アヴェスターにはこう書いている?
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マーク・ブキャナン 『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』(その2)

 さらに「モノグラフ効果」と呼ばれるものもある。現在まで残った化石でさえ少ないうえに、そのうち研究者によって実際に発見されたものは、さらに少ないはずだ。したがって、今でも多くの生物種が未発見のままであるのは、はっきりしている。もし、ある血気盛んな研究者がある特定の地質年代について徹底的に調査したとすると、化石記録はその年代で急上昇し、あたかも突然爆発的に種の数が増えたかのように見えてしまう。(p.185-186)


これは生物進化に限らず、歴史を見る際に注意しなければならない論点であろう。現在のヨーロッパの国々の歴史ばかりが研究されたことによってヨーロッパには歴史があるが東洋には歴史がないかのように言われていた時代があったが、そうした言説も、これと共通する点がある。



効率的市場仮説の拠り所となっている前提とはまったく逆に、市場株価の大きな変動は市場におのずから内在する作用の結果であり、それは「構造的な脆弱性」や基礎条件の突然の変化などがなくても、しばしば起こることなのである。その理由は単純だ。市場は平衡状態から遠く隔たっているからだ。(p.230)


市場の不安定性(株価の急激な下落など)の根本的な原因は、市場というものがそもそも平衡状態から遠く隔たっている(臨界状態に近い?)ことにあるとする認識は重要である。ネットワーク研究によって経済学を書き換えようとする場合、その基本的な認識の一つはこの点にあるように思われる。



流行の力はかなり大きいものだが、従来の経済学はその存在さえも認めていないのである。(p.237)


恐らくこうした現象を取り込もうとしたモデルは経済学にもあるのだろうが、説明に成功はしていないだろうし、広く受け入れられたものがあるわけでもなさそうに思われる。

引用文での指摘が成立するのは、個人から出発する方法に問題があるからであり、社会の構造(ネットワーク)を理論の根幹に組み込まなければ解決されないだろう。個々のノードが相互作用するモデルの構築が必要だからである。



この統計から分かったのは、各都市、たとえば人口400万のアトランタに対して、その半分の人口の都市が四つあるということだ。そのうちの一つはシンシナティーであり、そのシンシナティーの半分の人口の都市が再び四つあり、そしてさらに同じように続いていく。つまり、すべての都市や町は、様々な理由からたくさんの競合する影響の結果として発生してきたにもかかわらず、それでも全体としては一つの数学的法則に従うのである。
 人々が都市の間を自由に行き来できることを考えれば、このような著しく規則的な傾向は驚くべきものだろう。(p.261)


都市の人口規模もべき乗則に従うという知見は極めて興味深い。



 臨界状態という考え方を通して見れば、大きな革命というのは、その原因に関しては必ずしも特別なものである必要はない。それらは単に、臨界状態に留まったシステムに当然起こる、大きな変動にすぎないのである。(p.302-303)


大きな科学革命と小さな科学革命は同じような原因により起こるという指摘。そして、それは科学に限らないということが主張されている。



 もちろん人間のアイデアは、科学以外にも影響を与える。都市計画から演劇まで、あらゆる分野の人間活動は、それぞれ相互作用する優れたアイデア(実践方法や技術などをも含む)からなる独自の「生態系」をもっている。芸術や音楽でも同様である。新たなアイデアが現われると、それが既存のアイデアのネットワークのなかに取り込まれるとき、必ず周囲に影響を及ぼす。したがってさきほどと同様に、ほとんどあらゆる分野において、アイデアは科学と同様の統計的法則に従って散発的に進化していくものと考えられる。(p.306-307)


この点にはほぼ同意するが、分野を区切る必要もないように思われる。



 すべての戦争が対立によって引き起こされるというのは、もちろん自明の理である。しかしこのべき乗則は、戦争はそれが始まったときには「自分がこれからどれほど大きくなるかを知らない」し、それは誰にも分からないということを示唆している。……(中略)……。この亀裂が広がり戦争が大規模なものになるかどうかは、近隣の地域がたまたま崩壊の限界点に近かったかどうか、そして、その地域がこの問題をさらに他の人々、他の集団、他の国々へと広げていくかどうかにかかっている。……(中略)……。我々を国家や集団へと平和裏にまとめている組織構造は、戦争を森林火災や砂山ゲームの雪崩のように広げる役割を果たしているのではないだろうか?(p.317-318)


戦争の死者数もべき乗則に従うというのだが、最後の一文は興味深い。中央政府はそれが支配する域内における合法的暴力を独占しており、その行使についても決定権を握っており、それによって日常的には暴力行使を抑制しコントロールしているという面があるが、そのように独占されていることによって対外的な戦争における暴力行使の規模はさらに大きくなり得ているのではないか、という疑問が呈されている。この指摘は恐らく正鵠を射ているように思われる。

どのように改善すべきかについては、森林火災の例から転用すると、こまめに暴力行使がなされて、人が「間引き」されるような状態の方が、大規模な戦争は起こりにくいということになりそうだが…。


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