アヴェスターにはこう書いている?
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本山美彦 『金融権力――グローバル経済とリスク・ビジネス』(その1)

 銀行の仲介機能の衰えは、アジア通貨危機後、顕著になった。IMF統計によれば、世界の国内金融における銀行融資の全資金調達に占める比率は、1997~97年に52%であったが、2000~2001年には40%にまで下がった。他方で、国内起債は、5%から31%にまで急増している。アジア通貨危機が結果的に何をもたらしたのかは、この数値が如実に示している。格付け会社が欧米だけでなく、アジアや世界の新興市場に広汎に活動を展開するようになったのは、97年のアジア通貨危機以降である。格付け会社だけではない。アメリカの金融コンサルタント、アメリカの大手会計事務所、投資銀行、保険会社等々が相次いでアジアに進出してきた。これは、銀行という仲介機関を通す間接金融から、証券を機軸とする直接金融に金融システムが変えられてしまったことの帰結である。そして、これら各種金融機関は、「人脈」によって、相互に深く結ばれている。(p.6-7)


間接金融から直接金融へと金融システムが変えられることによって、アメリカの格付け会社やその他の金融機関が世界中(アジア)に進出したという構図は、世界経済を読み解く上で、かなり基本となる事実認識であるように思われる。



つまり、円を借りて、国際金融市場で運用する場がなくなったので、とりあえず円は返却しておこうというのが、このサブプライムローン危機の中での円高なのであって、けっして日本経済の先行きを楽観することから生じた円高ではない。(p.28)


それまでの政策のツケを払わされている面もあると言って良いだろう。これも小泉が首相だった時代、すなわち新自由主義的政策が行われた時代のツケということになるのではないか。



 1999年の「金融近代化法」によって、それまで「グラス=スティーガル法」(1933年)によって分離されていた銀行、証券、保険業務を傘下にもつことが許されるようになったアメリカの金融機関は、巨大なコングロマリットとなった。アメリカには、日本の天下りよりももっと壮大な権力機構を構成するシステムがある。金融界の大御所が財務長官になるのである。
 また、外国の企業がアメリカで上場する場合、会計監査業務のほぼすべてを握っている四大会計事務所に依頼せざるを得ない。重要な企業内情報はここでアメリカの会計事務所に筒抜けになる。そして、会計事務所の上級調査員が各種ファンドを設立する。会計事務所の幹部はアメリカ証券取引委員会(SEC)の幹部にもなる。格付け会社がこれに加わる。この格付け会社が企業の生殺与奪の力をもつ。ウォール街の証券会社やアナリスト、そして、法律事務所と政治家。こうした組織が結びついて、金融権力を構成している。構成しているだけではない。彼らの人脈は深くて広い。社会のあらゆる分野と結びつき、世界の重要人物との関係を彼らはつねに密接に維持している。こうした状況があるにもかかわらず、理論の世界で、金融人脈分析が行われることはほとんどなかった。財務諸表で公表されている数値だけが分析対象になっているに過ぎない。経済は生きた人間が動かしているという、明白な事実も顧みられることが少ない。(p.39-40)


ここに描かれている人脈の連鎖は恐るべきものである。



 格付け会社は、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の監視者としての役割をはたしてきたと言ったのが、ボブ・ウッドワードである。彼によれば、格付け会社は、執行役員制や社外重役制など、当時のクリントン政権が推奨するコーポレート・ガバナンスの実施状況を、格付けに反映させていたという。しかも、資金調達方法もチェックの対象であり、日本やドイツ企業のような間接金融に依存する企業の格付けは低くされた。格付けこそ、コーポレート・ガバナンスが、アメリカ流に正しく施行されているかのバロメーターとなっていたのである(Woodward[1994])。(p.43-44)


こうした格付け会社の持つ機能を本書はかなり重視しているが、私が本書から学んだことのうち最も大きなポイントの一つでもあった。



 「比較されたときの不満=相対的剥奪感」は、潜在的機能の代表例である。アメリカ軍の中で、空軍の将兵の昇進がもっとも早いという客観的な事実があるのに、昇進に対する将兵の不満は空軍でもっとも強いという調査結果がある。なまじ昇進が早いという現実があると、昇進に対する期待感が他の軍よりも大きくなる。このときに昇進が遅れると不満が非常に大きくなるというのである。期待の大きさに比べてそれが実現しないときの落胆が「相対的剥奪感」とされる。良い職場であるがゆえに、こうしたマイナスの不満を呼び起こしてしまう。これは「潜在的機能」の一つである。(p.65)


日本の人々の幸福感が諸外国と比べて低いという調査結果がよく新聞に出ることがあるが、これは世界第二位のGDPを持つという事実によって豊かな生活に対する期待感が他の国よりも大きくなるが、実際のところ1人当たりGDPではそれほど高いわけではないという現実によって、期待が裏切られた結果、「幸福感」が小さく生活に不満が感じられるということであるように思われる。

余談だが、最近起きた「政権交代」にも「相対的剥奪感」という潜在的機能があるように思われる。何ヶ月か後にどうなったか確認してみよう。まぁ、自民党があまりに酷かったので、民主党が多少ヘタレでも、それほど不満は高まらないかもしれないが。



 完全市場を前提にして、金融の自由化を声高に叫ぶ人は、歴史を規制と自由とのせめぎあいとして理解する人が多い。本書第四章3節で触れるミルトン・フリードマンをはじめとして新自由主義の提唱者には、権力が規制を求め、市場がそれを跳ね返して自由を獲得するという勧善懲悪劇のような歴史観を前提にものごとを説く人が多い。(p.101)


この馬鹿っぽい「市場=善、政府による規制=悪」という善悪二元論の世界観こそ、社会を理解しない一般の人間が安易に新自由主義に加担してしまう要因の一つである。

付け加えれば、「政府による規制=悪」と書いたが、「政府の活動=悪」とさらに拡大する方が正しいかもしれず、公務員バッシングはまさにこの世界観に基づくものであるということは指摘しておこう。そして、民主党が「脱官僚」を掲げ「政治主導」ということを言っているが、これもア・プリオリに「官僚が大きな力を持つこと=悪」としている点で同じ世界観に基づく発想であるということも指摘しておこう。ア・プリオリに前提していないのだとすれば、専門知識や政策や法務の蓄積を持つ官僚が権限を持つことの何が悪いのかを、まず先に微細なまでに提示してほしいものである。まぁ、これができる人間はほとんどいないと思うが。



 金融市場は、好調なときには政治権力を批判するが、苦境に立てば直ちに政治権力にすがる。しかし、自由化を進めるにせよ、救済を求めるにせよ、瞬時に政治権力の庇護を受ける体制作りに、金融界は余念がないのである。そして、自らが金融権力として市場に君臨する。(p.105)


極めて的確である!

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