アヴェスターにはこう書いている?
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荒巻孚 『北の港町 小樽――都市の診断と小樽運河――』(その1)

 また、和人との物々交換意外にアイヌたちは漁獲高の二割を場所請負人に納めることになっており、これを二・八制度といっていた。漁獲期が終わると、運上屋をひらく場所請負人の関係者が各漁場を見回り、漁獲高の査定をして、場所代を徴収した。この見回りを「納屋改め」といっており、アイヌの不正が判明すれば漁場の権利を没収したという。したがって、このような場所請負制度の確立によって、そこに住むアイヌ人は漁法の指導のほか、図2のように和人から慶弔時に心づけや支給品を受けたり、漁具や生活用などの鉄製利器や日用必需品を得ているうちに、交易人から漁場労働者の立場に追いこまれ、アイヌとしての自立と自治が次第に失われていったのである。(p.22)


場所請負制の確立によってアイヌは構造的に不利な方向へと追いやられたという側面があった。



 ところで、この小樽は北海道の開拓拠点として明治二年(1869)、札幌に開拓史の役所が置かれるようになってから、その外港としてクローズアップされ、積極的な町づくりが行われるようになった。その意味で小樽もまた札幌と同じく、政府の指導のもとで拓かれた、一種の官制都市であったともいえる。(p.25)


重要な指摘であるように思われる。少し前に読んだ「おたる案内人」のテキストなどでは、天然の良港があり、鰊の需要が高い時期に安定した漁獲があった地域であり、石炭の積出港となったことなどが小樽の発展の要因であるとして説明されていたように思われ、あたかも民間資本の力によって成長してきたかのような印象を抱かせている。

しかし、札幌に開拓使が置かれた外港として位置づけられたことや、鉄道や港湾開発も政府の施策であったことなども含めて考えると、やはり官制都市であったという側面は過小評価すべきではないだろう。イメージが悪いので観光客にはあまり知らせたくないのだろうが。



 この手宮駅のあった手宮町、末広町、錦町、豊川町などのいわゆる手宮地区は、明治の頃は小樽の中心地であって、海陸の物資の中継点として賑わった地域でもある。ここには鉄道の管理事務所、機関庫、操車場などがあり、近くに日本郵船をはじめとする海上運輸の事務所も数多くできて賑わいをみせ、図5のように地価の高い地域であった。(p.30)


旧日本郵船小樽支店や小樽の倉庫の中でも古い明治20年代の倉庫などが北運河(手宮地区の方面)に多いのは、こうした事情によるのかもしれない。ただ、明治の頃には、この地域は「小樽」ではなく「高島」であったように思われるが。



 札幌と小樽との間の鉄道は、明治五年(1872)、新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通してからわずか八年後のことであって、全国でも三番目に古い。また、1830年、イギリスのマンチェスターとリバプール間に世界最初の汽車鉄道が走ってから、わずか50年後のことであった。こうした鉄道敷設の創始期には多大な資金調達の困難さと住民の誤解からくる抵抗と、既存の輸送利益集団からの反発などが付きまとうものであるが、北海道のような新天地での鉄道敷設では、このような障害もほとんどなかったという。(p.30-31)


札幌-小樽間の鉄道がいかに早期に建設されたかということがわかる。こんな片田舎に鉄道が普及するまでに50年しかかかっていないという事実から、鉄道普及の速度に驚く。(もっとも、当時の鉄道の主要目的は公共交通機関というより産業用の輸送手段という側面が現在と比べると遥かに大きいということは考慮すべきであろう。)

幌内鉄道は日本で三番目とよく言われるが、この数ヶ月前に岩手県の釜石に開通した鉄道があり、本当の三番目はこの「釜石鉱山鉄道」である。ただ、これは数ヶ月くらいしか運行しなかったので、あまり有名にならなかったということらしい。

北海道での鉄道敷設にはほとんど障害がなかったということについては、当時、北海道は人口が少なかったことや当時は北海道の人々には選挙権もなかったこと、現在よりも遥かに強権的であっただろう政府の施策として鉄道が敷かれ、そこに商機や雇用機会を求めて移住した人がほとんどだったことを考えると、反対が起きないことも当然であろう。



 明治の中頃まで、海運ルートによって全道を掌握していた函館商圏は、釧路や旭川や名寄まで鉄道が開通することにより、小樽商圏に吸収されて、図7のように小樽商人に道央や道東に進出する機会が与えられることになったのである。(p.31-32)


大雑把に言って北海道の東は函館、西は小樽の商圏であったが、海運だけでなく鉄道網の発達は、函館よりも小樽に有利に作用した。明治20年代から大正期(昭和初期)まで小樽が急速に発展していく要因の一つとして、北海道の鉄道網の発達も挙げられるようだ。



 ところで、北海道での市制施行が本州の都市と違って、なぜ遅れたのだろうか。日本では明治21年(1888)に市町村制が公布されたけれども、北海道には適用されなかったからである。翌明治22年には大日本帝国憲法も発布され、23年には第一回帝国議会も招集されているが、北海道の人々には沖縄県民や小笠原諸島の住民とともに選挙権すら与えられなかった
 このことは、北海道が依然として北海道長官の専制権力のもとにおかれた植民地であったということができるだろう。


小樽や札幌に市制がしかれたのは大正11年(1922年)のことで、34年ほど本州より遅れている。当初は北海道や沖縄の人々には選挙権が与えられなかった。植民地であったという事実をこれ以上に鋭く語る事実もないのではないか。



 しかし、明治10年代の小樽は海産物のほか商取引もほとんどなく、町中が活気に溢れるのは夏場だけという状態が続いた。明治20年以降は石炭積み出しの設備や船舶も近代化され、さらに、大規模な埋め立て工事も行われるようになったが、そこに税関・水上警察署などの港湾機関や倉庫など建てられはじめ、道内への鉄道網ものびると、小樽の商圏は急速に拡大していったのである。

穀物輸出に湧く町

 したがって、小樽の目ざましい動きは日清戦争を契機とする、明治20年代後半以降といえるかもしれない。しかも、日露戦争で南樺太が日本領になると新しい開拓地の中継拠点として脚光を浴び、大正三年(1914)にはじまった第一次世界大戦の頃からはヨーロッパに向けての道内の農産品(澱粉・豆類)の輸出港として注目を集めはじめたのである。(p.39)


小樽という街の経済の発展をきわめて簡潔かつ的確に示していると思われる。

小樽の経済の展開を見ていく場合、戦争を契機として一挙にステップアップしていったという側面は無視できない。特に日露戦争による南樺太の獲得ほど大きな要因はないだろう。明治15年の幌内鉄道の全通により石炭の積み出し港となる基礎が固まり、明治20年頃に港付近の埋め立てもかなりの程度完成し、明治22年に特別輸出港、明治32年に外国貿易港に指定されることで制度上も繁栄の基礎が固まった。明治41年に完成した北防波堤などもあり、大正時代の前後が小樽経済の絶頂期であったと考えられる。

ここでは指摘されていない点は、この時期を一貫して鰊の移出港としての側面があったことくらいだろうか。



とくに交易の対象地を失った日本海沿岸の諸都市の衰退は著しいものがあった。(p.76)


戦後の日本の経済の情勢をマクロに見たとき、日本海側の諸地域は従来の交易の対象地が「東側諸国」であったために、交易地を失い経済的に苦しい状況に置かれることとなった。西側に組み込まれたためにアメリカや太平洋に開かれた地域が相対的に有利となった。

このあたりの事情は、台湾を見るときに経済圏のボーダーが台湾の東にあるか(太平洋を経由した貿易圏に入るか)西にあるか(中国との交易が主となるか)によって経済状況が変わってきたという議論と共通した見方ができ、興味深いものがある。台湾の場合、主要な港湾が基隆と高雄であって、南北の端にあるので、島内の東西という見方にはあまりならないが、日本の場合はそれとは異なっている。

ただ、冷戦後になると日本海側は交易圏がいくらか回復しているという点では良い状況におかれることになるのだが、日本列島自体が持っていた地政学的な優位性が失われるため、プラスマイナスすると結局マイナスになるところが多いようにも思われる。小樽の場合、ロシアや中国の東北部などが商圏だったと思われるが、ロシアの極東は比較的貧しい上に、以前は売れまくっていた中古自動車も高額の関税がかけられてから交易は停滞したままであって、あまり明るい見通しは今のところなさそうである。


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