アヴェスターにはこう書いている?
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近藤治 『新書東洋史6 インドの歴史 多様の統一世界』

 あとに示す地図をご覧になればはっきりするように、植民地前の国内交通路として大動脈的幹線道をなしていたのは、ガンジス河口に近いベンガル地方からパトナ、ベナレス、アグラ、デリー、ラホールをへてペシャワールへといたる道路であった。(p.70)


インドの北部を東西に横断するようなルートであることがわかる。北インドの主要な都市がほぼ網羅されている。



 イギリスに徴税権、つまり実質的支配権がゆだねられたということは、貿易関係のうえから見るならば、この地方から上ってくる地租収入でもって、インドおよび東方の物質を容易に買付けることができるということである。本国から銀貨一枚さえ持ちこまなくても、垂涎の物資だけはどんどん自国に入荷してくることが可能になったことにほかならない。その結果が、インドにどのような経済的事情を産み出してくかは、おのずと明らかであろう。それは、まさに輸血をいっさいせず、ただ一方的に太い注射器を打ち込んで血を抜き取りつづけていくに等しい効果を持つものであった。
 イギリスがベンガル地方の植民地化に踏みきって以後、インドからの「輸出」――いっさいの見返り品を与えない掠奪と同じ意味をもつ「輸出」――の量は飛躍的に増大していった。(p.177)


1757年のプラッシーの戦いの後、イギリスは1765年にベンガル、ビハール、オリッサ地方の徴税権を割譲させることに成功した。また、これに先立つ七年戦争でもイギリスは勝利し、1763年のパリ条約ではフランスをインドから事実上撤退させていた。こうしたことがイギリスがインドの富を吸い上げて力をつけていく大きな契機となった。いわゆる「産業革命」がこの頃以降急速に展開していくのは偶然ではなく、むしろ、こうした背景が要因となってもたらされた事態が表面化するときに起こった現象を「産業革命」という名で呼んでいるに過ぎないと言っても過言ではないのではなかろうか。大雑把な言い方になるが、一言で言えば、大英帝国の覇権は、フランスに競り勝ち、インドという土台を手に入れたことにより成り立った、とでもなろうか。

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