アヴェスターにはこう書いている?
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J.バーネット 『都市デザイン 野望と誤算』

ロンドンやニューヨークと同様に、1920年のパリは、株式取引所を中心とする金融街や都心の市場地区(レアール)や市政府のセンターを有していた。「華やかな」方角は西方に向かい、劇場街を通り、オースマン・ブールヴァード沿いの百貨店街を越え、シャンゼリゼ通りの北まで拡大していたミッドタウン地区へと続く。その向こうには十七区の高級住宅街がある。「華やかな」郊外は概して西に伸びており、「華やか」でない側は東側にあった。(p.158)


パリの構造を的確に捉えている。大まかな方向性としては現在でもこの傾向は続いている。



ル・コルビュジエの優先順位はのちに変更されるが、新しい秩序における彼のもともとのヴィジョンは、エリート層のためにデザインされたものであった。(p.161)

ル・コルビュジエにとって、権力はイデオロギーよりも重要であった。(p.161-162)


ル・コルビュジエは建築関係の概説書では、あまり批判されずに取り上げられることが多いように思う。本当は、このように(専門家仲間だけの論文などではなく、一般人の)人目につくところで批判が行われるべきであると思う。

権力がイデオロギーより重要だというのは、大抵の建築家にとって当てはまるだろう。建築というのは、金がかかるものであり、権力との関係が深い行為だから。



 サンテリーアは第一次大戦で死去したので、参加していた未来主義運動が、のちにムッソリーニのファシスト・イデオロギーに吸収されてしまうのを知らない。彼は、古きものをすべて置き換える、新秩序のヴィジョンに含まれる暗黙の問題――このヴィジョンを達成する過程において、古い街並み(アーバン ファブリック)やその居住者の権利に何が生じるのか?――について、直面する必要もなかったのである。サンテリーアの未来都市が、ミラノの刷新を意図していたのでないことは明らかである。しかし、新しい都市世界を完全に描くことによって、サンテリーアは既存都市の刷新を人々に吹き込もうとした。1925年のル・コルビュジエのヴォアザン計画は、パリ都心部の大部分を刷新することを明確に示唆した。近代主義と未来主義の違いは、程度の差異である。近代主義者がセンチメンタルな理由により過去の残余を受け入れたがるのに対して、未来主義者は社会をもっと全体的に変革することを想像し、新しい種類の環境への熱狂のあまり、過去の残余を跡形もなく消し去ろうとする傾向があった。サンテリーアがドローイングで示したような未来に迎合しようと突進することが、1960年代から1970年代のメガストラクチュアリズムにおける、ひとつの中心的要素となるのである。(p.220)


こうしたラディカルなものであったことと、未来主義は現実に建築として残るものが少なかったこととは深い関係がある。現実化しなかったからこそラディカルでいることができたし、ラディカルであったから現実化できなかったという面もある。



 本書で示したように、各々の時代における都市デザイン・コンセプトは、都市地域全体に形を与える総合的な解決案として提唱されたが、それらの提案はいずれも期待されたほど効果的なものではなかった
 1909年のシカゴ市計画において、ダニエル・バーナムとエドワード・ベネットが提唱したモニュメンタルな都市は、高層ビル群の形成や民間不動産投資に特徴的な跛行的開発をコントロールするためのメカニズムを供することができなかった。
 田園郊外は、19世紀に進化した際には、都市に対する反動であった。田園郊外は、もともと都市の代替物として意図されたものではなく、中央業務地区の存在に依存するものであった。郊外の代わりとして、自己充足的な田園都市が必要であり、田園都市を続々と建設することにより古い大都市を代替しうるとして、田園郊外を総合的な都市デザインのコンセプトに転換したのが、エベネザー・ハワードであった。自動車の普及を通じて都市が拡大したため、ハワードが鉄道の時代に構想したような規模や範囲に、田園都市を制限することがほとんど不可能となり、都市機能の分散が、郊外と都心との従来の関係を弱めた。その帰結は、今日の郊外化した大都市でお馴染みの交通問題である。どこへゆくにも遠くドライヴに頼ることになる。
 近代都市のコンセプトもまた、19世紀における都市の進化に対する反動であった。通り(ストリート)と広場(スクエア)で供された都市構造の古くからの形態は、公園のような敷地の中に建つ独立ビルディングへの熱狂の前に打ち捨てられた。このデザイン・アイデアにおいて暗黙的に存在するのは、歴史的あるいは感情的な理由で維持された数少ない建造物を除いては、都市を完全に再開発すべきであるという信念である。それゆえ、新旧の建築物の間における非調和は存在しない。近代建築は、19世紀や20世紀初めの建築物を特徴づけていた形式の多様性というものを、単一で統一した建築上の表現で置き換えることができるだろうという期待でもあった。しかし、どちらの期待も正当性を示すことができなかった。(p.254-256)


本書の結論部分の一部を抜粋。

都市デザインは単一のコンセプトによっては総合的な解決をもたらすことができなかったし、今後もできないだろう、というのが本書の主張であろう。本書の結論(p.261)では「いま望まれるのは、目的をすべて満たす都市デザイン・コンセプトではなく、経済的・社会的変動のプロセスと都市デザインを統合する新しい方法である」と述べられている。モニュメンタルな都市、田園都市、近代都市、メガストラクチュアという4つの類型的な都市デザイン・コンセプトを抽出し、それらの展開と限界などを描き出すことでそれを述べようというのが本書の主な筋書きであると思われる。

◆田園都市は交通の変化によって構想された通りに実現されることはなかった。19世紀の建築では中世がモデルとされることが多かったが、こうした都市デザインもまた同様の中世への憧憬ないし回顧を含んでいる。社会的環境が変わっているため、それに適応した形で再構築しなければ、その期待した効果を得ることは難しい。しかし、現実の世界は変化し続けるため、一時的に社会的環境をうまく捉えたとしても、それが持続する保障はない。

◆さて、近代都市のコンセプトの暗黙の前提が指摘されている箇所は非常に興味深かった。こうした信念は、私が以前少し調べた小樽運河やその周辺の歴史的建造物の保存に関する場面で起こっていたことでもあったからである。

運河埋め立てを決定した行政側の主張はまさにこの「近代都市のコンセプト」であり、「完全に再開発すべき」という方向性で始まっていた。反対運動が高まりを見せ始めたころに、当時の市長だったか市議会だったか忘れたが、いずれにせよ行政側は特に歴史的価値が高いとされる倉庫(現在、「運河プラザ」として活用されているシャチホコが屋根に乗った倉庫)には価値を認めたものの、それ以外は取り壊しもやむを得ないという立場を表明したことがあった。これはまさに「歴史的あるいは感情的な理由で維持された数少ない建造物を除いては」という本書の指摘そのままであり、これらのいきさつが念頭に浮かんだため印象に残った箇所である。

この近代主義のコンセプトはその後、様々な批判を生み、見直しが進められてきていると思うが、やはりこの過度に普遍主義的な発想が権力により押し付けられるとすれば、反対が起こって当然である。小樽運河の保存運動もまさにそうしたものであった。

世界は一色に染まることはなく、常に多様性を持つように成り立っているのである。

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