アヴェスターにはこう書いている?
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矢内原忠雄 『帝国主義下の台湾』(その2)

 自由主義経済学者は本国貿易総額中植民地との貿易の占むる割合の小なることを指摘し、植民地貿易の利益の為めに一般外国貿易上の損失を招くを不利なりとし、外国との葛藤を生ずる虞ある植民地領有は資本家に取りても不利なりと論じた。英仏米等の諸強国に於いても其植民地市場は外国市場に比して一般的にも価値が小である。併し乍ら特殊の産業部門特に木綿製品及重工業製品にとりては植民地市場の価値は一般商品以上に重大である。例へば米国の植民地に対する輸出は全輸出額の9分の1であるが、木綿製品については5分の1、鉄製品については6分の1を占む。而して木綿及鉄は代表的なる資本家的大企業であり、各国間の市場競争最も激烈なるものであるから、之に関して植民地市場が重要なることは、本国にとりて一般商品輸出額の合計に於て見たる比率以上の重要さを植民地に与ふる。蓋し経済的にすべての資本家は一階級を為すといへども、政治的には其中にありて最も資本の集中したる個々の大企業家が政策の決定権を有する。之れ植民地市場の帝国主義的意義がその表面的一般的数字以上に重要視せらるゝ所以である。而して我植民地について見れば綿織物市場としての価値は外国市場と同程度であるが、それにしても独占的地位を有するものであり、重工業肥料工業にとりて其価値は極めて大である。要するに帝国主義にありてはその支配的地位にある産業部門資本家の評価に従ひて植民地市場の価値は認識せられるであらう(拙著『植民及植民政策』256-8頁〔第一巻209-11頁〕Moon, P.T., Imperialism and World Politics, pp.528-534.参照)。(p.135)


植民地による利益を測る単位は「国」や「国民経済」ではなく、「最有力な資本家の資本」であり、その資本にとっての利益の有無、利益の大きさによって植民地市場の価値が主張されることになる。

ブレトン・ウッズ体制崩壊後の世界の秩序は19世紀後半から20世紀初頭の秩序に近いものになっており、まさにこうした図式は現代にも蘇っていると思われる。

なお、当時と現代の違いは、確定された領域内に主権を有するものとして機能している「国民国家」が全世界にくまなく浸透していることであり、そのために露骨な植民地的侵略は困難になっていることである、というのが私見である。この相違がどのような違いをもたらしているのか、そして今後もたらしていくのか、非常に興味があるところであり、今後、研究していきたい問題である。



勤勉なる本島人農民の人口稠密なる西武台湾に於いて、内地人農村を建設せんとするは恐らく至難のことに属する。東部台湾に於ては之に反し住民は蕃人、未墾地は多く、人口密度は粗なるが故に、とも角数個の内地人農村が建設せられ得た。東部台湾の人口9万人中、平地蕃人4万5千人、本島人2万7千人、内地人1万5千人にして、本島人の割合は三割、内地人は一割七分である。之を台湾全島に於ける人口百分比本島人は九割二分五厘、内地人は四分六厘なるに比すれば、東部台湾人口が比較的本島人的にあらずして内地人的たるを見る。而して内地人の居住する農村は花蓮港庁下に於て吉野豊田林田三村、台東庁下に於て旭村鹿野村鹿寮の三村、人口合計約三千八百人である。花蓮港街の如きは純然たる内地的市街である。事実、東部台湾は著しく内地的にして、西部とは全然旅行の印象を異ならしむ。西部に比すれば遥かに内地人の民族的移住地が建設せられたることが認められる。(p.140)


現在でも台湾の中南部や東部と北部とでは日本語の通用度や日本語が元になっている単語の状況などが異なっている(日本語の通用度や日本語起源の単語が多い)というが、それはこうした状況が歴史的背景としてあるのだろう。

「旅行の印象」が現在ではどうなっているのか、時機を見て確かめてみたいものである。



更に文化的価値の問題としては日本文化の発展、特殊の科学的及歴史的研究を見るべく、殊に新設台北帝国大学が南洋史の研究を以って其の特徴と為すが如き、台湾に拠る我国南向帝国主義の文化的表現とも見られ得る。(p.147)


台北帝国大学は現在の台湾大学の前身。

北端の帝国大学である北海道帝国大学(現北海道大学)は実学を重視しているが、これは北海道開拓という現実的な要請とも深くかかわっていただろうし、日本においてはロシア研究なども比較的盛んだと言えるわけで、大学の研究の方向性と時の政府の政策の方向性というものを比較対照しながら見るというのはなかなか興味深い見方かも知れない。



 台湾三銀行の救済は台湾統治の救済である。且つ台湾島内及び南支南洋に於ける経済的帝国主義の救済である。二億三千七百余万円の内地一般国民の負担は明白に帝国主義の費用である。植民地統治上若くは植民地的発展途上必要とは、国民負担を泣寝入して承認せしむる合言葉である。併し乍ら帝国主義的植民政策が一般国民に取りて相対的に(独占資本家に比して)不利益たるのみならず、時に絶対的損失の原因となることは、我植民地中最も高度の資本主義化を遂げたる「帝国主義下の台湾」が最近吾人の眼前に展開したる事実である。(p.152-153)


グローバルな金融資本の自由な活動は、過剰な流動性を実現し、半ば必然的に恐慌を引き起こすが、その恐慌から立ち直るためには金融機関等への公的資金投入などの方策が必要となる。グローバルな金融資本の自由化による利益の大部分は資本家・投資家が得ることになるが、その失敗に際しての損失は一般庶民の税金によって補填される。矢内原が本書を出していた時期(1929年)と現在とに共通する現象である。いずれもグローバルな金融自由化が背景にある。



 以上を通観するに歴代台湾総督の施政方針として訓示せる処は大正七、八年の交を以って前後二期に分つを得る。前期は児玉後藤政治を基調とするものにして台湾社会の特殊性認識に基き社会的には旧慣尊重、政治的には本島人に対する差別的警察専制統治、政治の内容は治安の設定島内産業の資本主義的発展、内地人の官僚及資本的勢力の確立、及び教育施設に対する冷淡に存した。後期は明石総督以後昨年(昭和三年)新任の川村総督に至る迄十年間に総督を替ふること六度の頻繁に上ったが、其の一貫せる基調は田総督の訓示に求めうる。即ち台湾社会の特殊性認識より転じて内地延長主義同化主義に移り、教育尊重、文治政治、民族的融和を説くと共に、経済的には島内産業の開発より進みて特に台湾と内地との連結及び南支南洋への発展を高調するに至った。前期を日本帝国主義下の台湾の警察政治的建設時代といはば、後期は文治的発展期に入れるものである。要するに帝国主義が島内にありては従前よりも稍々柔軟なる衣装を著ると共に、島外に対する積極的なる経済発展を高調すること、之れ近年台湾統治政策の特徴である。(p.187)


本書からは、大正8年(1919年)頃から台湾政策に大きな政策転換があったことが読み取れる。

世界的には第一次大戦が終わったすぐ後にあたり、ロシア、朝鮮、中国などで民族主義的な運動や共産主義などの社会運動が高まりを見せていた時期である。日本でも大正デモクラシーの時期にあたる。日本の台湾占領のプロセスから見ると大きな反乱をほぼ平定し終わった時期にあたる。こうした背景と政策転換との具体的な結びつきについて、今後、調べてみたいという好奇心を刺激された箇所である。

ナショナリズムという観点から見れば、前期の「台湾の特殊性認識」は日本の側から見ると、日本側の「ナショナリズムの防衛的な側面」がやや強いのに対し、後期の「内地延長主義」では「ナショナリズムの攻撃的な側面」が前面に出ているのが興味深い。

すなわち、前者は台湾側からの抵抗に対して台湾を囲い込んで攻略するような方向性を示しており、台湾の人々を「囲い込んで飼いならす」ことによって、日本側に安全圏を設ける形になる。ここでは内地人と本島人とはいわば別々の「ネイション」として扱われている。これに対し、後者は既にある程度「飼いならし」が済んだ台湾の人々を積極的に帝国内に取り込み、帝国の周辺(辺境)から帝国の半周辺(半辺境)へと押し上げながら、帝国の領域を対外的に拡張しようとする志向が読み取れる。つまり、本島人を内地人と同一の「ネイション」に取り込もう(同化しよう)としている。

なお、「警察政治的建設時代」について矢内原が「教育施設に対する冷淡」を取り上げている点は、彼の考え方を示しており興味深い。矢内原は内地延長主義には批判的であり台湾の特殊性認識を基礎とするべきだと考えていたと思われ、その点ではこの警察政治的な時代の考え方と共通するところがあるのだが、彼はもちろん警察政治を是認するわけではないし、教育に対しても特殊性認識に基きながら内地人と本島人を同じレベルまで行うべきだと考えていたと想像される。そうした理想をもっていなければ、「冷淡」であるという事実(手厚い教育の欠如というような「欠如している事実」)はなかなか見えにくい。そうした「欠如態」を明示的に指摘している点に、彼の考え方なり理想とするものが見えて興味深い。


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台湾でも、開拓団が送られた。東部にいくつの開拓団による開拓村も出来ていた。さらに戦争が終わったころ、赴任の官吏や公務員あるいは技術者や町人と違い、これら裸一貫で3世まで台湾で生活基盤を築く人たちは確かに残留したいと意思を示したが、蒋介石政権により、全員送還の方針で引き揚げたという。
【2009/11/27 02:49】 URL | libai #- [ 編集]


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