アヴェスターにはこう書いている?
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栗原康 『G8サミット体制とはなにか』

現在ではわずか200社から300社の多国籍企業が、世界資本の約四分の一、世界貿易の約70パーセントをコントロールしている。(p.29)


「サミット体制」が一貫して多国籍企業の利益を保守してきた結果、こうした状況が常態化しているというわけだ。



 1980年代、レーガン政権の時代から、アメリカは外交政策の重要課題として、「テロとの戦い」をかかげてきた。911事件以来、この「テロとの戦い」は多くの文献で見られるようになり、戦争を肯定するもっとも有力な名目となっている。一般的に、テロとは「政治的、宗教的、イデオロギー的な性質の目的を達成するために、暴力または暴力による脅迫を意図的にもちいること」と定義されている。この定義は、戦争というよりも「対ゲリラ戦」や「紛争解決」のような治安警察の規定に近いものがある。そして、g>敵と見なされるのは、たいていが市場の自由化に従わない勢力、あるいは国家である。今日の戦争は、グローバル化した経済体制の治安管理という側面が強いといえるだろう。(p.35-36)


確かに、「テロとの戦い」で敵として認定される対象は、市場の自由化に従わない勢力が多いように思われる。

本書によればサミット体制が目的とするものは新自由主義的な市場の自由化であり、サミット体制に与する勢力は、武力をその目的達成の手段として用いるため軍事力を強化してきたとされるが、敵として認定される対象の性質を考えると本書の指摘にも納得させられる。



 こうして見ると、人の移動の増加は先進国や多国籍企業の経済的利益と密接に結びついている。第三世界を貧困におとしいれてきた先進国には、移住してきた人びとを保護する責任があるとさえいえるだろう。だが、先進国の政府はその責任を決して認めようとはしない。むしろ、故意に「外国人嫌い」「外国人への恐怖」を煽り、注意をそらそうとしてきたといえる。人種主義言説は、政府や企業の責任を回避する最たる手段である。(p.38)


「先進国」の政府が意図的に人種主義言説を流布させているとするのは、やや行き過ぎた説であると思われるが、人種主義言説が結果的に政府や企業の責任を回避する手段として機能しているという点は正しい。(結果から目的を「合理的に」推定しているのは不当だが、効果を指摘している点は正しい。)

政府や議会(国会)の中にはそうした責任回避の目的を持って人種主義言説を流布させようとしている者もいるかもしれないが、それはむしろかなり少数派であると思われ、また、彼らの意図もそのままストレートに結果に繋がっているわけではないと思われる。

しかし、実際には、世界大の新自由主義政策によって発生している移民がおり、その震源地はサミットを構成する国の政府にあるにもかかわらず、人種主義言説や排外的なナショナリズムの言説が一部の人々の間で正当なものであると認められることによって、移民を排除しようとする法律や政策が行われ、移民を悪者に仕立てることに成功してしまう、という構造を指摘しているのは全くその通りである。



 1960年代後半から、先進諸国の巨大企業は労働市場の硬直性に行き詰まりを覚え、資本のフレキシブルな動きをどのように保障するのかが課題となっていた。19世紀以来、労働市場のフレキシビリティを担保してきたのは、農村からの追加労働力と産業予備軍とよばれる失業者層であり、多くの企業が必要に応じて、低賃金で雇用できる労働力として、これらの労働者層を利用してきた。しかしながら、1960年代後半になると、先進国のほとんどが農業人口10パーセントをきり、さらにケインズ主義政策のもとで、完全雇用に近い状態が達成されたこともあって、企業がフレキシブルに利用できる労働力がきわめて少なくなっていた。(p.57)


巨大企業が資本の自由化を強力に求め始めた背景要因。

世界システムの中核では既に脱農村化と完全雇用に近い状態の実現によって、安価な労働力を調達できなくなっていたこと。そのため、半周辺的な地域に資本を投下し、それらの地域で安価な労働力を利用して生産を行おうとした。

アメリカの債務により金ドル本位制が維持困難となったことにより変動相場制が導入されたことと、これらの要求は方向性が一致した。こうした流れが「資本の自由化」という方向性でブレトン・ウッズ体制以後のサミット体制が構築するにあたって大きな要因となった。



なぜ、多くの国々で新自由主義への批判が高まっているにもかかわらず、政策の路線転換が行えないのだろうか。
 答えは簡単である。G8サミット体制があるから政策転換が行えないのである。
サミットは成立当初から、巨大企業のための市場整備、こんにちでいうところの新自由主義を推進する役目をおってきた。毎年、ここで取り決められてきた合意は、当然ながら、その年の政権ばかりでなく、引き継がれた政権にも波及してくる。また、G8サミットでの合意は、一国ばかりでなく、G8諸国全体、あるいは第三世界もふくむG8の影響下にある全世界の合意にもなる。こうした合意から、一国だけ突如として抜けだすのは、きわめて困難な作業だといわざるをえない。サミットの合意こそが各国独自で新自由主義から離脱するのを拒んでいる。サミット体制があるかぎり、まちがいなく新自由主義の問題は解決されない。
 また、サミットで交わされる合意が拘束力をもつのは、経済の問題ばかりではない。それはこんにちの戦争にも影響をあたえている。たとえば、イラク戦争のとき、アメリカは国連の反対をおしきって、単独行動主義をとったといわれている。だが、アメリカは文字どおり単独で戦争に踏みきったわけではない。その背景には、世界の市場開放を要求しようというサミットでの自由貿易の合意と、テロとの戦争についての安全保障上の合意があった。国連を超越したサミットという存在があったからこそ、何の正当性もない戦争を敢行することができたのである。G8サミットは、まちがいなくアメリカの単独行動主義を補完する役割をはたしている。(p.157-158)


本書の結論部分。

サミット体制が持つ力の大きさが理解できる。一国の政府は名目上、主権を持っていることになっているが、実際には国際的な政治的な網の目の中で拘束を受けている。ウォーラーステインの世界システム論ではインターステイト・システムという用語を用いてこのあたりのことを説明していたが、本書が提示した「サミット体制」という概念は、こうしたインターステイト・システムの中で働く大きなサブシステムの一つとして捉えることができるように思われる。

IMFや世界銀行などの機関を動かすことで強力な支配力を行使している様が本書では描かれていたが、そうした機関からの持続的な圧力と、サミットによって下された膨大な決定によって、各国政府の政策が拘束を受けており、一国内の事情だけでは政策転換はできないという。各地で反新自由主義の運動が生じていても、システムの網の目の中に組み込まれた個々のノードの動きだけでは、システムの振る舞いを変えることは容易にはできない。システムのメタモルフォーゼを引きおこすための方策が求められているということだろう。


さて、つい先日(7月14日)、IMFが日本の2011年度から消費税率を段階的に15%程度まで引き上げるべきであるとする日本経済に関する年次審査報告を発表したばかりだが、これもまた新自由主義政策であり、サミット体制の権力作用の一形態である。

この報告の背後には日本の財務省などの意見があり、ある意味で日本政府自身の要求であるという見方もあるが、その真偽は別としてもそのように外圧と見せかける場があるということにも意味がある。仮に日本政府がこれとは逆の方向性の報告を求めても、IMFはそれを採用しないだろうということを考えれば、そうした陰謀論を唱えたところであまり意味はないと思われる。というのは、IMFの存在意義やサミット体制自体を疑問に付さない限り、問題の解決には向かわないだろうからである。

ちなみに、G8サミットのプレゼンスがG20などの台頭によって低下しているといわれている情勢についても誰か分析してほしいものである。G20がらみの言説は「浅い」ものが多く、正直なところ、今のところあまりよくわからない。

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