アヴェスターにはこう書いている?
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伊藤潔 『台湾 四百年の歴史と展望』(その2)

ちなみに、この巡撫衙門は台湾民主国の独立式典の会場でもあり、日本統治下で台北公会堂に改築され、さらには第二次世界大戦に敗戦した日本の、中華民国国民党政権に対する降伏式の式場となった。日本の降伏式は国民党政権の台湾始政式でもあり、その後、台北中山堂と改名されて今日にいたっている。この建物こそ台湾の変遷のあれこれを眺めつづけて来た、物言わぬ歴史の「証人」であろう。(p.73)


近日訪問予定の場所についての説明なのでメモしておく。



「土匪」の鎮圧の難しさに加えて、言語の問題もあった。日本政府は台湾人が中国語(北京官話)に通じていると思い込み、中国語の通訳を台湾に派遣した。(p.79)


第三代台湾総督・乃木希典の時代またはそれまでの期間についての記述。

国民国家化し、そうでないあり方を想像しえなくなっていた日本側と、国民国家化していない清国・台湾の状況が垣間見える。



従来の旧式製糖技術の革新にも腐心する後藤は、新渡戸稲造を台湾に招聘した。(p.93)


新渡戸稲造が台湾に来ていたことを私は比較的最近になってから知ったのだが、それが後藤新平による招聘だったということを本書の記述で知った。我ながら勉強不足ではあるが、昔の日本の政治家や学者などについては、あまりこれまで調べてこなかった分野であるということを痛感した。最近、日本に対する関心が私の中で比較的高まってきているので、このエリアに関する歴史や人物などについても少し調べを進めていこうと思う今日この頃である。



 今日の台湾人年配者に多く見られる親日感情は、これら日本人教師の存在に負うところ大である。日本が台湾を放棄した後、新たな支配者となった国民党政権は、日本植民地下の教育を「奴隷化教育」ときめつけているが、それは近代的な市民意識に対する認識を欠く為政者が、みずからの独裁と腐敗の政治を隠蔽し、責任を転嫁するための口実に過ぎない。(p.118)


大無縁妥当な評価と思われる。

今回の台湾訪問ではこの日本語世代の台湾人の家に泊めてもらう予定になっているので、その時代の思い出話などを聞かせてもらうことを通して、この時代の様相を少し具体的に知りたいと考えている。



 台湾人の悲劇は、日本統治下で体得した「法治国家」「法の支配」の精神を、国民党政権にも期待し、幻想を抱いたことである。知識人の多くは「治安警察法違反事件」(1923年)を経験しており、政府を批判したり抵抗しても、「悪法」とはいえ法にしたがって裁判と処罰を受けている。ところが「祖国」には、「法の支配」の概念のカケラさえなく、ただあるのは、批判や抵抗する者を容赦なく「鉄砲で裁く」ことであった。(p.157-158)


私の評価としては、日本による植民地統治の方が国民党による独裁時代よりも幾らかマシのように見えるのだが、このあたりにその大きな要因があるように思われる。というのは、曲がりなりにも「法治」がなされていれば、悪法であってもそれを改正(を要望)することができるし、さらには実際の運用と条文の関係をチェックしていくことによって、ある程度までは改善の見込みが立つが、「鉄砲による裁き」が平然と行われる場合は、改善のための手段が被治者の側には全くというほどなく、統治者の側には法的及び政治的には、そうする誘因もないからである。

台湾ではなく、大陸の共産党独裁では未だに法治が十分行き渡っていないようだが、恐らく資本のグローバルな移動が中国にも及ぶようになってからは、徐々に改善を余儀なくされているように思われる。このように、経済的な要因により法や法の運用の改善が求められることがありうる。近未来にそのあたりの実情を少し調べてみたい気がする。



 「二・二八事件」に関連して、一ヵ月余の間に殺害された台湾人は、国民党政権のその後の発表によれば約二万八000人を数える。これは当時の台湾人の200人に一人が犠牲になったといえ、日本の50年間の統治において、武力抵抗で殺戮された台湾人の数に匹敵する。(p.159)


上の引用文のように国民党独裁下で「鉄砲による裁き」が行われたことの最も象徴的な事件が2.28事件だろう。



国民党の性格は共産党とほぼ同じで、革命が成就、つまり「三民主義」(孫文の主張する「民族主義」「民権主義」「民生主義」)が、全中国に実現するまで「革命」をつづける「革命政党」であり、党首(蒋介石のときは総統、その後は主席)に絶対的な権力を集中させた。(p.171)


現在は国民党の性格も変わった部分があると聞いているが、冷戦時代とそれ以前においては国民党が共産党と「同じ性格」であっても驚くにあたらない。

当時の世界システムにおける半周辺的なステイトの統治機構では、中核に対する防衛的な態勢を整えるための政治運動であり、「外敵」と対峙するために「支配域内」の資源を集中的に動員できるようにする必要があったのである。イデオロギーの違いは表面的なものに過ぎない。



 中国の政治文化には「投票箱から政権が生まれる」という発想はない。毛沢東がいったように「鉄砲のもとで政権が生まれる」のが、中国政治の真髄である。(p.177)


「中国の政治文化」なるものを不変の実体のように扱うとすれば、最初の一文は私としては大いに批判すべきタイプの言論だが、民主主義というものの方が、むしろ歴史的に見ると、かなり特殊な「政治文化」であるということは指摘しておこうと思う。「投票箱から政権が生まれる」よりも、「鉄砲のもとで政権が生まれる」という方が歴史的には常態だったのである。もちろん、言うまでもないことだがここでの「鉄砲」は武力の象徴であって鉄砲そのものではない。



1970年代まで、軍事費の予算は総予算の50%を超えており、公共建設などの社会資本への投下にしわ寄せをきたしている。そればかりか国民党も共産党同様に、軍人や兵士に対する「政治教育」を徹底しており、国民党と蒋介石父子の「私兵」となったため、国民党政権への批判勢力を敵対視している。(p.178-179)


支配域内の資源を集中的かつ強制的に動員する際に必要になるのが、こうした暴力装置の掌握であり、暴力装置に頼らなければならないが故に「鉄砲による裁き」とならざるをえない。

経済的な豊かさが人々に行き渡ると、一般の人々の「権力」が強まる(経済力は「財を処分する権力」であり、民衆の経済力がつくということは民衆が動員できる財の質量が増えるということである)ので、政権中枢の権力が相対的に弱くなるため、武力による支配の度合いが減じ、デモクラティックな体制に移行しやすくなる。もちろん、経済的な要因だけではなく、域外との関係なども重要な要因になるが。



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