アヴェスターにはこう書いている?
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島田誠、森栗茂一 『カラー版 神戸 震災をこえてきた街ガイド』

 最初、官営鉄道(現JR)は、大坂から「三ノ宮駅」(いまの元町駅付近、小ステーションとよばれた)を経て、ぐるっと回って海沿いに少し南にある兵庫をめざし、その手前に「神戸駅」をつくったのです。一方、1888(明治21)年、山陽鉄道(私鉄)が明石-兵庫間を営業し、翌年、神戸駅まで延長して、官営鉄道とつながりました。1901(明治39)年には下関までつながりましたが、1906(明治39)年に国営化されました。神戸駅付近のこの曲がりには、当時の官営鉄道と私鉄との連絡という歴史が隠されていたのです。(p.10)


これとほぼ同じようなパターンが現在のJR小樽駅とJR南小樽駅の間に見ることができる。こうした鉄道路線の一見不必要なカーブは、同じような鉄道の連結の歴史と関係があるものが多いのかもしれない。



 ところが、この六甲山は、江戸時代後期には「青い山脈」ではなく、はげ山だったのです。
 その原因は、江戸時代前半の商品経済にあります。江戸時代の「寒村」が一気に近代都市神戸になったのではありません。神戸は、天下の台所・大坂(明治以降は大阪)をひかえた商品経済の発達した農村でした。六甲山から落ちる急流を利用した水車で、菜種油を絞り、小麦を製粉してそうめんをつくり、酒米を精米し、つくった酒を樽廻船で出しました。地方から労働者を集め、夜なべ仕事で、出荷用の俵・縄をつくっていたのです。そうすると、薪として切られたり、夜なべ仕事用の小灯の松根が掘られて、はげ山になりました。松根は油脂が多く、明るく燃えるので、夜なべ仕事には必要でした。
 近代に入って、植林、治水を徹底して、今日の緑豊かな六甲山ができたのです。(p.21)


上の引用文で小樽の事例と同じであることを述べたが、これも同じく小樽にも似た事例がある。小樽の場合は明治時代に入ってからであるが、近隣の山が鰊の加工のための薪として切り出されて同じようにはげ山となっていそうだからである。

近代の日本の港町は類似した歴史を持つことが多いように思われる。このことについて認識を深めたのが本書を読んだ収穫の一つである。個別の幾つかの都市に詳しくなっておくと比較が可能になるので、他の都市の特徴が見えやすくなるのは利点である。(逆に、先にモデルがあることによって見えるはずのものが見えにくくなることもあるのだが、全体としては利点の方が大きいように思われる。)



 大和田橋のかかる兵庫運河は、瀬戸内海から神戸に来る小船が、安全にはやく神戸港に入るために1898(明治31)年に開かれました。近年ではほとんど役割をはたしていませんが、キャナルプロムナードがつくられるなど、市民の水辺として再生されることが期待されています。(p.38)


また小樽との比較で言うと、小樽運河の完成は1923(大正12)年だから25年も遅いが、運河を建設するか埠頭を建設するかなど本格的な港湾整備のための議論は兵庫運河が完成した頃から始まっていたことが知られている。港湾整備の必要性は日本では明治の中期頃にはかなり重要な問題だったのかもしれない。



 今日では、仏教は葬式のためにあると思いがちですが、それは江戸時代にできた檀家制度以降のことです。行基は庶民生活のために、ため池や橋をつくりました。港の整備もその一環です。浄土教は、自給自足する農民だけでなく、海港や街道で運輸にかかわる人々、遊女などの信仰が厚かったのです。古代・中世の仏教は民間開発デベロッパーであり、流通・サービス産業(第3次産業)で働く労働者の救済のために信仰をひろめたのですが、現代の兵庫の寺院も、非日常の災害や日常の喜び(芸能)を記憶する場所となっています。(p.38-39)


宗教は政治的な現象であるというのが、私の基本的な捉え方だが、ここでは「民間デベロッパー」と表現されているものの、基本的には私とほぼ同じような側面を捉えている。

ただ、僧侶は単に経済的な力だけでなく政治的な発言力をも持っていたはずだし、また、こうした「開発」によって信徒を得るわけだが、それはあたかも政党が票や党員を集めるのと同じであるということを考えると、「民間」という表記はやや不適当であるというのが私の見解である。この言葉が思い起こさせるよりも、もっと政治的な現象であると考えた方が妥当であろう。


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