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山室信一 『日露戦争の世紀――連鎖視点から見る日本と世界――』

 ちなみに日本では、1858年以降にアメリカはじめ各国と結んだ修好通商条約によって領事裁判権が設定され、関税自主権が否認されましたが、領事裁判権は1894年の日英通商航海条約によって初めて廃止されました(1899年施行)。また、関税自主権は1911年の日米新通商航海条約によって回復されました。1911年は明治が終わる一年前にあたりますから、1905年の日露戦争によって「一等国」の仲間入りをしたという自負にもかかわらず、日本は明治期のほぼ全般を通じて不平等条約の制約下にあったことになります。(p.8)


明治の後半にこれらの権利が回復されていったのだが、対外的な膨張が始まる時期とも当然ながら附合する。



 要するに、日清戦争に至るまでの、日中間の対立の核となっていたのは、朝鮮を冊封体制にとどめておくか、主権国家体系に組み入れるか、ということでした。そして日清戦争とは、文明国標準に達することを国是とする日本からみるかぎり、国際法を受け入れた「文明国」としての日本と、国際法を拒否して冊封体制に固執する「野蛮国」としての清朝との戦争ということになります。……(中略)……。こうした使命感と自負心によって戦われた日清戦争においては非戦、反戦の声があがる可能性は少なかったのです。(p.24-25)


この時代が国際政治のシステムの転換期だったということは確かであり、客観的な情勢から判断する限り、早晩、戦争に強いシステムである主権国家体系が支配的になることは避けられなかっただろう。

後段は、当時の言説の状況を理解する上で重要な指摘。



 こうした三国干渉の結果、東アジアにおけるイギリスの優位性を覆して自国の勢力拡張をめざすという意味で、ロシア・フランス・ドイツの間に日清戦争以前から成立していた「東アジア三国同盟」とも称される一種の反英ブロックが、より明確なかたちを取ることになりました。これに対して、三国による中国分割に、日本とイギリスが提携して対抗するという気運がうまれ、それが日英同盟から日露戦争に至るひとつの底流となっていきます。(p.57)


分かりやすいまとめ。



しかし、租借・割譲は土地の所有・占有そのものが目的だったわけではなく、後背地を含めて鉱山開発や鉄道・港湾の使用などによる利権の獲得が進められることになります。(p.65)


植民地支配の目的と基本的に同じである。こうした利権で経済的な利益を得るのが巨大な資本を持つ企業であり、各国の政府はそうした企業によって対外的な活動の方向性が規定される。



 しかしながら、黄禍論を覆し、対露戦に勝利を得るためには、日本が欧米と同質の「文明国」であることを内外にアピールする必要もありました。日露戦争前から興った非戦論が戦時中であるにも拘らず、それが容認されたとい近代日本史のなかでも特異な現象は、こうした広報戦争の文脈から理解できます。すなわち、日本では国是とは異なる非戦論をも認める。宗教や信仰、思想表現の自由が憲法で確保された文明国である、とアピールする必要があったからこそ、内村鑑三や安中教会牧師・柏木義円などのキリスト教徒の非戦論や『平民新聞』紙上での幸徳秋水、堺利彦らによる社会主義に基づく言動も容認されたのです。しかし、戦勝が濃厚になれば、そうした配慮も必要なくなり、『平民新聞』もしばしば発禁に処せられた後、1905年1月には廃刊に追い込まれました。
 日露戦争終結とともに政府にとって問題となったのは、このようにして戦時中に急速に部数を伸ばした新聞や雑誌などをどのように指導、統制していくか、ということでした。(p.157)


なるほど。当時の言説の状況を理解する上で参考になる。



 19世紀以降の日本人の世界観を長く規定してきたのは、西洋と東洋と日本から世界が成り立っているという見方であり、それは現在でも大学における歴史学の講座編制の基礎となっています。そうした見方がいつから現れたのでしょうか。それは、1894年、日清戦争の年に中等学校教科課程に関する研究調査委員会において歴史学者の那加通世によって中等学校の歴史学における教科区分として提唱されたものでした。この三区分には日本が対抗していくべき他者としての存在が、西洋と東洋におかれていたことが示されています。(p.199)


西洋、東洋、日本という三区分が現れたのは意外と新しいことであることがわかる。しかし、今ではこの区分に説得力を感じる人は少なくなっているだろう。

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