アヴェスターにはこう書いている?
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弓場紀知、長谷川祥子 『美術館へ行こう やきものと触れ合う[中国・朝鮮]』

 唐三彩の形に共通する特色は金銀器の影響、もしくはその模倣である。唐代の器の主流があくまで金銀器、銅器であったことは発掘例などからよくわかる。(p.34)


やきものの形状は他の素材で作られていたものの影響を受けていることが結構多いようだ。特に古い時代のものほどそういう傾向が強いように思われる。



 俑は秦・漢時代に墓室にさかんに副葬され、権力者達は俑の数の多さによってその力を誇示した。秦始皇帝はその典型で、自らの墓のまわりに万余の土製の兵隊を配した。漢代も規模は小さいが兵士の隊列に墓を守らせている。しかし南北朝になると軍隊の俑は少なくなり、文人や女官、シャーマンなどがふえてくる。それが唐代になると、美しく着飾った女官や侍女、大道芸人、儀仗兵などが中心になってくる。それにあわせて墓室には官女の列や庭園図、狩猟図など遊興図の壁画がえがかれることとなった。平和な時代だったのだ。(p.36)


ここでは、像(俑)の造型において何が象られるか、ということが時代性を反映していると見られている。確かに、そうした面はあるかもしれない。

また、俑の形が、兵士などから女性などに変わって行ったというのは、私がこれまで見てきた様々な博物館の展示でも見て取ることができる。いわれてみればその通りだ、という感じである。



「陶をもって政を知る」という諺がある。天下が安定した時代にはいい陶磁器が生まれる、という意味だ。(p.104)


陶磁器に限らず、「金のかかる造形芸術」は政治経済がそれなりに繁栄していなければ良い物は(少なくとも大量現象としては)作りえないように思う。

その最たるものは建築だろうけれども、彫刻や絵画などもこうした傾向があるように思われる。



 モンゴル族の支配した王朝である元時代は100年に足りない短い期間だが、中国陶器が世界的な広まりをもった時代である。宋代に活発にやきものをやきつづけた華北の諸窯が急激な衰退をみせた一方、陶磁貿易に大きな力をそそいだ龍泉窯や景徳鎮窯はいちじるしい発達をとげている。(p.181)


モンゴル帝国の時代は陶磁器に限らず、ユーラシア大の貿易が活発化した時代であり、ユーラシア世界がそれ以前には見られなかった規模と深さで結び付いていた時代であったように思われる。陶磁器についてもそれと同じ傾向が見られたようである。華北の窯が衰退し、長江以南の(海岸沿いとは言えないが、内陸というには海に近い地域の)窯が発達したのは、これらの商品が海運によって運ばれたことが表れているように思われる。



とりわけ康熙帝と乾隆帝はヨーロッパの科学、芸術に強い関心を持ち、雍正、乾隆帝が建てた北京郊外の離宮、円明園がその象徴である。ヨーロッパのバロック様式に中国趣味を加えた建築で、清朝皇帝のヨーロッパへの傾倒の深さがしのばれる。また乾隆帝は自らが書、絵画をものし、一種の美術コレクターとして宋代以来の書画、骨董の蒐集に力を入れた。清朝磁器の理解には、そうした背景を考えに入れなければならない。(p.189)



ヨーロッパにおけるシノワズリーに相当するような現象と言ってもよいだろうか?ヨーロッパと中国のいずれ社会においても、社会的上層部では相互に関心が高まっていたことだけは確かだといえそうである。


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