アヴェスターにはこう書いている?
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北海道高等学校日本史教育研究会 編 『札幌・小樽散歩24コース』(その2)

JR篠路駅周辺の倉庫群は、丘珠・篠路地区で収穫された札幌タマネギとして有名な品種「札幌黄」などを全国にむけて出荷する基地となっていた。東口をでて左手にみえる3棟の石造りの篠路高見倉庫は、1943年に最初の1棟目がつくられた。(p.45)


札幌は日本におけるタマネギ栽培発祥の地であるらしい。早期に開設された鉄道があったことが、これを流通に乗せる上で有利に作用したであろうことは想像に難くない。札幌の外港である小樽から国内やアジアに出荷されていたものと推測される。



 北運河から運河沿い散策路の1本山側の道道小樽臨港線沿線には、メルヘン交差点とよばれる堺町の七叉路付近まで、寿司屋や土産物店がたちならんでいる。その交差点付近はかつてのオタルナイ場所の中心であったが、1881(明治14)年の大火を契機に勝内川周辺からこの地へ移動する人が激増したため、山をくずして海を埋め立て、市街地が造成された。(p.57)


小樽の「メルヘン交差点」が「オタルナイ場所」の中心であったとは知らなかった。ただ、そう言われれば広場状になっている地形などからかつて交通の要衝として機能していたであろうことは容易に想像できる。もっとも、これは明治41年以降に大量に人が移ってきた後にこのようになったのだろうが。

メルヘン交差点は小樽の観光スポットの中では小樽運河に次いで華やかな場所であると思われるが、こうして時代を超えて何度も栄える場所があるというのが興味深い現象である。



この辺り(引用者注;メルヘン交差点付近)は旧入船川(のちの暗渠)の河口で船入澗があった。堺町郵便局のところが史蹟オタルナイ運上屋跡である。江戸時代に和人とアイヌとの交易所だったのが運上屋で、オタルナイ場所とよばれた商場の行政・交易拠点だった。明治~昭和期もこの辺りは物資流通の要となり、銀行・商店・倉庫などがあった。(p.63-64)


オタルナイ場所があったのは入船川があったからであることがここからわかる。明治期以降にも物流拠点であり続けた要因の一つは明治14年の大火により人がさらに集まったというところにありそうに思われる。こうして入船川に沿った場所に新しい道路と市街地が作られていった。

その後、明治37年の稲穂町の大火を契機として色内(いわゆる「北のウォール街」のあたり)や堺町(メルヘン交差点と北のウォール街を繋ぐ通りのあたり)の方へと中心が移っていったらしい。そして、明治後期から大正の人口が急速に増えた時期には市内に幾つかある川に沿って市街地が展開していった。

市街地の展開プロセスをまとめて叙述した資料は少ないので、どうもすっきり理解できていないのだが、もう少し基礎知識がついてきたら、一度こうしたプロセスをまとめてみたいものである。



 1912(明治45)年建築の米穀商社共成株式会社の社屋を利用したもので、木骨レンガ造りの2階建てで、建物の内部は総ヒノキ造りの大ホールとなっている。北海道での稲作の歴史は浅く、明治・大正期はほとんどの米を青森、秋田、山形、新潟からの移出にたよっていたため、小樽の米穀商は大きな利益をあげることができた。共成は富山県出身の沼田喜三郎によって設立された東北以北最大の米穀商社である。喜三郎は農地の開墾にも力をいれ、旧所有地は空知管内沼田町にその名が残っている。1940(昭和15)年には北海道の海藻類を利用した製薬業も業務に加え、薬品部門は1955年に設立された共成製薬株式会社に引き継がれて現在に至っている。(p.104)


小樽オルゴール堂についての説明より。

小樽は富山県など本州の日本海側の地域との結びつきが強いが、この会社の沼田喜三郎もそうした流れの中に位置づけられる。米の産地である北陸の方から米穀商社がやってきて、北海道の玄関口であった小樽の交易の中心地のひとつであった現在のメルヘン交差点に店を構えるのは納得がいく。もっとも、この建物は明治45年建造なので、明治37年の稲穂町の大火によって市街地の中心が移動しつつある時期だったと思われるため、その前からこの商社が進出(?)していたのかどうかはやや気になるところではある。ちなみに、会社の設立は明治24年である。

米などを扱う商社から海藻類を利用して製薬業へとシフトしたというのも面白いが、これは北海道でも稲作が行われるようになったことなどにより業種転換が必要となったのだろう。


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