アヴェスターにはこう書いている?
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立岩真也、村上慎司、橋口昌治 『税を直す』(その1)

そしてこのことを考えていくのなら、なにか小さい単位・範囲でがんばってみることは、こと財の分配についていえば、間違っていることがわかる。この部分については「分権」はよいことではない。(p.24)


同意見である。財の分配に関しては「地方分権」は不当な帰結(財の偏在とそれによる最小限度の財が確保できない主体の出現)をもたらすものである。



しかし、ものを書く人たちは、なにか新しいことを言わないと、言う必要もない、読まれることもないと思うところがある。そんなことを期待されている。期待されていると思う。というわけで、新しいことが起こっていると書く傾向がある。すると、そのいくらかは割り引いてもよいのかもしれない。(p.24-25)


科学者に限らず、ものを書く人全般にsomething-new-ism的な傾向がある。確かにそのように思われる。



三番目の分配のための徴収について、人は自分の持ち分から取られていると考えてしまうことがある。基本的にはこれは間違った認識である――「所有権は課税前にではなく、課税後に人々が支配する資格を与えられた資源にたいしてもつ権利である。」(Murphy & Nagel[2002=2006:199])
 しかし、徴収が事後的になってしまうこともあって、既に持っているものから取られるように思われてしまう。(p.27)


なかなか興味深い見解である。

この所有権が生じるためには、分配のための徴収を行なう機構の存在を前提しなければならず、徴収や分配の方法や程度は政治的に決定せざるを得ない。そうであれば、政治的な決定によって所有権が決められることになる。政治的なリソースが平等に分布しているわけではないことを考えると、このように所有権を捉えても、必ずしも理想的な分配が行なわれるという保証とはならない。

しかし、納税者たちを説得し、ある程度の納得調達した上で徴収するためには有用な理論となりうる。



そしてそんなことを考えていくと、私たちが、とても多くのことを忘れていることに気がつく。
 まったく昔のことではない。十年前、二十年前のことである。その時も、景気をよくするのだと言って、金のある人もない人も同じ率の減税をして、そして、ずいぶん長い間そのまましておいた。それで歳入が減り、そしてそれを前提に、削りやすいものから削っていったら、この社会はこんなことになってしまったのである。(p.36)


まったく同意見である。

これは所得税と住民税の定率減税やその前にたびたび行なわれていた特別減税を指しているはずである。そうしたことを続けてきたため歳入が足りなくなり、それが財政赤字拡大の要因となったという指摘はあまりにも当たり前なのだが、ほとんどの人が表立って指摘することがない

今、名古屋市長などが市民税を減税するなどと言っているが、そんなことは既に10年以上前に行なわれ、既に失敗した政策である。このことは銘記してほしいものである。



 大きい政府/小さい政府といった言葉が使われるが、その意味はしばしばはっきりしない。第2章第5節(78頁)に記すように、社会的分配の規模の大小と行政コストの大小とは単純に対応しない。また、社会的分配の規模が大きいことが政府の介入度の大きさと個人の権利・裁量の小ささを示すものでもない。むしろ逆である。逆であるようにすることができる。得られた税を、国家(の運営に関わる議会や議員や官僚)が定めた特定の事業にではなく、個人に渡せば、その使途をその個人が決めることができる。(p.37)


「大きな政府」や「小さな政府」という言葉が曖昧なものであり、客観的なものないし記述的なものというより、政治的なタームであるということははっきり理解しておいた方がよいだろう。

引用文のうち、最後の一文については民主党政権の「コンクリートから人へ」という標語と通じるところがある個別的な給付を是とする発言であるが、私自身は、個別的な給付により諸個人の財の処分権(これがしばしば「自由」と呼ばれる)を拡大することを強調しすぎるべきではないと考える。特定の事業に対して金を使うことにより、雇用が生まれるという効果の大きさはそれなりに重要だと考えるからであり、その方が個人に渡してそれなりに豊かな人たちの貯蓄に回るよりも金の回りはよくなることがあると考えるからである。


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