アヴェスターにはこう書いている?
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小樽観光大学校運営委員会 編 『おたる案内人 小樽観光大学校認定 検定試験公式テキストブック』

 さて、小樽観光の現状を見てください。観光客の歩くところには市民は歩いてはいません。観光客と市民との交流がないということです。宝の持ち腐れとはまさにこのことをいうのではありませんか。ここに交流が促進されれば悲観は希望に変わるのです。終わりは始まりに変わるのです。そして交流するには文化が必要です。マーケットに進出するにはブランドが必要です。何故なら問題意識のない者に何を言っても馬耳東風だからです。
 だから小樽の歴史を学び今の小樽を学ぶのです。(p.21-22)


市民が「案内人」となって観光客と交流していくことを薦め、その際に市民側には小樽観光の目玉であるこの都市の「歴史」ないし「文化」を学ぶ必要があることを説いている。小樽の場合、観光の目玉はやはり運河とその周辺の建造物や北のウォール街の古い銀行の建造物や堺町通りの古い町並みであり、これらを語り案内するためには歴史的な知識が必要になる。そうした点についてはかなり説得力があると私には感じられる。

ただ、観光客の歩くところには市民が歩いていないということは過度に悲観的に捉える必要はないように思われる。なぜならば、観光地というものは、そもそも一般市民が普段の用事で行くような用途がない場所だからこそ古いものが残ってきたからであり、この基本的な原則は世界中の多くの場所に共通なのである。一般の市民が普通に歩くような場所でも観光客が足を運ぶ場所はあるが、それは大抵は現在も使用されている商業施設群(中東のスークやヨーロッパのマーケットなど)であり、小樽の観光地はこうしたものではないのだから。もちろん、現在の小樽の観光地は堺町通りでガラス工芸品やオルゴールなどを購入する場ともなっており、商品売買の場でもあるのだが、これらは一般市民が使う日用品ではないので、一般市民が足を運ぶ必要性がないのである。

愛郷心のある市民を「案内人」として観光客との交流を促すというコンセプトは悪くないと思うが、一般市民と観光客の交流の少なさを過度に嘆く必要はないのではなかろうか。



 北前船という素朴な構造はそもそも江戸幕府が奨励しながら同時に制限もしていました。それは他藩がその船を軍事的に使用しても知れた範囲という制限です。(p.44)


こうした制限を設けることで江戸幕府による統治が維持されていたため、「黒船」の圧力に抵抗することができなかったということがわかる。



 これほど多くの船絵馬が残されているということは、それほど危険がともなう商いであったということでしょう。それは北前船交易が衰退後、保険会社にその資本が投じられていく例をみても明らかです。(p.52)


北前船交易にはさまざまなリスクがあったということから説明されているが、商人たちは商業上の情報や情報網を持っていたということも、保険会社への資本移転がなされていった要因であろう。17世紀末のイギリスで情報交換の場となっていたコーヒーハウスから保険会社が設立されてきた経緯と似ている。



昭和48(1973)年のオイルショックを契機に、高度成長の代償として失ってきたものの大きさを顧みる機運が高まっていました。日本で歴史的町並みを保存する制度ができたのが同50(1975)年ですから、ちょうど小樽運河の保存運動が立ち上がった直後です。(p.110)


昭和48年頃から昭和50年代にかけて小樽運河の埋め立てを巡って論争が巻き起こっていた。この問題の背景には、低成長時代に入り、それ以前の開発優先であった高度成長路線への批判的な機運が高まっていたことがあった。歴史的な遺構のうち、近代化遺産などと最近言われるようになったものは、こうした政策や世論の転換によって今も残されることになったものが多いのかもしれない。今後、こうした点にも注目してみたい。



 この火事がきっかけとなって駅前中央通りと龍宮通りとの中間に防火帯として、もう一本の道路を開削することになり、その結果誕生したのが船見坂でした。この坂ができたことにより、三角山斜面一帯の開発が進み、高級住宅地富岡が出現しました。(p.169)


この火事とは明治37(1904)年の稲穂町の大火である。かつての小樽では相当火事が多かったらしく、大きな火事によって町の中心が移転していくなど大きな変化が生じていた。駅の裏の高台にある高級住宅地が形成されてきた歴史的背景を知ると、また、テレビなどで小樽が紹介される際にもしばしば使われる船見坂からの景色もまた違った味わいをもって鑑賞できるような気がする。

なお、防火帯として道路が設けられたというのは、札幌の大通公園とも共通しており興味が引かれる。



 人が一度に認識できて感覚的に理解できるのは15文字以内と言われます。小樽の魅力を15文字以内で表してみましょう。(p.265)


数年前に多々行われてきた「ワンフレーズ・ポリティクス」を不覚にも想起してしまったが、何かを売り込もうとする際にはキャッチコピーが重要なのは確かであり、観光においてもそれは同じだということだろう。

15文字以内という短いフレーズの中に魅力を表現するのは、確かに相当考えを練ったり感覚を研ぎ澄まさなければ出てこないように思う。観光ガイドにはこうした訓練は必要かもしれない。


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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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