アヴェスターにはこう書いている?
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北海道高等学校日本史教育研究会 編 『札幌・小樽散歩24コース』(その3)

当時は支店の前面には専用の船入澗があって貨物を積んだ艀が出入りし、裏側に鉄道が走る絶好の場所であった。(p.122)


旧日本郵船株式会社小樽支店(国指定重要文化財)についての解説より。

かつての船入澗だった場所は現在、広々とした公園となっているが、船入澗の跡がわかるようにブロックで区別されているため当時の状況を想像することができる。また、現在、この建築の前にある電線を地中化するという話が出ており、それが実現すればさらに景観は良くなるだろう。

この記事から気付いたのは、その裏に鉄道の旧手宮線の線路が走っていたことである。前に港、後ろに鉄道という場所を選んで建てたのだろう。



現在、商業中心地は野幌に移り、JR江別駅付近の商店街にはかつてのにぎやかな面影はないが、石狩川へ合流する千歳川の河口部であったことから、鉄道と水運の中継地点であり雑穀や木材の集荷地、生活経済の中心地として、この千歳川沿いには古い石造りやレンガ造り倉庫など、歴史的な建築物が多く残っている。(p.122)


江別が占めていた歴史的な位置づけ。道央地方は札幌も含め幌内鉄道沿いの地域のうち、地理的に流通上の優位性を持つ地域が経済的に発展したことが見て取れる。



場所請負制

 商場知行制から転化し、江戸時代中期以降主要となってく蝦夷地経営の形態。1696(寛文9)年のシャクシャインの戦いを機に本格的な商場知行制を確立した松前藩は、元禄期(1688~1704)ころから運上金をとって商場の経営を商人にゆだねる場所請負制を行うようになる。享保期(1716~36)、これが広く一般化するなか、ついに18世紀半ばすぎには蝦夷地全体が商人の請け負うところとなっていく。また、このころになると本州における商品需要の変化とあいまって、その経営内容も変化し、アイヌとの交易から魚場での大規模な漁業生産活動が経営の主体となっていくが、その過程でアイヌは交易の相手から雇われ労働者に転化させられ、松前や東北地方からの出稼ぎ者も数多く投入されるようになる。(p.160-161)


15世紀後半以降、明との交易ができなくなってからアイヌの和人に対する優位性は次第に失われたというが、18世紀以降はそれが加速した様子が見て取れる。

商場知行制はほぼ封建制度の枠組みをそのまま蝦夷地経営に持ち込んだイメージが強いが、領主たちが商人に場所を請け負わせるというスタイルは、どこかイギリスによる東インド会社を通したインド経営/統治などを想起させるところがある。制度のディテールがどのようなものだったのか、また、その導入の経緯などについて、もう少し知る必要がありそうだ。



 札幌を中心とする石狩圏は、幕末のロシア接近のなかで、樺太経営の前線基地としてクローズアップされた。明治時代となり北海道の内陸部を含めた開拓がすすめられ、札幌に開拓使本庁が置かれて政治・経済の中心となり、小樽はその外港として発展する。エネルギー源としての石炭採掘が空知地方で始まると、輸出港として小樽の手宮を基点とした幌内鉄道敷設となり、日本最初の横浜・新橋間の開業に次ぎ、1880(明治13)年には手宮~札幌間が、2年後には幌内(現、三笠市)まで鉄道が開通した。1905年には日露戦争が終結し樺太南部が日本領土になると、樺太開発の基地として小樽はさらに発展し、金融機関が集中し「北のウォール街」と呼ばれるようになる。(p.194)


北海道、特に小樽の近代における経済的繁栄がいかに樺太と深く関わっているかということがよくわかる。第二次大戦後に小樽が「斜陽」となるのも、こうした関係を念頭に置くことで理解が容易になる。(ちなみに、当然ながらエネルギー政策の転換により石炭が使われなくなったことも大きいと思われるが、その直接的なダメージは夕張などの炭鉱の町でもっとも顕著であり、小樽や札幌の場合は炭鉱の町ほどの打撃を受けたわけではない。)

つまり、樺太がロシア領となり、ロシアとは冷戦により経済的な交流が長期的に小さくなったということが第二次大戦後の斜陽化の背景の一つである。冷戦後、日本の中古車がロシアに輸出されるようになり、それが小樽港を活性化したが、1-2年前にロシアが高額の関税をかけるようになってからその輸出は急速に小さくなった。中国や韓国の港へは日本の南部の方がずっと近くそれほどの地の利はない。この辺りを考えると、やはり北海道の日本海側の国際貿易(つまり、小樽港を介した貿易)においてはロシアの果たす役割は大きそうである。

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