アヴェスターにはこう書いている?
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立岩真也、村上慎司、橋口昌治 『税を直す』(その2)

日本における税制改革は、世界的な潮流を受けてそれに乗ったものであるとされる。ただ、その世界的な流れの方は、給与所得だけでなく投資による所得など様々な所得を合算した上で、それに税率をかけるという方向のものであり、その限りで簡素であり、同じ所得を得た人については等しいという意味で公平性が――この業界の言葉では「水平的公平」が――保たれるものであり、そして課税される所得の対象が広がり、これまで税が課されなかったり税率が低かったある部分については税率が高くなるから、見かけほど減税がなされたわけではない。むしろ、一時的であったにせよ、税収が増えたこともある。
 もちろん、税制改革を主張し支持する日本の学者たちは、みなこのことをわきまえており、そしてその方向を明確に強く支持した。しかし実際には、日本では、この部分についてそう大きな改革がなされたわけではない。……(中略)……。その結果、(ようやく)「欧米並み」になったとされる税率であっても、その税率の対象となる所得は結局限られたものになり、他の所得についてはより軽い税率となるから、同じ税率なら、実質的には日本の税の方が軽くなるといったことが起こる。(p.49)


株式譲渡などによる所得の分離課税が日本では未だに続いているため、高額所得者からは税が取れない構造になっている点についての指摘。所得税について少しでも知識がある人なら誰でも気づいているはずの問題なのだが、税の議論がマスコミを通して一般向けに「わかりやすく」行なわれるときや政治家が税について発言するときには殆んど出てこない話題であった。この点については、私も長い間、苦々しく思ってきた一人である。



 OECD諸国の状況を見渡すと、1990-2002年に一貫して租税負担率が顕著に低下したのは、日本だけである。……(中略)……。
 ようするに、90年代末から企業と高所得者・資産家への課税を軽減することにより、国税のなかでも直接税が削減された。(p.58)


ここは大沢真理が書いたものの引用。

こうした状況があるにもかかわらず、日本は「重税国家」であると言ったり、「官僚により収奪」が行なわれているから財政赤字が膨らみ、「国民」の「負担」は重いのだとまことしやかに言われたりする。そうした言説を見る度に、私などは「馬鹿じゃね?」と思うわけだが、新自由主義が台頭してくる過程で多くの決まり文句や決まりきった図式がパラダイムとなって社会に浸透してしまっているので、事実をきちんと提示することもできないのに、こうしたことが信じ込まれてしまうということが往々にして起こる。

彼らの場合、完全に批判の矛先が外れている。かつての財界と新自由主義の信奉者たちによる「論点そらし」に完全に引っかかってしまっている。



 ただ私たちは、その国々の首領であったレーガンやサッチャーといった人たちに追随しようとは思わない人たち、むしろそうした名前に拒否感を示すような、良心的・良識的な人たちの真面目な議論・営みも含めて、見ていく必要がある。そうした議論、営みの中に、「フラット化」の方に流れていく契機がある。それは「地域」「共助」「分権」といったものの浮上とも無縁でない。(p.69)


ここで「フラット化」というのは、税率のフラット化ということであり、累進性の否定ということであろう。

この論点には私も気づいていたが、なかなか指摘する人が少なく、やや孤立無援に近いと感じることが多かった部分だったりする。一つ前の引用文に対するコメントもこれと関係する。



 「中立」とはなにか、これは実際にはよくわからないものである。税制の中立性とは税制が経済活動に影響を与えないことであり、それが望ましいとされる。だが第一に、影響が与えられないもとの状態とはどんな状態か。税金の存在しない状態か。ではその状態に実現される経済はなぜ支持されるのか。中立だからか。しかしそれは中立とは言えない。税の課せられない経済がよいからか。ならば税は正当化されない。ごく基本的には、税を徴収しないことも中立でなく、どのような形態であるにせよ、税を課し税を使うことのあらゆる形態が中立ではない。第二に、現実には特定の産業の育成強化等々のために様々がなされている、なされるべきであるとされるのだが、それを否定するのか。むろん否定してもかまわないのだが、中立性が大切だと言う人たちは本当に否定するのか。例えば、中立が大切であると主張する人も、環境税には反対でなかったりする。また、累進性を弱くして新規の産業を育成することが支持されたりする(第3章第6節)。こちらの方は、税の効果を弱くすることによって実現されるとされるものではあるのだが、しかしその狙いは特定の産業の支持という特定のものである。(p.78-79)


「公平、中立、簡素」などと言われる租税原則について。これらの原則は通常、全くご都合主義的に用いられている。そのことを明白に示してくれた点でこの文章は痛快であった。



 低いところに比べたら高い、だから低くするとされる。税率が下げられる。下げても、まだ高く、だから「優遇」ではないとされる。それを進めていく。それで下げられ、そのままにされる。
 すると、他と比べても低い水準になる。直接税、所得税が歳入に占める割合が、他の国々と比較して低いところに置かれることになる。歳入全体が少なくなる。日本で税、とくに直接税からの収入が少ないことを、知っている人は知っている。(p.90)


所得税はきちんと累進的に増税しなければいけない。これは私の年来の主張であるが、これまでの事実の経過を踏まえればそうなるのは殆んど必然に近いと思われる。



 大きい/小さい、簡素/複雑といったわかりやすい言葉がわかりやすくなく使われている。このことに注意深くあるべきである。(p.103)


近ごろは仕事が忙しく、じっくりと本を読んだりする暇もないのだが、あまりに忙しいとこうしたことも忘れてしまいそうになる。忘れているわけではないと思うのだが、実行することが難しくなっていると感じる。繰り返すと、以前は言葉やその背景にある意味や前提に注意深く読んでいたのだが、近ごろのようにあまりに忙しいと、そうしたことがしにくくなっていると感じる。

ある意味、若いうちにそうしたテクストの読み方をしていて良かったとは思う。年をとり、忙しくなってから初めてそうしたテクストの読み方をしようと思っても、恐らく難しいだろう。


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