アヴェスターにはこう書いている?
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小野善康 『現代経済学入門 金融 第2版』

 すなわち、需要不足がもたらす不況は貨幣経済に特有の現象であり、人々の飽くことのない流動性保有願望によって引き起こされる。またそれは、生産能力が高く、物欲よりも金銭欲がまさっている国ほど起こりやすい。(p.60)


小野の主張の基本的な部分をなす考え方の一つがこれであろう。

本書を読んでやや違和感を感じたのは、人々の欲求のみによって説明する傾向が強い点であろう。人々が財を消費しようとする傾向が強くても、それ以上に生産性が高ければ不況になってしまうと思われるからである。

人々の主観的な欲求に焦点化した説明からは、「人々の消費意欲を喚起する」という政策的インプリケーションが引き出されるが、消費意欲さえ喚起すればそれだけで需給のギャップが解消されるという保障はないように思われる。例えば、トヨタで生産した自動車をすべて日本国内で販売するとしたらどんなに消費意欲があっても難しいのではないか?韓国のサムスンでつくった液晶テレビを韓国内で消費しようとしても土台無理な話だろう。そうした点を見落としやすい説明になっている点に私は違和感を感じたのである。



 このとき、すべての労働力nが雇用される場合の生産量はf(n)からθf(n)に拡大するため、完全雇用であれば効率化は国民所得を引き上げ、国民生活を豊かにする。しかし、人々の流動性選好がある程度までしか下がらず、そのため消費意欲に限りがあって、経済がl曲線との交点Eにあれば、効率化によって交点はEからAに移動し、有効需要はcからc'に減少してしまう。つまり、不況のもとでの生産性拡大は人余りを激化させ、かえって不況を悪化させる。(p.74)


この点が多くの人に理解されれば、現在の日本において妥当な経済・財政政策とはいかなるものであるかの合意はかなり得やすくなると思われるのだが、新古典派的な完全雇用の世界しか頭に思い描けない人や、そもそもそれすら思い描けず、個別の家計や企業の経営とのアナロジーでしか考えられない人が多いというのが現状だろう。(後者などのような人は、そもそも政策を論じる資格はないと私は考える。)もう少しこのあたりを一般大衆に向けて説得的に説明できる論者の登場を期待したい。

(本書は学生向けの教科書として書かれているようなのだが、普通の平均的な学部生が一人で読んで全部理解できるほど簡単ではないと思われる。)



 政府需要や政府雇用の場合とは違い、失業手当や定額給付金などの政府移転や定額減税のように、財の購入や雇用をともなわず直接家計に資金をわたすだけでは、有効需要にはまったく影響がない。(p.82)


本書の後の方で説明されるが、これらは所得格差を縮小することによって社会全体の消費性向を高めることで需給ギャップを小さくする効果があるだけである。



 平成不況では、公共事業の是非について意見が対立し、景気重視派はそれが民間の消費を刺激すると主張し、いわゆる構造改革派はそれがクラウディング・アウトを引き起こして消費を減少させると主張した。本節の議論から、この2つは景気の状態によっていずれも発生し、いずれかがつねに正しいわけではないことがわかる。完全雇用であれば、公共事業などによる雇用の増大は消費のクラウディング・アウトを引き起こすが、人々の購買意欲が低く需要不足であれば、デフレ緩和を通して消費を刺激する。(p.85)


完全雇用と失業がある場合で政策の効果が正反対になるというのも小野の理論の特徴の一つだと思うし、この切り口は政策決定において極めて重要な点だと思われる。

平成不況では完全雇用は達成されていないのだから、構造改革派の意見は誤っており、景気重視派の公共事業の方が妥当であると言える。「無駄な公共事業」などとよく言われたが、構造改革派的な方向性よりは正しいことをしていたのだという認識を持つことは重要である。

問題は、公共事業を行う前に(累進性を失わせる方向で)減税をしていたため財政を維持できなくなる懸念が生じてきたことである。その80年代末から90年代を通して税金を安くしてきたツケがこれから回ってくるわけであり、増税は早ければ早いほど良い(ダメージが小さく抑えられる)。その際、税目は何かということよりも累進的に増税することがポイントである。



 完全雇用のもとでは、すべての労働者が働き、自分が貢献した分の所得を得ている。そのため、政府が彼らを雇用し、彼らの作り出した財・サービスを購入すれば、その分の価値が民間から失われる。また、政府は、彼らが民間で得ていたのと同額を物品費や賃金で支払わなければならないため、財政支出額がそのまま民間から失われる財・サービスの価値、すなわち社会的費用を表している。さらに、完全雇用であればそれ以上の雇用創出はできないから、便益としては(1)の直接的便益しかない。したがって、政府需要や政府雇用の是非は、財政支出額が直接的便益を上回るかどうかで判断される。
 しかし、失業があれば、政府需要や政府雇用は余剰労働力を新たに働かせるだけだから、民間のための生産は阻害されない。また、政府が現在働いている人を雇っても、欠員は余剰労働力で埋まる。したがって、社会的費用はゼロであり、政府の支出額は再分配の規模を表すだけになる。また、便益については、(1)の直接的便益だけでなく、(2)の雇用創出による消費増大効果(図6-1)もある。そのため、社会的費用を考慮しても、(1)と(2)の合計便益がそのまま純便益となる。このことから、不況期には直接的便益がわずかでも政府需要や政府雇用を増やす方がよく、そのなかでも、多くの人を雇用し高い直接的便益を生むものほどよい、という結論が得られる。
 このように、政府需要や政府雇用の是非は、完全雇用か失業かによって判断基準が大きく異なる
 なお、政府需要や政府雇用の増大による消費刺激効果は、不況下のデフレ・ギャップの縮小を通して働くだけである。そのため、失業数に対する雇用創出規模の割合が重要であり、平成不況期のように完全失業者だけでも400万人に上るような深刻な状況では、通常の規模の財政拡大では大した効果は生まれない。深刻な不況を戦争によって脱した例は多いが、それは戦争が大規模な政府需要や政府雇用をともなうからである。しかし、戦争の直接効果は便益ではなく破壊や人命喪失であり、消費刺激の便益をはるかに越えるマイナスをもたらす。
 つぎに、失業手当や補助金などの政府移転について考えよう。政府移転では誰も雇わず何も作らないから、政府需要や政府雇用の場合のような費用も便益もなく、あるのは、政府が人々から税金を取って人々にわたすという再分配だけである。したがって、消費や生産を刺激も抑制もしないから景気への効果はない。本節の分析でも、政府移転には効果のないことが示されている。(p.86-87)


財政支出に関する効果についてのまとめ。

なお、政府移転ではこの章の分析の前提条件の下では効果はないとされているが、消費性向の異なる家計の間の再分配がなされることによる効果がある。この効果は政府需要や政府雇用にもついて回るので、引用文で述べられている効果よりも実際の効果はもう少し大きい。

深刻な不況下では財政政策による効果もあまり期待できないことが述べられているが、この点こそ、現在の日本の経済・財政政策が直面している最大の困難であろうし、このように政府にはほとんど打つ手がないからこそ、人々の期待に応えることができない状態が継続することになるという面があり、人々は不満を持っているにもかかわらず、政府が従前な対策を打てないことが、政治的な不安定要因となっていると思われる。



物の購入にあてる費用は、すべて原料の掘り出しや中間財生産など、その製造にかかわる人々への支払いになっているため、人件費と同じである。(p.91)


なるほど。いわゆるハコモノもそれを作った人々への支払いであり人件費として分配されたということだ。また、ランニングコストがかかるという点もその維持のための人件費であり、人への再分配である。



実は不況とは、貨幣がバブルを起こしているために起こる現象である。(p.181)


簡潔且つ的確な表現である。このエントリーの最初の引用文と同じことを言っているのだが、この方がインパクトがあり、直観に訴える。



 このように、不況定常状態とは、貨幣がバブル経路に乗ってその実質価値が拡大し続けているにもかかわらず、人々がその流動性を求め続け、購買力を消費に回さず貨幣保有に回すために、有効需要が不足する状態である。(p.181)


こうした理解がもう少し多くの人に共有されれば、採用しうる政策の選択肢の幅も広がると思うのだが。



 上記の分析から、不況に陥った経済が本格的に景気を回復させるには、社会不安の除去(βの下落)とともに、貯蓄するよりも消費したいと思わせるような製品がつぎつぎと開発されることが、大変重要であることがわかる。(p.187)


不況下におけるイノベーションの重要性。しかし、不況下ではイノベーションにまわす金も減らされやすいというジレンマがある。この点を踏まえて政府が補助金などを出すことが重要になるのだろう。その意味では適切な経済・財政政策を決定するためには「事業仕分け」のような削減方向の方法とは逆方向のプロセスが必要ではないだろうか。



 企業努力には、同じ製品をより効率的に生産することと、魅力的な新製品を作ったり販路を切り開いたりして新たな市場を作ることがある。これらはいずれも企業業績を引き上げるが、経済全体に与える影響はまったく反対である。同じ製品の生産性向上では、第5章第4節で示したようにかえって不況を悪化させるが、新たな製品開発は消費者の購買意欲を刺激して景気を拡大させる。しかし、不況では新規需要は見込めないから、企業はコストのかかる新製品開発より安上がりの効率化と人員削減に向かい、不況を長引かせる傾向がある。(p.188)


こうした合成の誤謬を防ぐことが社会全体の観点からものを見る政府の役割だと思うが、部分しか見えない人達が多いため、まともな役割を果たせなくなっているところが歯がゆいところである。



 そもそも経済政策の目的とは人々の効用を拡大することであり、そのため本当の意味の経済効率とは、どのくらいの財やサービスが生産されて人々の役に立ったかで測られる。したがって、失業で生産機会が失われること自体が大きな非効率であり、それなら1人1人の効率が下がっても、多くの人が働いて何かしらの役に立っている方が効率はよい。さらに、100人が70%の能力で働くのと、50人で100%の能力を発揮して残りが失業しているのでは、働いている人だけに注目すれば後者の方が効率的でも、経済全体では前者の方がよい。
 したがって、たとえ景気改善には何も効果がなくても、失業していた人が少しでも社会に役立つ仕事をする方が、失業を放置するより効率的である。(p.195)


このあたりの考え方は、初めて小野の本を読んだ頃には衝撃的だったところだが、今読むと「当たり前だろう」とか思ってしまうところでもある。早くこれが世間の常識にもなってほしいものである。



 本当の負担とは税金を払うことではなく、政府が労働力を財・サービスを使ってしまい、人々の消費できる財・サービスが減少することである。(p.195)


こうした状態は完全雇用の状態では起こるが、不況下では基本的には起こらないと考えられる。



 このように、完全雇用では資金の損得がそのまま実際の損得と一致するから、資金だけを見ていればよい。これに対して不況では、資金の損得が社会的な損得を反映しないから(合成の誤謬)、すべてを金額の論理で判断すると、かえって状況を悪くしかねない。そのときには、本来の実物の論理にたちかえり、個々の経済活動の是非をそれが経済全体に及ぼす影響も含めて、実物の面から判断しなければならない。(p.196)


この実物の面からの判断基準が誰の目にとっても明確であればよいのだが、そうなっていないところに多少の難しさがあるように思われる。


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