アヴェスターにはこう書いている?
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日本弁護士連合会生活保護問題緊急対策委員会 編 『生活保護法的支援ハンドブック』

 そうであるとすれば、このような「訓示」についても、生活保護法の基本原理に基づいてなされなければならないはずである。しかし、そのような観点からみた場合、「生活保護実施の態度」の内容には、「生活保護は、要保護者の活用し得るもののすべてを活用した後に、はじめて適用されるべきものである」(上記3)とあえて強調している点において、「現在の生活保護制度の運営の実際が、この点に関し、余りにも機械的で自立の源をわざわざ涸渇させているという批判は、識者の間では定評となっているので、この点を是正するために立案上も特に意を用いた」(小山・前掲書119頁)と述べる法案起草者の思いとの間に隔たりがあり、「水際作戦」に通じるものが感じ取れるように思われる。(p.48-49)


生活保護に関する言説について、私にとってしばしば気になることがある。それは、小山進次郎という法案起草時の厚生官僚の著書が殊更に称揚され、彼が書いたことが生活保護法の「正しい」解釈であり、その通りに運用することが「正しい運用」であると半ば暗黙裡に前提された上で、それとは異なる考え方や運用に対して、それを「誤った解釈・運用」であると批判する論調がある。

しかし、まず指摘しなければならないのは、小山進次郎は厚生官僚に過ぎず、法案制定時の首相や厚生大臣ではないということである。すなわち、彼の意見は国民の意見を代表していたわけではないのである。

また、より一般的かつ常識的なこととして、テクストというものはそれが書かれた後は著者から独立するものである、という基本的な事実がある。ある意図を持って書かれたテクストであっても、そのテクストが社会に流通した際にその意図を直接反映するわけではないし、常にそうあらねばならないわけでもない。

こうした政治的な正当性の問題とテクストを巡る基本的な事実とを考え合わせると、生活保護法を巡る小山進次郎を持ち出した議論の多くは疑問に見える。彼の考え方こそが「正しい」ものであり、「あるべきもの」であると言える理由はないのである。法文が既に客観的に確定している仲では社会の情勢に応じて解釈が若干なりとも変わっていくのが通例であり、法文の解釈が唯一のものに定まることも基本的にはない。もちろん、法文と解釈に余りに大きなズレが生じた場合は、問題が生じるためいずれかを修正する必要が生じるが、それは政治的過程によって決まるべきものである。(この点は憲法9条などに関する議論でもかつて述べたことがある。)

つまり、小山進次郎を称揚したり引用したりしながら主張する人たちに対して言いたいことは、彼の権威に頼らずに発言した方が説得力がある、ということである。

もう一つ気になることは、生活保護を拡充せよ、運用を誰にでも受けられるような方向にせよ、という議論の多くが規範的過ぎることである。財源を気にして人権侵害や生活の水準を下げてはならないという道徳的な話がよくなされるし、財政の原則から言っても財源は必要に応じて調達すべきであるということになっているから、それは原則的には正しいのだが、現実的にそのように動いてはいない

そして、現実が規範の通りの方向に向かうとしても、生活保護の財源は中央政府と地方政府の両者が負担しているため、仮に中央政府の財源が確保できるようになったとしても、個々の地方政府では財源が調達できないことがあり得るのであり、そうした構造が「水際作戦」などの背景にあるのだから、生活保護を改善しようとすれば本質的には財源問題を先に解決することが必要なはずであり、累進的増税を強く主張し、全額国費負担とするなどの財政的な仕組みを改善することが本来の筋道ではないのか?そうした主張を真正面からせずに規範的なことばかり言い、個別の運用に対して反撃していたのではきりがないように思われる。もちろん、そうした反撃には意味があるのは、本書が随所で言っている通りであるが、根本的な解決には遠いやり方であるようにも思われるのである。



 もっとも、この法定期間は多くの場合遵守されておらず、開始決定までの期間が長期化しているのが実情である。(p.120)


生活保護の申請から開始決定までは原則として14日以内に決定することになっているが、それが守られていないという。これは本当だろうか?



 なお、保護開始時点における現金・預貯金の保有が認められる金額が最低生活費の2分の1程度のみであるという運用は、保護利用中における一定の預貯金の保有を認める判例および運用との比較でも不均衡を生じているというべきである。(p.121)


なるほど。確かにそうかもしれない。

ただ、保護開始時点で多くの預貯金の保有を認めると、それで食いつないでいける間に就労できる人が安易に保護申請し、保護開始決定となると就労しようとしなくなる恐れがある。行政側はすくなくともそのように考えているのではなかろうか。就労可能な人からの申請についてはある程度までこうした考え方には妥当性がある面がある。こうした見方を「惰眠観」であるとして批判することは容易だが、現にそうした人々も存在していることもまた確かなのであり、行政側が苦慮しているのはこうした類の人々に対する対応であることを考えると、理由がないことではないと思われる。



 毎年の保護基準は、厚生労働大臣の告示で決められる。つまり、国会で審議され議決される必要もなく、利用者等関係者の意見表明の機会もない。保護基準のナショナルミニマムとしての広範な影響からして、国会での審議、議決事項とし、決定根拠等を国民の前に明らかにし、国民の代表によって審議されるべきである。(p.143-144)


原則的には正しい意見であるが、今、このように制度の運用を改正すると却って保護の基準は下がる可能性が高まるように思われる。



 保護基準は、生活保護利用資格としての生活水準(要否判定基準。保護開始のときに問題となる)と生活保護で保障される生活水準(程度決定基準)の2つに分かれ、後者の方が高く設定されている。要否判定時は主として経常的最低生活費に限られ、臨時的需要に対応するものおよび主として自立助長を目的とするものは適用されない(〔表4〕参照)。(p.144)


なるほど。保護開始時の要否判定と保護停廃止する際の要否判定に違いがあるのはこのためだろうか?



大都市部である1級地-1から、地方の3級地-2までの区分がある。級地別被保護人員数・構成比(〔表5〕参照)を見ると、1級地-1(東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市等)と1級地-2(札幌市、千葉市、広島市、福岡市等)だけで、55.6%を占めている。2級地-1(青森市、熊本市等県庁所在地はこの区分以上である)を加えると、74.8%、すなわち4分の3となる。(p.146)


興味深い事実。

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