アヴェスターにはこう書いている?
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立岩真也 『良い死』

結局、なにもかもがこの「資源」というお話に収斂してしまっているのが私たちの時代・社会であるからには、このことについて検討する必要がある。(p.145)


安楽死や尊厳死を推進しようとする言説も結局は「資源」の話に収斂してくることが、本書では長い議論を経た後で示される。資源は人材と財源ということになるが、財源が足りないとされるのは、利益を得ている人々が単にそれを手放そうとしないためであることが指摘される。同意見である。



 福祉国家は国境の内側で負担から逃れることを禁ずることによって分配を成立させている。だが、国境を越えての逃亡を抑止する装置はなく、逃亡の発生を止めることができない。これが制約条件となって分配の機能を十分に作動しないようにしている。これが、例えば累進課税を十分に行なうことができない理由、行なうべきでないことの理由とされる。以上はもちろん個人についても言えることだが、異動が容易な組織、企業の場合にはより大きく、より容易にこの要因が働く。企業への国外への流出を防ぎ国際競争力を低下させないために法人税を抑える必要があるといった主張がなされる。もちろんこれは課税を逃れようとする口実でもあるのだが、まったく現実性のないことでもない。
 つまりここで起こるのは私的な保険の限界として指摘したことと同じである。選択可能な国家は民間の保険会社と同じなのであり、国家を介して「逆選択」が起こり、それによって分配がうまく働かなくなるのである。だから、民間の保険を否定して強制保険――私の考えではすでに保険の原理を離れた分配――を支持する人は、その論を一貫させるなら、分立している国家を否定しなければならない。(p.327)


後段は興味深く、考えさせる論点を含む。分立している国家を否定して単独の分配を行なう主体を形成するべきだということになるのだろうが、そのような単一の主体が成立しえたとして、単一の主体が公正に分配を行なうことを保障する担保はあるだろうか?

例えば、主体が単一になると分配へのインセンティブが働かなくなる要因があるとすれば(実際、貧しい者より富める者の方が政治的意思決定への介入は容易であり、世界政府のようなものによる分配がなされる場合、その単一の政府による分配の決定に富める者の意向――自分の企業に有利になるように支出させようとパイを奪い合うなど――が現在の分立した体制以上に強く働く可能性はある)、分立している国家を否定することで「論理の一貫性」は維持できても「期待する効果との整合性」が維持できなくなるということはありうるのではないか?

ただ、選択可能な国家は民間の保険と同じであるという指摘は状況を端的に直観させてくれる良い指摘であると思う。選択の自由が高まれば高まるほど、優先的選択が行なわれる可能性が高まり、複雑ネットワーク研究におけるBAモデルによるスケールフリーネットワークの形成に近い条件が整うことになり、資源の一極集中、貧富の二極化、下層の貧困化という三位一体の事態が進展する可能性が高まるように思われる。



 人の移動の自由について。……(中略)……。
 第二に、その固有性を、いやおうなく、そして/あるいは、好んで、まとっている人間は、住んでいる場所を移りにくい。移るにしても、移ることにともなうコストがある。旅費や引越しの費用のことだけを言いたいのではない。別の文化で十分やっていくことができるようになるためのコスト、できない場合に支払われなければならないコスト等々がある。(コストの支払いが個人に帰され、困難を背負ったままその人が労働を売りに市場に行くとしよう。そこでは――その「原因」がなんであるかには関係なく――どれだけ求めに応じて働くことができるかが問題であり、それができる度合いを「能力」と呼ぶなら、その人は能力において劣っているとされ、その労働を買ってもらえないか、安くされる。家事・育児のために雇用主の求めに他の人に比べてよく応じることができない人も同様である。)この差が大きい時、それを超えて国境を越え、利益を得ることができるのは、それだけの売りものをもつ人に限られる。例えば「頭脳の海外流出」などと言われる時の、その流出する頭脳をもっている人たちである。でなければ、どうしてもその地を離れるしかなかった人たち、つまりその場にい続けることの不利益があまりに大きい人たちだ。(p.329)


まったく同感である。ここで述べられていないコストを付け加えるとすれば、住んでいる土地を離れてある程度遠くに行く場合、自分が持つ人間関係のネットワークをも失うことによるコスト/リスクも考慮する必要がある。労働をする場合にも、人は個人でやっていると思っていても、実際に一人でやっているということはまずない。実際には個人の力というよりもネットワークの力が作用している。つまり、ある問題を自分の力だけでは解決できないとしても、解決できる人と多くつながりを持っている人、また、多様な問題に対処できる人と多くつながりをもっている人の方が問題を解決するには有利であるということである。こうしたネットワークからも多分に切り離されるというコストをも負うことになることが多い。

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