アヴェスターにはこう書いている?
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立岩真也、齊藤拓 『ベーシックインカム 分配する最小国家の可能性』(その1)
まずは立岩真也が書いた部分について、このエントリーでコメントする。

 次に、後述するように、社会サービスとして取り出される部分を財源を別の原理で調達するべき理由はない。すると、徴税+給付は、市場で得られるものの多寡を補正し、社会サービスの提供にかかる分も含め、多くある人から多く取り、少ない人、多く必要な人に渡せばよい。ここで差異化、そのための資力の差異の把握は必然であり必要である。(p.99)


ここでは日本では介護保険などの社会サービスの部分について財源が別立ての保険されているが、これに対する批判が含まれていると思われる。



 こうして、誰もが同じに払い同じだけを受け取る、あるいは同じ確率で生じる(要介護状態といった)事態に応じて受け取る、あるいは払いに応じて受けとる、という仕組みが推奨される。……(中略)……。
 そのような流れでこの国は流れてきた。普遍主義は分配を抑止する側に抗するものでもあったのだが、別の原理を採用する道に通じるものでもあった。(p.114)


普遍主義が分配を抑止することを止めようとする意図から発せられることが多かったにもかかわらず、結果としてはその意図は達せられず、その批判があったがゆえにむしろ「分配を抑止すること」への適切な批判が行なわれにくくなってしまったと思われる。私自身もこれらの議論を見て何かおかしいと思うことが多くあった。立岩の指摘にはまったく同感である。



 とくに「働かない」と「働けない」との区別は難しい。「働かない」のではなく「働けない」のだということを本人の側が立証することは困難である。どちらなのか自分自身にもよくわからないことはある。そして、無理すれば働けてしまい、その結果、よくないこともよくある。そのような無理なことを押し付けて困られるよりも、それをいちいち見ない方がよいと言いうる。(p.133)


私が最近検討してきた生活保護に関する問題に結び付けて言うと、これは保護の要件としての「能力活用」に関わる論点として興味を引かれる。



 人は様々な好み・嗜好・価値観をもつが、それは大切なものであるから、介入してならず、互いに比較するのもよくないとされる。そこで一つ、全員一致なら問題ないとされる。パレート(最適・改善…)主義とはそういうものだ。一人ひとりの選好に手をふれないとした上で、誰もがよいなら――誰の選好も否定しないのだから――それはよいことだとされる。しかし、別に記したので(立岩[2004a:53-54,194,232,300 et al.])ここでは説明を略すが、全員一致が人や人の選好を常に尊重することにはならない。全員にとってよいことが起こるならよいとされるが、それは初期状態を問わない場合である。初期状態を所与とすれば、パレート改善はたしかに全員に改善をもたらす。財を交換する富者も貧者も得をする。しかしその初期状態自体が問われる。そして初期状態は全員一致では決まらないし、また決める必要もない。そして、全員一致でないとことが決まらないなら、実質的に一人あるいは少数者が独裁者のようにふるまうこともできる。(p.167-168)


重要な指摘である。パレート最適やパレート改善などを持ち出して、全員が今よりよくなるから良いという議論は、その初期状態が良いことまでは言うことができず、その初期状態が不当なものであることが示されるならば、必ずしも是認されない(最適解であるとは言えない)ことがありうる。



しかしその政治的決定にしても、皆が政治的主体である必要はない。政治にしてもまた経済にしても、それに関わる人が一定の数、量あればそれで足りる。……(中略)……。もし、このように不都合なことが起こりにくい仕掛けがうまい具合に存在するのであれば、自分たちで決めたり、自分で決めたりすることが、またそのための能力があったり、そのような欲望や義務感があったりすることが、その本人たちにおいて、本人において、とくによいことであるわけではない(p.178-179)


私が社会科学を学び始めた比較的早い時期に地方自治論や住民参加あるいは協働などという言説に対して感じた違和感は、ここで指摘されていることに深く関わるように思われる。現在でも地方自治論や住民参加などの議論のスキームでは「皆が政治的主体であるべき」という規範がかなり強いように思われる。

ただ、そうした規範に(基づく議論に)対して批判をする場合、「不都合なことが起こりにくい仕掛け」についても具体的に提示する必要はあるだろう。

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