アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

田村喜子 『小樽運河ものがたり』

 「札幌の創生川や京都の高瀬川、それにアムステルダムやロッテルダムの運河は、荷物を内陸に運ぶ水路として開削されたものだ。本来の目的は運輸路だ。小樽運河の場合はそれと少し違うことがわかるだろう?」
 飯田は学生たちに語りかけた。
 「山から土を持ってきて海に島をつくったのだ。そのとき元の海岸線との間に海面を残した。その幅が40メートル、この運河だよ。小樽の場合は沖で荷を艀に移し変え、この運河を利用して陸に運び込んだのだ。だから、幅は広いが長さは1キロ余りの短いものだ。ただね、この運河は直線じゃなく、自然の地形、つまり海岸線にあわせて緩くカーブしているだろう。この湾曲したところがいいねえ」(p.55)


小樽運河の特徴を簡潔に記している箇所。ここが観光名所たり得ている所以も、この湾曲した景観によるところが大きいように思われる。



 鉄道や自動車が未発達の時代、運河は人や物資を内陸部へ運ぶ交通路だった。アムステルダムやロッテルダムなどヨーロッパの運河は、あるときは緑濃い森を抜け、またのときは彼方の丘に古城を遠望し、沿岸の家並みを水面に映しながら、現在も内陸部への輸送路として機能している。小樽運河のように海岸線にほぼ並行し、艀専用につくられた運河は世界的にも珍しいといえる。しかも小樽運河の本来の使命はとうの昔に終焉を迎え、水面の風情や楽しさといったものは失せ、臭気と不衛生を漂わせているにすぎない。“水面”と呼ぶことさえはばかられる現状である。
 町は生き物だ、と飯田は考えていた。(p.64)


小樽運河が再生される前にはヘドロなどで臭気を放つ不衛生な場所であった。その時代に保存を訴えた保存派の人々の先見の明には恐れ入るものがある。

ただ、保存派の人々からは非難され続けていた「道路派」の人々も同じように再生への見識を持っていたということを本書は示している。小樽運河論争に関してはどうしても「保存派」の意見が多く出版されてきた経緯があるように思うのだが、その点、本書は現在の小樽運河のほぼそのままのデザインを考えた飯田勝幸氏(当時、北海道大学助教授)と志村和雄・小樽市長(当時)を主人公としてこの問題を描き出すことによって、「保存派」の意見だけでは見えてこなかった側面を描き出している点が評価できるように思う。ただ、作家の文章なので、どこからどこまでが創作なのか、あるいはノンフィクションなのかといった部分では疑問に思うところはあるのだが…。

「町は生き物」というのは、かなり適切な捉え方だと言える。機能を活かしうるものについては、それを活かすことが求められ、機能を失っているものについては、もともとの機能とは別の形であっても、他の要素と有機的に組み合わせながら活用するという方向性が見出されうる。その点、(木骨)石造倉庫と湾曲した運河の景観を残すことによって観光資源として活用でき、同時に日本と北海道の近代の歴史をも示しうる遺構として小樽運河が残ったということは、それなりに評価されて良いように思われる。

行政の当初のプランではほとんどすべて埋め立てられてしまうという点でこうした効果は期待できなかったし、「保存派」の全面保存という主張が通っていた場合、逆に今のものより「絵にならない」情景であっただろうから、歴史の証人としての価値は現在のプランよりもずっと高いとしても、観光資源としての価値は現在のプランより劣るだろう。「歴史の証人」というのは「振り返って事柄を認識させるもの」ではあっても「未来に向けて人の活動を継続させるもの」とは違うという点で弱みがあるように思われる。

運河や倉庫はいわゆる「近代産業遺産」であって、何らかの形で活用され続けなければその価値を維持できないのではないか。やや単純化して言えば、古代の遺産は単に「ある」というだけで価値があるが、近代の遺産は必ずしもそうではないのではないか、というのが現時点での私の考えだが、この点についてはまだ十分認識が深まっていない。今後、考えを深めていきたいところである。



 近年盛んにつくられているモダニズムの無機質で冷たくて没個性の建物や町並みとの違い……、と考えてみて、中世のように道路の狭い心安らぐ石づくりの街、小樽に行き着いたのだった。直線的で明快で近代都市のモデルといわれている札幌とはまるで対照的な、あの温かみや情緒性こそ、小樽の財産だと思い当たったのだった。(p.65-66)


中世の町並みとは正直言って小樽の町並みは違うと思うのだが、街路などもあまり計画的に作られた感じがしないという点では札幌のような「碁盤の目」状の都市とは大きく異なっているのは確かだろう。小樽の観光地である「堺町通り」などもかつての海岸線沿いに通りが走っているので、適度に湾曲しており、道も狭く、情緒性を醸し出すエリアだとは言えそうである。

引用文で指摘されている小樽の「情緒性」は、小樽の市街に明快なプランが見えにくいこと、古い道の狭さ、坂の多さなどのために、歩きながら景色が変わるというところにあるように思う。歩いていると景色がゆっくりと変わっていくので情緒が刺激されるのではないだろうか。私は以前、イスタンブールのスレイマニエ・ジャーミィのある丘の上やガラタ塔からの景色などを見ながら、観光都市には坂があることが重要なポイントとなると感じた経験があるが、小樽の場合もまさにそれが当てはまるように思われる。



幅54.54メートルある公用地の海側に19.54メートルの幅で運河を残します。その脇に5.5メートル幅の運河沿い散策路をつけ、道路とのあいだに4メートル幅の境界を入れました。これは排気ガスや騒音などの交通公害の軽減を図るためで、ここに緩衝緑地を設置することで車道部分と分離し、運河の水辺との接触を深めるために、散策道路は緩衝緑地から一段下げました。水面は20メートルに少し欠けますが、散策路の幅を入れますと約25メートルとなり、ゆったりとした水辺空間を修景すると思います。(p.88)


これは現在の小樽運河のプランについての説明の一部である。散策路を一段下げる効果についての説明は、なるほどと納得させられた。細かいところまでいろいろと配慮がなされているということを知ると、実際に行って観察・体感してみたくなってくる。



 反対派は、小樽市の将来のあるべき姿を描いての反対でなく、信念もなく、流行りで行動しているにすぎないと、飯田は歯がゆかった。(p.107)


なかなか興味深い見解である。「反対派」というのは運河を残せと言う「保存派」のことで、「小樽運河を守る会」などの複数の市民団体などである。小樽運河問題は主に「保存派」が文章を書いてきたように思われ、彼らの文章の中ではこうした評価がなされることはなく、むしろ、小樽市当局などに対する非難の声ばかりが書かれるのだが、確かに、マスコミを味方に付けていたという点などでは保存派の方が時流に乗っていたとは言える。

とはいえ、シロウトの市民がやっていた運動としてはそれなりに対案を出すなどの行動はしていたことなどから判断して、「将来のあるべき姿を描いての反対でなく」というのは、必ずしも当たらないのではないか。少なくとも保存派の一部は彼らなりの将来像を持っていたと評価してよいだろう。

ただ、現在の時点から当時の対案を見ると現行案の方が良いように私には見え、その点で「道路派」などと呼ばれていた当時の保守系の人々の見識に対しては、当時の保存派のように一方的な非難をするのではなく、もう少し敬意が払われてよいのではないだろうか、というのが私見である。

「飯田構想」を市当局に必要とさせたという点で保存派の運動には意味があったし、彼らの運動なくして現在の運河はないのだが、だからと言って現在の運河は彼らが作ったというわけではなく、市当局は保存派が非難するほど最悪の選択をしたわけでもなく、むしろ行政は行政なりの将来像をしっかり持っていたと評価したいところである。



 「守る会」は40メートルの運河の幅をそのまま保存しなければ意味がない。20メートル幅に狭められた運河には価値がなく、観光客を呼ぶ目玉にならないと主張しつづけた。
 しかし、先述したように、運河が再生されて以降、観光客数は急増し、20年間で五倍に達した。観光客は運河のほとりの散策路を歩きながら癒され、水面に映る古い石造倉庫群を眺めながら、この街の歴史に思いを致している。(p.156)


40メートル幅の運河でなければ「意味がない」とか「価値がない」という主張は、今から振り返るとやはり行き過ぎた主張であると言わねばならない。「守る会」は観光客を呼ぶ目玉になるかどうかということよりも、歴史や文化などの面から、彼らの「心のふるさと」が失われるというような観点から反対していた節もあるので、観光客が増えても「意味がない」とか「価値がない」と言い続けるのかもしれない。

ただ、そうだとしても小樽運河は周辺に住む人々の「心のふるさと」にするために造られたわけではない。単に副次的効果としてそうした心情を持つ人が現れたにすぎない。この点に保存派の主張の根本的な弱みがあるように私には思われる。

観光客に見せ、多くの観光客が来るということは、やってくる観光客にとってはその場所が彼らの「心に何かを残すもの」たり得ているということではないのか。小樽運河の場合は道内のリピーターが多いので、そう言っても誤りではないだろう。そうであれば「意味がない」「価値がない」というのは言いすぎである。

本当に意味も価値もないのならば、映画や写真やテレビなどで宣伝をしたとしても誰も見向きもしないだろう。

40メートルの幅で残ったとしても、かつてのように艀が行き交うという可能性はゼロであると言って良いであろうし、その意味では完全に元に戻ることはあり得ない代物である。目的を変えて地域の観光資源ということを主目的として活用しても、それは運河の価値を貶めることにはならないように思われる。

また、市民の憩いの場とするという目的もありえただろうが、その場合、市民がそこに足を運ぶ目的がなければならない。市民は彼らが住む市内ではほとんど観光をしないというのは、ほとんどどこでも成り立っている事実なのだから、運河が「市民の憩いの場」となるためには、運河は「見せる」ものではなく、そこで「日常生活に関わること」ができなければならない。もともとそうした場ではないのだから、そのためには巨大ショッピングセンターの出現など(?)大幅な改編を余儀なくされるのであり、そうなれば場は大きく変容せざるを得ない。その場合、運河の持つ情緒性はむしろ失われる可能性が高いのではないだろうか。

かつて保存派の人々やその思想や実践を受け継いでいる人々は、恐らく、かつての保存派の立場からはすでに脱却しているのだろうし、現在の状況をより前向きに活かすにはどうすればよいかを考えているのだろう。小樽では昨今「まちづくり観光」ということが言われているそうだから、恐らくそうであるに違いない。


スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/637-48d1d5b8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)