アヴェスターにはこう書いている?
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芦澤礼子 『我愛成都 中国四川省で日本語を教える』

 ヒロシマ・ナガサキについてはどう思っているのだろう。日本は加害者だから原爆を落とされて当然、あるいは原爆のおかげで戦争は終わったから良かったと考えているのだろうか。(p.41)


確かに気になるところではあるかもしれない。アメリカ政府の立場は引用文中の後者であるようだが。

中国で南京事件とか大戦中に侵略したことについて聞かれることはたまにあるし、話をしなければならないこともたまにあるが、次からは聞かれたことに答える代わりに相手方には上述の質問を投げかけてみることにしよう。

とはいえ、「日本」に対する中国国内での関心が、ここ1,2年くらいの間に急速に低下しているように感じられるので、今後は上記のようなことを質問されることも減っていくかもしれない。



七時から30分間の中央電視台ニュースは全国ネットだが、トップはいつも共産党首脳陣の動向。社会面的な記事はあまりやらない。海外ニュースも中国がらみのものが多いので、情報量は少ない。(p.57)


これは1994年の日記的な叙述の部分だが、基本的な傾向としては変わっていなさそうな気がする。「社会面的な記事はあまりやらない」と、ないものを明記している点は重要だ。変化があるかどうか、少し注意してみてみたい気がする。



 ただつくづく思うのは、中国では教育はすべて「国の発展に協力すべく為されるもの」だということ。鋭い批判力を持つ崔くんもこのことにはまったく疑問を持ってない。私は教育は個人の人格の育成と、人生を豊かにするためのものだと思っているから、「国家のため」というのはすごく違和感がある。
 それにしても、学部生・大学院生の作文や周さんとの会話は、この国の現在をくっきりと映し出してくれる。無邪気そのものの短大生と、しっかり考える学部生・大学院生。(p.64)


前段については、筆者の意見にかなり共感できる。中国では教育に限らず、何事も公の言説の中では「国家のため」という理由をつけて述べなければならないという圧力があるように思う。その結果、批判的な思考を展開すること自体が封じられている

中国の人々の個人個人の行動はどちらかというと「公共心に溢れる」ものというよりは、明らかに「利己的」なものがかなり多く見受けられるから、中国の人々が、皆いつも「国家のため」とばかり考えているとは言えない。(中国でしばしば見られる人びとのマナーの悪さや、狡賢い商売の蔓延などは、権力が恣意的に行使される傾向が高いこと、即ち、法が客観的に運用されないことに大きな要因があるというのが私の見方である。)にもかかわらず、「国家のため」という言説ばかりが個人からも発せられるのは、公共の場で本音を展開して述べたり、それを耳にすることもなく、さらに外国語で話すという微妙なニュアンスの伝えにくい場合には、余計に本音が出てきにくいため、当たり障りのないありきたりの言説を流用せざるをえないのではなかろうか。

ただ、筆者の意見とは異なり、義務教育などの教育制度というものは、そもそも人道的な目的というよりは、政府の都合のために作られた側面は否定できず、カリキュラムや共通語(標準語)の設定などを通して、ナショナリズムを半ば自動的に形成してしまう側面も持っているということについては、冷静に見て取る必要があるとも思う。その上で、義務教育を通して形成されてしまうナショナリズムが極力、教育を受ける側にとって中心的な考え方になり得ないように、例えば、より普遍的な人権や個人の尊厳などの考え方を修得できるように行われることが重要なのだと私は考える。

後段の無邪気な短大生と考える大学生という図式は、学生の家庭環境、つまり出自の社会層のあり方を反映しているように思われる。後者はエリートとしての意識をある程度持っている家庭・社会層の出身であることが反映しているのではないか。恐らく「80后」世代では大学生でもそこまでのエリートではない人も多く出てきているはずなので、この辺の意識は(短大生ではなく)大学生の方でかなり変わってきていると予想される。



 授業が終わっても毎日補修授業です。これは生徒の親から毎月15元納めてもらってやっているのです。半分は学校の、半分は教師の収入になります。でも、私は小学生に補習なんてする必要ないと思うんです。しかし、中国では教育の予算が少ないから、学校にお金がありません。今、政府はこういう補習を禁止していますが、どの学校もまだやってますよ。お菓子代も親が出します。お菓子は学校の付属の工場で作るんです。これもいくらか教師の収入になります。お金を集めるのも教師の仕事だからたいへんです。
 教師の仕事はとても忙しいのに給料は低いんです。ひと月で200元、補習授業やらお菓子代やらを含めてもやっと300元です。農村の学校はもっとひどいんです。農村はお金がないから、ある四川の農村では教師の給料が半年間も未払いになっているんです。だから、そこの先生はストライキしています。これは四川だけじゃなくて、全国の農村にあることです。(p.110)


これは90年代初頭の中国の状況だが、過去の中国の教育を見ていると、未来の日本の教育の状況に見えてくるから不思議である。

「民営化」とか「経営の自由化」といったことを教育の分野で行うと、どうしてもこういうことになっていくだろう。最近は選挙の際の人気取り政策として「子育て支援」ということが各党で言われているが、「子ども手当て」のようなものを個人に配るより、学費を完全無償化に近づけていく、それも高等教育でもそのようにしていくということが必要である。ひと月数万円の金が親の手に入っても、教育のために使われる額なんてほとんどない。その分の額を子どもの将来の学費(高等教育すなわち、高校や大学の学費)として貯蓄するというのが「正しい使い方」ということになるが、別のことに使われるというのは、目に見えている。(そうした個人向けの補助金は半分くらいは別のことに使われると言われているそうだ。)

ついでだから時事ネタに脱線するが、この点では私は民主党の政策には反対である。というか、残念ながら今回の総選挙では民主党の政策にはまともなものはあまりない、というのが私の見方である。自公には退場してもらうしかないが、民主党も全然ダメであり、他の野党は選挙制度の弊害によって権力を奪われているため、何を訴えようとも主たる権力行使主体になりえないため、まともな選択肢は一つもないという政治的貧困状態に陥っているのが、日本の政治の現状である。まずは小選挙区制度を廃止しない限り、この隘路から抜け出ることはできないだろう。

しかし、一度作られた小選挙区制は大政党に有利であるため、ここで権力を手にした大政党が自らそれを放棄しようとするインセンティブは小さく、改革が難しいというジレンマがある。よって、小選挙区制の弊害が大きいという世論が高まることが必要だが、そのためには政党が期待できない以上、権力の監視を役割の一つとするマスメディアの良識が必要とされているように思われる。残念ながら、現在は目先の選挙結果などに関心が向いているようで、全然そうした批判的な視点からの報道は目にしないのが残念である。選挙後にでも出てくることを期待したい。まぁ、当面は無理かな、という気がしているが。



 成都は展覧館(毛沢東像)を中心に同心円状に一環路、二環路があるが、私が1994年に初めて成都に来たときは二環路は完成して間もないころで、その外側はほとんど畑だった。今や畑はほとんど消え失せている。集合住宅や郊外型レストランが建ち並び、「○○花園」などと書いてあるところは、必ず高級マンション。今回買った最新版の地図を見てみたら、六年前には影も形もなかった「三環路」が出現していて驚いた。市街地の面積は90年代に倍以上になったというから、急速な都市化に目が回りそうだ。(p.125-126)


都市化は、市街地の拡大という文字通り目に見える形で進んでいるわけだ。



 成都の食べ物といえば、唐辛子味で有名。これは、盆地で湿気が多く夏が暑かったため、風土病を防ぐためと言われている。特に有名なのは「火鍋」と「小吃」だ。(p.150)


四川料理の辛さは、こうした風土との関係から編み出されてきたというわけか。


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