アヴェスターにはこう書いている?
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太田幸夫 『北海道の鉄道125周年記念 北海道の鉄道125話~幌内鉄道の開業から北海道新幹線着工まで~』

幅100メートルの大通公園を設け防火帯とし、北部に官庁、学校、病院など、南部に一般民家を配した碁盤の目の札幌都市計画の骨格を作る。(p.4)


島義勇についての脚注より。明治2年に開拓判官に任命されたときのこと。この時代に既に大通公園の基礎ができていたというのは興味深い。



殺伐とした札幌に歓楽地「薄野遊郭」をつくり、治安の安定をはかる。(p.4)


明治4年に札幌に開拓判官として赴任した岩村道俊についての脚注より。すすきのもこの時代②基礎が作られていたということか。



その他社内人事でも、課長はじめ多くの幹部職員に鹿児島出身者が任命され、北海道炭鉱鉄道会社の主要ポストは旧薩摩出身者で占められた。(p.31)


観光などの際の紹介では、こうした政治的な情報は伏せられて紹介されることが多いが、こうした点を理解することは当時のの情勢を理解する上で非常に参考になる。



 小樽~旭川間の全通により旭川地方の居住及び経済状況は全く一変した。空知太~旭川間は人馬では2日間を要したのが、列車では3時間となったのである。上川地方の人口の増加はもちろんであるが、この地方の最大の天然資源である木材は、鉄道開通以前は燃料以外にはその用途が見出せなかったが、開通後は木材・一般用材のほか、清国に向けマクラギあるいはマッチの軸木材として最大の移輸出品となった。鉄道開通で木材・木製品は米の生産拡大と共に、上川地方の重要な産業として成長するのである。馬によれば米1石(150キロ)、2円50銭かかった運賃がわずか十分の1の25銭で搬出できることになったことからも、農業経済に及ぼした利益が大きかったことがわかる。(p.50)


小樽から旭川まで全通したのは明治31年のこと。小樽の経済が急速に上昇を続けていた時代。鉄道によって内陸部と繋がれることによって北海道が世界経済の流通体系の中に組み込まれていった時代であり、その際の玄関口となったのが小樽港であったと思われる。



 北海道と樺太間に定期航路が開設されたのは、明治38年(1905)8月21日、日本郵船株式会社が小樽港~大泊港間に田子浦丸(746トン)を就航させたのが始まりであるが、海上輸送の距離が長く(361キロメートル)、航海時間にして1昼夜を要していた。(p.90)


日露戦争の終結(1905年9月5日)直前である。




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