アヴェスターにはこう書いている?
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西澤泰彦 『日本の植民地建築 帝国に築かれたネットワーク』(その3)

 建築を語るうえで必要なことは、植民地建築が支配とどのように関係しているか、あるいは、支配を進めるために植民地建築をどのように作ったか、という問題である。言い換えれば、植民地建築が存在することを前提に、支配を語る危うさが存在しているのである。台湾総督府や朝鮮総督府による支配を語るとき、そこでは、総督府庁舎がすでに存在しているものとして語られることが多く、本書が示したように両庁舎とも長い歳月をかけて建てられたこと、その歳月が支配する側にとって意味があったこと、総督府庁舎よりも優先的に先に建てられた建物があったこと、などは無視されるのが常である。そこには、植民地建築が支配と関係するという前提を、そのまま結果として語る危うさが存在している。したがって、植民地建築と支配との関係は、支配のうえでの必要性を具体的に論じ、それと植民地建築の具体的な中身との関係、そして、植民地建築をどのように作ったか、という問題を語ることで、初めて明確になるのである。(p.186)


知識が不足している段階では、特にこうした推論をしやすいので気をつけたいところである。



台湾総督府や朝鮮総督府、関東都督府や満鉄が建てた建物から判断すれば、これらの機関は、日本建築を規範とする建物を裂けていたと考えられる。これは、当時の日本の支配が、欧米諸国との強調によって認められていた東アジア支配の枠組みの中でおこなわれたものであり、そこでは、日本の支配能力が試されることとなった。したがって、香港、上海、天津など東アジアにおける欧米諸国の支配地に建てられていた建物と比肩しうる建物を建て、欧米諸国の人々に目に見えるかたちでの支配を示すためには、西洋建築を規範とする洋風建築で支配に必要な施設を整えていくことが有効であった。(p.191-192)


本書の主張のうち最も興味深かった箇所の一つ。

植民地建築において洋風建築が建てられた理由の一つとして、こうした外国に対するアピールがあったとする。これは以下に述べられていく論もあわせると、さらに興味が引かれる。

 このような傾向が大きく変わるのは、1930年代後半であった。台湾や朝鮮半島、中国東北地方のいずれでも、台湾建築、朝鮮建築、中国建築に用いられる屋根携帯を模した屋根を持った庁舎や駅舎が建てられていく。(p.192)


これらは植民地建築を見る際に、注意してみてみたいところである。

 このような形態の屋根を持った建物の出現は、台湾総督府庁舎や朝鮮総督府庁舎にみられる西洋建築を規範とした洋風建築を建てる必然性が失われたことを意味している。それは、満州事変以降における欧米諸国と日本との間に生じた東アジア支配の構造的変化と関係している。満州事変以前における日本の東アジア支配は、欧米諸国との協調の下で認められていた支配であり、欧米諸国の支配の枠組みに組み込まれていた。したがって、その支配能力が問われ、それを示す一環として、西洋建築を規範とした建物を建てる必要があった。
 しかし、満州事変によって、欧米諸国による東アジア支配の枠組みからはみ出した日本は、他国に支配能力を認めさせる必然性はなくなり、東アジアにおける欧米諸国の建築と比較されるべき建築を立てる必然性を失った。(p.193-194)


欧米諸国の視線を意識して洋風建築を建ててきたが、欧米諸国と協調する体制からはみ出してきたために、欧米諸国の視線をあまり意識せずに済むようになったというわけである。



 前田松韻が、ヨーロッパの著名な市庁舎を参考に大連民政署を設計した例にあるように、左右対称の正面の中央に塔屋を載せることは、官衙の外観では常套手段であり、これらの形態は、19世紀後半から20世紀初頭に流行したネオ・バロックの手法であった。その典型は朝鮮総督府庁舎であった。そして、台湾総督府庁舎や朝鮮総督府庁舎のように、規模の大きな庁舎の場合、正面中央に塔を立ち上げ、その後方に鉄骨造ガラス張りの屋根を架けたホールを設け、その両側に中庭をとる手法は、ヨーロッパでもドイツ帝国議会議事堂(1894年竣工)など、規模の大きな建物で用いられた手法と同じであった。
 そして、これらの外観を見ると、台湾総督府庁舎や奉天駅に代表されるように、赤煉瓦むき出しの外壁を地とし、窓や出入り口、付け柱などに白色系の部材を付して図とした「辰野式」と呼ばれる外観の建物がある。これらは、19世紀のイギリスで流行したクィーン・アン様式の延長線上に位置づけられている。すなわち、西洋建築史の枠組みの中でこれらの植民地建築を位置づけると、それらは、いずれも、19世紀から20世紀にかけて流行していた建築様式の影響を受けていた。(p.200-201)


当時の欧米の流行の影響を受けたことは、欧米諸国の評価を得られるよう、欧米諸国の眼差しを意識して建てられていたとする前述の説と表裏一体であろう。



様式の普遍性は、19世紀末から20世紀初頭におけるそれぞれの地域での煉瓦造、組積造建築の普及によって裏打ちされていたのである。(p.201)


なるほど。



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