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布川日佐史 『生活保護の論点 最低基準・稼働能力・自立支援プログラム』(その2)

生活扶助をはじめとする金銭給付の要件に関する判断の基準とは別に、自立支援サービス給付の要件は簡略な基準にし、生活保護による自立支援を開始すべきという提起である。生活保護の適用は、自立支援給付と金銭給付を別の2つの基準で行うべきとの提起である。(p.88)


私見では、こうしたやり方をするならば、昨今の生活保護を巡る「自立支援プログラム」の活用については生活保護とは別の制度として創設し、生活保護受給者は他法他施策として活用し、受給者でない者は生活保護とは別物として活用できるようにした方がよいと思われる。

その方が、現在のように生活保護法に全く根拠を持たない自立支援プログラムを生活保護の枠内で運用するよりもずっと分かりやすい仕組みになると思われる。私見ではそもそもどうして生活保護を受けていると自立支援プログラムによる人的サービスまで受けられるのか意味がわからない。生活保護受給以前の段階から活用されるべきでものであると思われる。



 林訴訟は、現に稼働能力を活用していない生活困窮者への保護適用の判断内容を確定した。「活用していないとはいえない」を判断するということであり、これによって、運用の論理が整理されたのである。ただし、2008年に改定された「保護の実施要領」も含め、現在までのところ、それが持つ意義が曖昧になっている。この論理の転換をふまえるなら、稼働能力のある生活困窮者の多くが保護に入ってこられるようになる。(p.96)


林訴訟によって論理が確定したと言える根拠が不明である。むしろ、著者がその判決で出た論理を重要であると考えるがゆえに、そうあって欲しいという願望と事実とを混同しているようにさえ見える。

「活用していないとはいえない」ならば「活用している」と見なして保護を開始・実施せよという論理は、それなりに興味深い論点ではある。ただ、生活保護法第4条では「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」とされており、「活用していないとはいえない」ということをもって直ちに「活用している」と解釈するのであれば、無理があると言わざるを得ない。

ただ、実務上、「活用していない」と判断できないのであれば、(よほど悪質だと思われるような事例を除けば)差し当たり保護を開始・実施し、その中で調査や指導を続行するという判断はありうるだろうし、現にそれに近い運用になっているものと私は考えている。



山城北福祉の就労支援で重要なのは、生活保護給付額以上を稼げる正社員求人の開拓とそこへの就労支援に力を入れていることである(奥森[2006][2008])。……(中略)……。パソコンや介護の資格や運転免許の取得のための援助の手段として生業扶助を積極的に活用している。(p.148)


興味深い事例。生業扶助については生活保護から切り離し、自立支援プログラムと合わせて一つの制度を創設すべきである。生活保護としてはそれを他法他施策として活用するという位置づけの方がよい。



 自助原則の徹底がもたらす矛盾の端的な例は、資産の活用ということで保護の開始前に自動車を処分させたことが、保護を受給してからの求職活動を大きく制限していることである。職安に行くにも、自動車がないと費用と時間の負担が大きい。フルタイム就労の求人が徒歩もしくは自転車で通勤できる範囲にあることはまれであり、パートなど短時間就労であっても通勤先にバスや電車を乗り継いで通勤することになる。就労の可能性を大きく制限してしまうし、就労したとしても、就労に伴う時間の拘束度合や精神的肉体的負担が大きく、就労を非効率なものとしてしまう。(p.151-152)


概ね同意見である。自動車の処分については求職活動を行うことや就労していることを条件として保有を認めていくべきであろう。その上で、求職活動を行わないような者に対しては、状況に応じて自動車処分と求職活動を行うことの両面から指導を行っていけばよいのではないか。もちろん、保険への加入などは義務付けなければ事故などが起こったときに被害者が救われないという問題はあるので、そうした面への配慮も必要だが。



 重要なのは、重層的な社会保障制度を構築するには、社会保障制度を土台からつくり直すという視点を持つことである。安定した雇用を失い「上から落ちてくる」人を途中で救うために、防貧対策である2階の改築(被用者社会保険制度を拡充する、社会手当や基金を創設する)から始めるのではなく、土台(生活保護制度)の改善から構想し直すという視点に立つ必要がある。(p.162-163)


この意見は私見と対立するものである。むしろ、重要なのは生活保護以前の段階のセーフティネットを充実させることであり、生活保護の持つ機能を、むしろそちらの方に切り分けていくことであると考える。

まず貧困に陥る入口をふさがなければ、支える人がいなくなり底が抜ける。保護で支えきれなくなる。確かに既に生活保護水準以下で生活している人たちにとっては、そうした制度の充実では間に合わないため、生活保護を利用しやすくすることは重要ではあろうが、次々と受給者が増え続け、実施体制も財政もそれに追いつかない現状でさらに利用しやすくして受給者を増やすことは現実的な対応ではない。(本書は生活保護受給者は現在の5倍くらいになってよいとするが、そのための予算は現在の国庫負担が約2兆円なので、約10兆円となり、現行の消費税の税収総額とほぼ同じである。)むしろ、そのようになる前の段階で手を打つべきであり、年金と雇用、失業者の就労自立のための制度を拡充することが先である。ここに金を使う方が付加価値が多く生み出されることになるだろう。



しかし、他方で、社会保障制度間の順序付けとして生活保護制度は最後に控える制度であるべきとの主張は、おうおうにして生活保護受給者の増加を批判し、生活保護への受け入れを抑制せよとの主張に転化していく。(p.171)


重要な批判ではある。私の論にもこうした方向性は含まれているところがある。私自身は増税論者であり、それにより社会保障を拡充せよという立場だと自認している。しかし、拡充すべきところは生活保護ではなく、それ以前の段階の社会保障であるべきだと考える。働いた金額に応じて受給額が減るようなシステムになると、それをできるだけ多く受給ように働こうとするインセンティブが強く働く。それは所得税における扶養控除が持つインセンティブの比ではない。

しかし、よく考えてみれば、別の考え方もできるかもしれない。すなわち、失業が溢れている現状を考えると、そのようにして就労を抑制してワークシェアリングをするという方法もあるのかもしれないとは思う。しかし、現行制度のもとでは財政上も運用上も問題が大きすぎるため、ドラスティックな改革がなければならないと考えるが、そのような制度変更の機は熟していない。

この問題はもう少し考えてみる必要があるかもしれない。本書は稼働能力活用に関する部分で特に顕著だが、法解釈があまりに杜撰であり、あまり参考にならないところが多かったが、この引用箇所による批判は収穫を得られそうな建設的な批判であり、この点について考察するきっかけとなったというだけでも本書を読んだ価値はあったと考える。


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