アヴェスターにはこう書いている?
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姜尚中 『悩む力』

 二十世紀最大の社会学者と呼ばれるマックス・ウェーバーは、私が学生だった70年代の初め、「マルクスか、ウェーバーか」で議論が沸騰するほど熱い視線を集めていました。(p.17)


マルクス主義的な枠組みが現実世界の変化によって信頼を失ってきた時期にこの論争が起きたことに着目したい。日本ではウェーバーは「非マルクス主義」のパラダイムのひとつとして求められてきたものであるという点が背景にある。

90年代に私が所属していた研究室では、長老格のマルクス主義者のパラダイムが若い世代には受け入れるに足りないと感じられながらも、若い世代は自分たちのパラダイムを作り出せずに悩んでいたが、その際に、彼らがパラダイムを求めたのがやはりウェーバーであった。私が所属していた研究室のパラダイムは比較的古いものが残っていた領域だったから、この動きが20年ほど遅れて起こっていたと言えるかもしれない。



十九世紀末のヨーロッパでは、「世紀末的」と形容される病的で危うい文化が流行しましたが、現在のインターネットや仮想空間を見ると、似たようなものを感じます。(p.20)


これらの現象の背景には、金融自由化の世界的進展という共通の要因があると思われる。

今年の夏頃、「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」と題する美術展が割と近所であったのだが、忙しくて行けなかった。本書のような指摘を受けると、その時代の空気を実感する意味でも、見に行っておけばよかったと今更ながら後悔している。現在は大阪で開催中で、年明けには北九州で見られるようだが…。



自我が肥大化していくほど、自分と他者との折りあいがつかなくなるのです。(p.36)


確かにその通りだと感じる。自分の学生時代などを振り返るとまさにこういう感じだったかな、と。姜尚中もこの後でヤスパースの言葉を引いているが、私もその時期にヤスパースから同じことを学んだと思っている。



 letzte Menschen(末人)は、「最後の人びと」と訳されることもあり、なかなか含みのある言葉です。これは、ものの意味を考えるのをやめた人間の末路であり、それをウェーバーは「精神なき専門人、心情なき享楽人」とたとえたのです。


ウェーバーの超有名な台詞だが、意外とこのあたりは正確な意味が取りにくかったりもする。その参考としてメモしておく。



もともとは「お金のために働いたわけではない」人びとも、次第に「お金のために働く」ようになり、次第にそこも離れて「お金のためにお金が回っていく」ようになり、果ては「お金が回れば回るほどお金が増えていく」ようになる。(p.57)


お金の性質を考えさせてくれるよい(使えそうな)Idealtypusではなかろうか。



 そうした金融資本を人格化したようなキャラクターが話題になりましたが、グローバルマネーの冒険家たちは、かつてのように植民地を必要としているわけではありません。むしろ、そんな特定の領土に拘泥する必要がないのです。国境を越えて、この地上のいたるところにIT技術を駆使してグローバルマネーのネットワークを張りめぐらすことが、彼らに膨大な利潤をもたらすことになるのです。(p.58)


私見では、IT技術というよりも、主権国家体制が世界中にすでに存在しているために、比較的経済力の弱い政府に対して、金の力と資本の本拠地を擁する場所の政府の力を使って影響力を行使することで、利潤を上げられるようにできるということが領土を必要としなくなった要因ではないだろうか。



ばらばらに切り離された個人個人が、情報の洪水と巨大化したメディアにさらされ、何を信じたらいいのかわからない、何も信じるものがない、と無機質な気分になっているのではないでしょうか。(p.104-105)


ネット上で見られる「マスゴミ」非難などは、こうした気分が背景にあるようにも思われる。何を信じたらいいのかわからない、という不安定な感じを消すために、従前以上に「自分が信じたい情報」を欲しがる人々が、相対的に客観性を保持しようと努めているマスコミの報道に満足できずに非難しているという面は多々あるように思われるからである。もちろん、これとは逆に、相対的に客観的な報道をするよりも「視聴者が求める」情報を報道しようとする姿勢がメディア側に強くなり、それが批判されているという部分もあるだろうが。



人がいちばんつらいのは、「自分は見捨てられている」「誰からも顧みられていない」という思いではないでしょうか。誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じことになってしまうのです。
 社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。
 ……(中略)……
 社会の中での人間同士のつながりは、深い友情関係や恋人関係、家族関係などとは違った面があります。もちろん、社会の中でのつながりも「相互承認」の関係には違いないのですが、この場合は、私は「アテンション(ねぎらいのまなざしを向けること)」というような表現がいちばん近いのではないかと思います。清掃をしていた彼がもらった言葉は、まさにアテンションだったのではないでしょうか。
 ですから、私は「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは、「他者からのアテンション」そして「他者へのアテンション」だと言いたいと思います。(p.122-123)


働くことの意味というのは、ひとつだけに修練することはできない多元的なものであると思われるが、姜尚中が指摘するようなアテンションというのも、重要な要素であるように思われる。経済的な必要性がもっともベースにあると思うが、それを満たすことだけが働く意味ではないし、著者も言うように「やりがい」などはさらにその先の段階の話であるというのも妥当である。このアテンションというのは、その中間にあって見えにくい領域であるが、本書は非常に重要な点を指摘していると思う。

ただ、働くことのできない障害者などに対する配慮が本書の論からは抜け落ちている。働くことのできない病人や障害者はどう考えるべきか?社会的には無用だと言い切ることには、たいていの人は躊躇するのではないだろうか。基本的には家族などのよりプライベートな関係にそれとは別の承認を求めることになるのだろうが、これらの人びとには医療や介護などを含めた公的な領域がかかわっているのであり、そうした人びとに対する視点が抜けてしまうところに、本書の指摘の弱みないし盲点はあると思われる。



 サービス業の大きな特徴として、「どこまで」という制限がないことがあります。(p.126)


なるほど!私の場合、今の仕事は明らかにサービス業なのだが、ある程度の線引きをしながら仕事をしなければ、度を超えてしまうということをよく感じる。その原因はまさに「どこまで」という制限がほとんどないことにあると思われるため、腑に落ちた言葉である。



 しかし、制約があったからこそ、それが「愛」なのか「愛ではないもの」なのかが、まだ見分けやすかったのです。たとえば、もし自分の意思とうらはらな伴侶を無理やりあてがわれれば、逆に、自分が真に心惹かれるのはどういう相手なのかわかったりもするでしょう。
 これに対して、何でも自由にしていいと言われたら、人は判断の基準を失って途方に暮れるのではないでしょうか。自由というのはたいへんな困難を伴うものです。
 愛する自由を手にしたことによって、愛からますます遠ざかっていくという皮肉がそこにあります。(p.135-136)


晩婚化などの傾向を「個人の自由」の進展から本書は切っているが、なかなか鋭いという感じがする。

愛について自由化が進んだために、愛というものが見えにくくなっていると著者は指摘している。そして、これは愛に限らず、さまざまなものが自由化によって見えにくくなり、確かなものがわからなくなってしまっている、という。そして、その中で「悩みぬけ」というのが本書の主張である。



 少々極端な話になってしまいましたが、いま、私自身が「愛」に関して実感していることは、結局「愛には形がない」ということです。形がないだけでなく、「愛のあり方は刻々と変わる」のです。
 「私にとってこの人は何なのか?」と問うことは、問いかけ自体が間違っているのではないでしょうか。すなわち、相手と向かいあうときは、相手にとって自分が何なのかを考える。相手が自分に何を問いかけているのかを考える。そして、それに自分が応えようとする。相手の問いかけに応える、あるいは応えようとする意欲がある、その限りにおいて、愛は成立しているのではないでしょうか。(p.140)


オートポイエーシスと非常に似ており、納得できる。

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