アヴェスターにはこう書いている?
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吉田徹 『二大政党制批判論』(その1)

政治改革の議論の中では、「政権交代」や「マニフェスト」といった、口当たりは良くとも、かなり粗雑な議論が横行してしまった。その結果、二大政党制の「功」だけが一人歩きすることになり、その「罪」は無視されることになった。しかし、格差問題や新自由主義、ゆがんだナショナリズムや排外主義といった現象は、もしかしたら、この二大政党制の進展と無縁ではないのかもしれないのだ。
 人為的に制度をいじって、それだけ政治が「良くなる」という発想方法を本書では「政治工学」と呼んでいる。しかしその発想自体が、政治をもしかして悪くするのかもしれない。(p.5)


なかなか示唆に富む指摘だと思う。

「政権交代」や「マニフェスト」という言葉はほとんどもっぱら「良いこと(もの)」として語られるばかりで、その「粗雑さ」は一般には理解されていないように思われる。

政権が変わるということは、確かに何らかの変化が生じる可能性が高まることは確かだが、その変化が「良い」方向に向かうという保証はないのだが、現状に行き詰まりを感じる人びとにとっては「何となく希望や期待を抱かせる」言葉であるが、政権を取った後に何をするか、それによってどのように生活や経済が変わるかということを隠してしまう効果も持っている言葉でもあり、本当に必要な議論をすることが難しくなる。選挙のときにこそ、政策が議論されるべきなのだとすれば、その時期に政策についての議論をできなくさせるという意味で、この言葉には問題があると私には思われる。

マニフェストについても、それを掲げないことは何か悪いことであるかのように語られるし、マニフェストに記載された政策を実行することが何らかの良い帰結を導くかどうかということを抜きにしてマニフェストを実行しないことは悪いことであるかのように語られる。しかし、本当に必要なことは掲げられた政策の効果をできるだけ客観的に議論できる環境があるかどうかということであるように思われ、マニフェストなるものを掲げ、それを必ず実行すべきだと言う類の議論は、確かに粗雑であるように思われる。

また、新自由主義やナショナリズムなどと二大政党制との間の関係というのも、かなり興味を引かれる論点であり、私としてもそうした観点からも今後、考察をしてみたいと思う。本書でもp.7で「敵対的な二大政党制は新自由主義と神話的である」と述べられているが、小泉の自民党と前原の民主党の時代の「カイカク」競争などが念頭をよぎったが、あのような現象にも制度的で構造的な要因が働いているという分析は必要であるように思われる。制度というものは、何か「良い」結果をもたらすためのものではなく、「悪い結果」が起きにくくなるように設計されなければならない。

そして、本書の批判対象の一つである「政治工学」もまた「なるほど」と思わされる論点であり、私としても本書によって啓蒙された感がある。この論点については、また別の箇所で書くことになるかもしれない。




 現代では、政党と政党政治の果たしている役割は、世界的にみて低下しつつある。それは19世紀から発達してきた政党という組織がデモクラシーで果たしてきた役割を大きく変えることになるだろう。(p.6)


興味深い指摘であり銘記しておきたい。



 先進デモクラシー国の中では、政治の持つこの重要性を憲法に明記している例もある。例えば、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャの憲法では、政党は公法上の地位を与えられており、政党に関する法的取り決めを持つ国もある。(p.16)


興味深い指摘である。

日本では「政党」とは何であるかということについて全くというほど議論も教育もなされていないため、こうしたことはほとんど知られていないように思う。これはやはり問題があるように思われる。



派閥が存在することは、それだけで党内で多様な意見が反映されることになるし、党内で権力が偏重することを防ぐことが可能になる。……(中略)……。派閥や族議員が社会の各セクターや部分的な利害を適切に党内へと伝達することができれば、それは政党の果たす利害の「集約」の機能を高めることにもなるだろう。(p.53-54)


「派閥」については、昨今ではア・プリオリに悪であるかのような観念が蔓延しているように思うが、私はそうした見方に非常に強い違和感を持つ。複雑ネットワーク研究の成果を念頭に置けば、ある程度以上の大きな組織で「派閥」的なグループができることはまず避けられないという認識がまず一つにあり、そうしたハブを中心としたグループである派閥は、この引用文にあるような意見の集約の機能が高まるなど、様々な役割を果たしているからである。



 政治学者デヴィッド・ハインは、派閥の機能には「組織」「政策」「範囲」の3つの次元があるとしている。「組織」は党内人事や人材育成のことであり、「政策」はその作成や決定、「範囲」はどの程度まで協力者や同調者を求めることができるのかということであり、これらの次元において派閥は重要な役割を果たすというのである。もし派閥政治がダーティなイメージを持たれて続けているのだとすれば、それは「政策」の次元を忘れて「組織」と「範囲」の次元に偏りすぎたためだろう。自民党が官僚組織に依存していたのでなければ、派閥は有力な「政策集団」としての意味合いを持ったはずである。
 今の自民党では派閥政治が崩壊して、その後有力な後継者を育てられなくなってしまうという状況が生じている。首相=党総裁にあまりにも権限や資源を集中させた結果、自民党は党内で切磋琢磨して次世代のリーダーを生み出すことを難しくしてしまった。(p.54-55)


政党内での役割だけが発達し、政党の外へ向けた役割が見えないので無用の長物であるかのように見えるのだろう。

自民党の弱体化と派閥の解体の関係は多岐にわたるが、ここで指摘されているような人材育成の問題もその一つだろう。自民党は中長期的にも衰退せざるを得ないように思われる。

派閥を政策集団的なものへと性格を変えるなどして、それを党外に対して十分にアピールしていかない限り、自民党は中長期的にも衰退せざるを得ないだろう。



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