アヴェスターにはこう書いている?
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釧路市生活福祉部生活福祉事務所編集委員会 編 『希望をもって生きる 生活保護の常識を覆す釧路チャレンジ』

 自立生活支援員の新田は、「長く失業状態にあったり、世間に出る機会が少なかった人は、社会に出て行くのが怖い、あるいは社会へのハードルが高いと思っている」と、地域にあるさまざまなボランティア先=「社会的居場所」に参加している受給者に接して実感しています。生活保護を受ける状態ということは、「経済的な問題」にとどまらず、その人を取り巻く人間関係や有形無形の社会資源から切り離され、社会的な位置や役割の喪失、日々の生活と社会とをつながらなくなっている状態が実在していることだといえます。釧路市の自立支援は、そのことをふまえ、受給者の自尊感情を回復することから始めています。(p.60)


生活保護受給者の心理的および社会的状態をかなり的確に捉えているように思われる。ただ、おそらくこうした状態はどちらかというと、生活保護受給者という括りよりも、学歴の低さと相関関係を有しているのではないかという仮説が浮かんでくる。そうだとすれば、同様の問題を抱えている人は生活保護受給者に限られないであろう。

本書は釧路市における生活保護制度の自立支援プログラム活用の取り組みについての考え方や取り組みについて紹介した本だが、生活保護制度では現在、自立の種類に「就労自立」「社会生活自立」「日常生活自立」があるとされているが、自立支援プログラムによる社会生活自立や日常生活自立のための取り組みは生活保護制度の枠内で行うのではなく、制度が言う「他法他施策」として行われるべきであろう、というのが私見である。



人は決まった時間に出かける場所や「仕事」、楽しい「イベント」があると、前もって準備をし、身づくろいをするものです。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気のりしませんが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていくのです。(p.78)


生活保護制度における日常生活についての「指導」は、金がらみの問題や介護保険活用により解決できる問題を除けば、ほとんど効果を上げることはないと思われるが、自立支援プログラムにより社会の中に受給者の「居場所を作る」ことにより、そうした面を改善しうる。かなり説得力がある。



就労に近い人で、自信をもてないでいる人に対して一番効果があるのかなと自分では思っている。(p.114)


ボランティアなどに参加する場を設けることで、社会の中に居場所を作ることを通して自尊感情を涵養することが、その後の求職活動の成功に結びつく可能性があるということを指しているのだとすれば、私も同意見である。就労に向けた支援をしていくにあたり、自信がないことが「阻害要因」になっている場合、ボランティア活動への参加がそれを緩和することはありうるだろう。ただ、自立支援プログラムではボランティアに参加する時点で国費からNPOに金が流れる仕組みになっているようだが、それに見合う効果があるかどうかは疑問がある。場合によってはその分の金で仕事を一つ作り(一種の公共事業)、それによって就労しているという実績をつくり、その実績を以って後の就労可能性を拡大させるという考え方だってありうるだろう。



ケースワーカーじゃない人が、自分のことを一生懸命考えてくれるというのがいいみたい。新田さんが、社会の人とのかかわりの橋渡しをしてくれているととらえている。ケースワーカーというのは、やっぱり指導される人と捉えられがち。でも、新田さんはそうじゃないということが、参加者にわかる。(p.117)


新田さんというのは、本書執筆当時の釧路市の自立生活支援員。私見では生活保護においてはケースワーカーの業務は適正な扶助費の支給に集中すべきであり、それ以外の部分は制度の外部で行うべきであると考えるのだが、自立支援プログラムに基づく支援員ではなく、他法他施策に基づく支援員が置かれるべきであると思われる。

まぁ、それはさておき、ケースワーカーと受給者のような権力関係が存在する場ではないところでのケアが社会的自立等に向けては有効だという点は重要な指摘であるように思われる。



 仕事に就けました、自立しました、という成果は一つもない。ただ、自信をもった人はいた。そっぽを向いていた人が向かい合うようになったり、向かい合って話をしていた人が一緒に並んでいろいろ相談しながらやっていけるようになった。(p.118)


社会参加型の自立支援プログラムは経済的自立に直接結びつくものではないが、受給者の態度は変わりケースワーカーとの関係性は改善しうるという指摘。なかなか興味深い。しかし、数百万円から一千万円単位の税金を投入してこの程度の効果では納税者は納得しないように思われる。

もちろん、こうした成果主義的な発想自体が税の使い方や福祉という分野に馴染まない面が強いということは重々承知しているのだが、生活保護制度というものが経済的に生活できない人だけが受給できるものであり、生活できるようになりうる人については、自立して生活できるように「自立を助長」するべきものであるということを踏まえると、それを諦めたかのようなスタンスはやはり取るべきではないようにも思われる。たとえば、釧路のように有効求人倍率が低いなど労働市場にミスマッチがあるならば、仕事がない地域から仕事がある地域への移動もさせてしかるべきではないのか、など。



生活保護を受けなくていいような人は「溜め」がある人。新田さんのところでつくっているのは「溜め」かも。それがないと上(就労)につながっていかない。(p.123)


この「溜め」という比喩的な表現で指示されているものをもう少し具体的に内容が把握できるようにできれば、対外的な説明の説得力は上がるだろう。これはR.パトナムの「ソーシャル・キャピタル」などとも近い概念であるように思われる。


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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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【2011/02/25 11:33】 | # [ 編集]


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