アヴェスターにはこう書いている?
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内藤朝雄 『いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか』(その2)

 公私の峻別については、たとえば仕事や勉強をすること(公)と「仲良く」すること(私)を峻別する社会システムのなかで、はじめて個人の人格権が保障される。「仲良く」しなければ仕事や勉強にならない社会では、生きていくために「へつらう」、つまり上位者や有力なグループに自分の生のスタイルを引き渡さざるをえない。それに対して公私の明確な区別は、職務や認定試験の公的基準に達していれば、私的な感情を売り渡して「仲良く」しなくても、身の安全が保障されるという安心感を与える。この安全保障が、卑屈にならなくても生きていける人格権を保つ最低ラインだ。(p.210-211)


100%完全な線引きということは恐らく現実には困難があるし、それができるとしても全面的に望ましいとはいえないだろう。しかし、公的な領域が確保されない空間というものの息苦しさを、著者は的確に指摘している。



 教育用の特殊貨幣を、収入の多い人には少なく、収入の少ない人には多く配分すれば、教育に関する機会の平等を確保することができる。しかも学校に児童生徒を強制収容する囚人の平等とちがって、平等と自由が両立する。この収入に逆比例するバウチャー制は、教育の自由化と平等化の相乗効果を経済的に下支えする。(p.226)


私は基本的に教育のバウチャー制には懐疑的な立場であるが、収入に逆比例するというやり方にはかなり賛同できる。ただ、教育水準的にも所得水準的にも下層に属する人々というのは、物事を判断するための基本的な素養が少ない傾向が非常に強いという点を考慮すると、収入に逆比例するバウチャー制だけでは、まだ足りない。また、学校を選ぶことができる自由があっても、それぞれの学校には入ってみるまで本当に合うかどうかはわからないという選択における不確定性はあり、途中で抜けて外に移ることができるとしても、既に形成されたネットワークに新しく加入することと、最初からその構成メンバーとなることには違いがある。自分で選択できるということは基本的には良いことだと思うが、「絶対的な善」ではなく、「強制収容」にもそれなりに利点はあるように思う。時間がないのでこれは今は掘り下げない。


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