き上げていく関係よりも、自分が受動的に受け止めることしかできない関係にこそ細心の注意を払うべきである。なぜなら、そこには、その人の本質が現れるからだ。
 ……(中略)……。
 自分が誰を好きかは、自分には自明だ。わからないのは、誰が自分を好きなのか、である。自分から能動的に誰かに頼り、誰かに助けてもらおうとすることはできる。能動的なアクションは起こしやすく制御しやすい。一方、自分に向けられた好意、自分へさしのべられている善意は、なかなか感知できない。自分に向けられていて自分がまだ気がついていない、他者からの潜在的な援助や愛情、避けるべき悪意や妨害も含めて、他者から自分に向けられてくる関係を、どこまで認知、制御、活用できるかが人生の豊かさを大いに左右する
 自分から能動的に関係を作って活用していくのは当然として、同時に、その時に他者からすでにさしのべられている関係を見落としていないか、それを考えてみてほしい。(p.234-235)


よく言われること(「ポジティブ・シンキング」的な主体性を重視する精神論的言説)の盲点を突いている。


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