アヴェスターにはこう書いている?
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木下武男 『日本人の賃金』

 日本の世界に冠たる国際競争力は、企業社会における労働者の統合と、下請系列の活用によるものでした。日本の大企業は、日本特有の生産と労働のあり方を背景にして、低コスト・高品質の製品を日本国内で生産し、それを集中豪雨的に輸出することによってぼう大な利益をあげ、輸出競争力を伸ばしてきました。つまり、海外に出なくても、輸出競争力の強さで利潤があげられたのです。だから、図2でわかるように、日本の直接資本の海外投資は遅れ、1986年から急増しています。(p.14)


経済のグローバル化が進む前のブレトン・ウッズ体制下においては日本では国内で生産した製品を輸出するというモデルで十分な利益を上げられた。86年から海外投資が増えたというのは、85年のプラザ合意による円高が影響しているのだろう。いずれにしても、欧米諸国と比較すると海外への直接投資はかつての恵まれた地位があったために出遅れたという面がある。そのため、急速にそれを進めようとして90年代以降、無理がかかったという面もあるように思われる。



 第三点は、賃金のグローバル・スタンダード(世界基準)は「仕事給」だという点です。「仕事給=悪」論がまゆつばであることは、そもそも世界基準は何か、ということから直感できます。……(中略)……。
 日本の賃金だけが特別ですが、しかし、この国の働く者たちは、豊かで自由な生活をしているでしょうか。むしろ、過労死するような働きぶりが蔓延し、男女賃金格差が大きく、そして先進国のなかで最も労働運動が遅れている特殊な国です。(p.52)


「仕事をする人」ではなく「行われる仕事の内容」によって賃金が決まるというのが、G7では通常であるということが示されている。

現行の日本の仕組みを一挙にこうした仕組みに変えることは極めて困難だろうが、属人的な賃金体系よりは「仕事給」の方が客観性が確保できそうだということが見えてきたのが、本書を読んだ私にとっての収穫であった。



 「仕事」を基準にすると、この個人の属性がなくなるので、経営側が個々の人間に即して処遇することが不可能になります。……(中略)……。
 以上のことは、労働者が、属性を失い、労働力商品を保有しているという唯一の「形式」、そのノッペラボウな存在になることを意味します。労働組合は、その労働力を束ねて、労働力商品をバーゲニング(売買)する団体であり、欧米の経営者も、そのことを理解し、賃金を決める交渉相手としてユニオンを認めています。(p.59)


「仕事給」が客観性を確保しやすい理由と、そのシステムにおいて労働組合が持つ意味について簡潔にまとまっている箇所。



 「仕事」は企業を超えたスタンダードになりうる基準です。ヨーロッパの労働者は企業意識が希薄で、逆に協約賃金に影響を及ぼすユニオンに信頼感をもっているのも、また日本の労働者が企業帰属意識が濃厚で、そこから従業員主義にとらわれているのも、根本的にはこのちがいによるものです。(p.66)


「仕事給」であるからこそ「同一価値労働同一賃金」が可能となるというわけだ。

また、日本では労働運動の力が弱いのは、組合が企業ごとに分断されているからであるという面も強いのだろう。



年功賃金は、前近代の封建的な名残だとか、日本の家制度や日本固有の文化に根ざしているとか、いろいろと議論されてきました。しかし、そうではなく、優れて近代の産物だとみるべきでしょう。たしかに、これらとの微妙な接点はあります。それは次の歴史にかかわるからです。日本では、先にみたようなギルドにおける職業を基盤にした平等システムが確立しませんでした。そして、近代になって、ヨーロッパではそれを引き継いで、職業別労働組合(クラフト・ユニオン)が同一労働同一賃金の原則を確立しましたが、日本ではこれを築けませんでした。これは、文化や意識の問題ではなく、それと関連はしているものの、実際の社会的システム、具体的には、たとえば賃金に関しては同一労働同一賃金という社会システム、この継承性の問題としてとらえるべきだと考えられます。
 なぜならば、年功賃金や、終身雇用制のような長期雇用が芽を出したのは、近代以降、しかも1920年代です。(p.67)


何でも精神・意識や文化の問題として語りたがる人達がいるが、大抵、そうした議論は間違っている。(そうした議論を展開する人の大部分は社会科学的な素養がないというのが私見である。)賃金の問題にも同じパターンの議論がある。



日本は、先進国のなかで男女賃金格差が最も大きく、しかも縮小の傾向を示していません。(p.150)


世帯単位の家計をモデルとして賃金体系が設計されていることが問題。仕事を基準として個人単位に賃金体系を組み直し、個別の状況に対しては社会保障制度を体系的に適用することによって対応するというのが目指すべき理想のうちの一つだろう。



 職務給における職務等級の最低レベルの賃金額、あるいはヨーロッパの協約賃金における「労働の格付け」の最低レベルの賃金額、このような賃金の水準は、男性であれ、女性であれ、年功賃金における単身者賃金ではなく、一人前の労働者が生活を営むことができる基準賃金です。だから、年齢とともにそれほど上昇しないといっても、賃金上昇の出発点が年功賃金とはそもそもちがうのです。
 この最低基準は、それ以下での労働力の安売りを許さない歯止めとして機能しており、仕事給の世界ではこの最低レベルから、「仕事の価値」の大きさにもとづいて賃金が上昇することになります。(p.168-169)


確かに、一人前の労働者が生活を営める程度の賃金が最低限のレベルとして設定されているならば、賃金が上昇する必要性もあまりないだろう。また、設定される最低賃金が持つ意味も現在の日本のものとは違ってくるだろう。



公務員の賃金は、日本型職務給や同一価値労働同一賃金を理解する上で大変参考になります。なぜなら、日本の公務員の賃金は、そもそもアメリカの職務給をベースにしてつくられたからです。……(中略)……。
 公務員の職務職階制が、職員=「人間」ではなく、職務(イス)を対象にして分類整理されているところは注目しなければなりません。(p.196-197)


公務員の賃金体系は、今後、日本での賃金体系を構築していく上で、基準を提供しうるものの一つであるかもしれない。すなわち、公務員の賃金も、現実には「日本型年功賃金」に近い運用がなされているとしても、例えば日本の賃金体系を「同一価値労働同一賃金」に近づけようとすれば、公務員の賃金体系は一つの参考とすべきものなのだろう。

しかし、こうした参考になりうるものに対して、個々の人々の反応としては非難(実際には羨望の念の裏返しだろう)を浴びせる人が多く、これを解体したいという願望を持っている人が多い。むしろ、公務員の体系を参考にしながら民間の賃金体系を再構築することが望ましい(人々の生活が改善されうる)方向性ではなかろうか。



すなわち、「同一価値労働同一賃金」の仕事に就いている労働者には、公務員であろうと、民間労働者であろうと、「同一賃金」が支払われるべきなのです。これは、公務員賃金に対する民間からの批判、そして民間と公務員との分断、これらを克服していくことにつながるでしょう。(p.201-202)


同意見であるが、道のりは険しいとも思う。

着手すべきはやはり男女間の賃金格差の解消ではないだろうか。それなしで同一価値労働同一賃金になれば、多くの男性労働者の賃金は大きく下がるので、大多数の賛成は得られないと思われる。


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