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アヴェスターにはこう書いている?
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『世界の名著 ルター』
本書を読んで、私が見たルターの立場は、世俗権力を擁護するイデオローグである。特に経済的利益を擁護する傾向があり、世俗権力が軍事と支配の権力を持つことを擁護する。

そのことは世俗権力にだけは建設的な批判を行っているが、それ以外の勢力、ローマ教会、農民、プロテスタントの他の分派へは否定的な批判を行うことからわかる。従って、ルターを世俗諸侯がかくまったのも偶然ではない。

ルターが彼の神学の内容でそのことを見ると、おおよそ次のようになる。

信仰義認説には、行為や律法による義認を否定することで、教会法や教会の命令による人民支配や搾取から「ドイツ」を守ろうという意図がある。

例えば、『キリスト教界の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に与う』における贖宥状や枢機卿批判もその一部である。ローマ(教皇)による「ドイツ」からの簒奪という文脈にそれらはおかれる。つまり、ローマ教会が資金を集めるために「ドイツ」で贖宥状を売れば、「ドイツ」の金がイタリアに流れることになり、また、多数の枢機卿が設けられることは、彼らがイタリアから「ドイツ」の司教領や修道院、高位聖職禄を独占することで、ローマ教会による「ドイツ」への政治的介入が行われ、それが「ドイツ」を疲弊させていると批判する。

こうしてローマの教会権力による政治的介入によって、「ドイツ」の世俗権力や人民が搾取される構造を打破しようとしており、そのために政教分離的な主張が行われている。なお、ナショナリズム的な発想が16世紀にすでに見られるのは興味深い。

また、聖書主義と万人祭司説も同様にローマ教会による正当性の独占を打破するものであり、こうして政教分離を行う(より正確には、教権による俗権への干渉を排除する)ことで、世俗権力を教会権力から守ろうとしている。

こうしてルターは教権から世俗諸侯の権力を擁護するが、他方、農民に対しても、基本的には諸侯の側に立って発言している。

農民が「公正な社会」の実現を求め、諸侯の圧政に対して立ち上がったことに対して、ルターは一定の共感は示しており、諸侯に対しては圧政をやめるよう批判している。しかし、基本的には耐え忍ぶことこそキリスト者であるという類の言説で農民を黙らせようとしている。こうした態度は「支配者のイデオロギーとしてのキリスト教」の側面をそのまま受け継いでいる。

ちなみに、農民、ローマ教会、世俗権力のうち、世俗権力を擁護するが、単なる提灯持ちではなく、建設的な批判も行っているために、思想史や神学的な立場からのルター解釈を行う人々には、この立場が見えにくくなっているように思う。

そして、こうして世俗権力批判をも行うにあたっては、ルターは自らの正当性を確保する必要がある。そのため神学的に理論武装しているという面がかなりあるようである。その際、ルターの論理的な拠り所とされるのは「霊の人」と「肉の人」の区別である。しかし、霊の人と肉の人の存在は前提されており、それらがどのように存在するのかということはほとんど不問に付されている。そこに恣意的な判断が入り込んでいるため、たとえ一貫性がない発言であっても、いくらでももっともらしく主張できるようになっている。これがルターの思想の最大の問題点であろう。

なお、本書は、抄訳の文章が多いが、どこで省略したのかなどが明示されておらず、学術的文献としては用を成さない。その点は残念である。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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