アヴェスターにはこう書いている?
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石田潤一郎、中川理 編 『近代建築史』

 19世紀末、鉄骨構造に遅れて、鉄筋コンクリート構造の技術が発明される。……(中略)……。鉄筋コンクリートが、20世紀の新しい建築構造技術として広く用いられるようになるのは、ドイツで標準仕様書が完成された1916年以降のことである。(p.5)


日本で広がったのもこの時期からそれほど遅れていないように思われる。



 外国人の活動について特筆すべきは北海道である。この地では国の機関である開拓使がアメリカ人技師の指導のもと多くの洋風建築を建設した。今日「時計台」として知られる[札幌農学校演舞場](ホイーラー、1878)や[豊平館](安達喜幸、1880)【図2-3】が代表作である。そこでは、米国で独自の発達を遂げた木造構法が直接的に日本にもたらされ、北海道の風土に適合していった過程をみることができる。(p.15-16)


米国で独自の発達を遂げた木造構法というのは、バルーン・フレームのことだろうか。いずれにしても、北海道は日本における近代建築の受容という点においても本州などとはやや異なった状況にあったようだ。



 初期洋風建築の外観上のもっとも大きな特徴はベランダである。ベランダは、18世紀にポルトガル人がインド建築の形式を摂取して南方植民地建築の手法として多用したことにはじまるといわれ、オランダ、イギリス人らに受け継がれて日本まで到達したものである。(p.16)


コロニアル建築でベランダが多用されていることは知っていたが、インドの建築にその原型があったというのは知らなかった。原型はどのようなものだったのか興味があるところである。



 技法面で特筆すべきは、外壁仕上げの変化である。早い時期には洋風建築の外壁はしっくい塗の大壁とされるのが通例であったが、1890年ごろを境に下見板張りに取って代わられる。西洋風の下見板は米国において最も広く使用されており、米国建築を体系的に導入した北海道で1872年ごろに現れたのが早い例で、東京でも1874年の[工部省庁舎]、翌年の[大久保利通邸]などで採用されている。北海道の作例は米国流の幅の狭い下見板だが、他地域ではより幅広の板を用いる技法が普及する。(p.22)


北海道の下見板張りもアメリカの建築の影響下に普及したようだ。



つまり「表現主義Expressionism」とは、外界の印象impressionに基礎をおく「印象主義Impressionism」とは異なり、人間の内面表出expressionに基礎をおくという点である。すなわち、表現主義は印象主義の対立概念であって、西洋芸術思潮において「後期印象派」以降の動向の最後に位置し、1920年代後半に登場する「構成主義」や「新即物主義」の揺籃期を形成するものなのである。(p.79)


表現主義が印象主義の対立概念というのは、日本語の訳語を見ていると見えにくいが、英語やヨーロッパの言語で表現すると見えやすい。

印象主義が絵画では点描などの手法に傾いていったように、ある種の客観性を追求する動きであったのに対し、表現主義は内面を形として表出しようとする主観性を前面に出したものであるという印象を私としては以前から持っていたが、そうした感じがこの対立概念であるという説明のおかげで納得がいった。


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