アヴェスターにはこう書いている?
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若林正丈 編 『矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読』(その2)

 すでに知られているように、「植民政策学」なるものが日本のアカデミズムに成立するのは、日露戦争後においてである。明治維新後の「北海道開拓を背景に端緒が形成され、台湾領有とともに体系化が模索されはじめた日本の植民政策学は、日露戦後の植民地帝国の成立(南樺太の領有、中国・関東州租借地の獲得、朝鮮の保護国化および南満州の勢力圏化の推進)という外的状況に促されて一個の学問として社会的に認知されていった」のである。大学においては、1907年東北帝国大学農科大学に「植民学」講座が設けられ、1909年東京帝大法科大学に「植民政策」講座が開設され、前に触れたように新渡戸稲造が講座担当教授に任命された。この講座は、かつて台湾総督府民政長官として児玉源太郎総督の下で統治確立に辣腕を振るった後藤新平が呼びかけて集めた「故児玉源太郎記念寄付金」二万一千円で実現したものであった。本書にも登場するように、新渡戸は民政長官時代の後藤新平の下で台湾の製糖業の再編に協力している(1901年-03年。官職名は煩瑣に変わり最後は臨時台湾糖務局長)。(p.349)


ウィキペディアによると札幌農学校(現在の北海道大学のルーツであり、引用文にある東北帝国大学農科大学の前身)にはすでに1891年に日本最初の「植民学」講座が設置されていたという。まさに北海道を開拓していく中でその基礎が形成されたものが、台湾をはじめとする植民地獲得により需要(必要性)も増大して行ったことが見て取れる。

最近、北海道と台湾の間に多くの共通性があることが、私の興味を引いているのだが、植民政策学の展開から見ても、北海道「開拓」の際にはあまり統治技術的な部分は必要とされていなかったように見える。北海道の開拓(征服)の歴史についても少し調べる必要があるかもしれない。

新渡戸稲造というと『武士道』の著者であり、国際連盟の事務次長を務め、5000円札に肖像が描かれたことなどが想起されるが、台湾で活躍していたという事実はあまり注目されていないように思う。実際、私も台湾について調べるまで知らなかったようなものであるが、北海道で実学教育を受け、それを台湾で実際に活用するという順序になっている点など、新渡戸稲造という人物の経歴も植民政策学や日本の植民地統治の現実が反映していると見ることができ、興味深い。



 近年よく読まれているベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論『想像の共同体』では、近代の文化的人造物としてのネイション(nation)が主権的な共同体として「想像される」にいたる際の歴史的基盤の一つとして、かつて植民地であった地域における「植民地的巡礼圏」の存在を指摘している。植民地統治地域を一つの中心とヒエラルキーをもって覆う行政官僚システム、それと相似形の植民地教育の体系、人生においてそこを、多くは周辺から中心へいわばらせん状にそのヒエラルキーを上昇しながら旅していくことになる一群の土着エリートの形成、これらが植民地大の政治的境域においてネイションを「想像」させる社会的基盤となるのである。(p.373)


本書のこのあたりの解説は、非常に噛み砕かれており分かりやすい「ナショナリズム論入門」(ここまで言うとちょっと大げさだが)となっており、一読を人に勧めたい箇所である。

もっとも、巡礼圏の議論だけではネイションの「想像」を説明しきれないため――例えば、非エリートはこの上昇プロセスを経ないので、エリートと同様の経験をしないため説明されないまま残ることになる――別の議論と必ず組み合わせる必要はあるのだが。

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