アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

高田明典 『難解な本を読む技術』

 教養としてその思想を理解したいのであれば、翻訳でほとんど何の問題もないはずです。私たちが使っている言語は、実は極めて曖昧なものであり、多少の誤解をあらかじめ想定しながら、私たちはコミュニケーションを行っています。翻訳の問題も言語の曖昧性の範疇にあります。(p.15)


概ね同意する。専門書を読んだ人が書いた解説と自分が翻訳を読んで読み取ったものがほとんど違いがないということは往々にしてあるとすれば、翻訳によって大まかな理解は十分できたということであると言っても大きく間違ってはいないはずである。

ただ、翻訳書を読むときは、キー概念くらいは原語で押さえておいた方がよいとも思う。たえず原語を透かして見ながら翻訳を読む。私の場合は英語かドイツ語が原語の本を読む場合はそうしたことを心がけている。フランス語の場合は、そもそもフランス語がわからないので無理であるため、若干、理解しにくいと感じることが多い。



 「開いている」本を読み進めるとき、私たちは少しイライラする感覚を覚えることがあります。それは、前述のように読者に対して、思考のための素地を提供することに主眼をおき、著者自らの思考や論理が強制されることのないように注意が払われていることによります。・・・(中略)・・・。そのような本を読むと、「で、何なの?」という印象を持ったりします。つまり、その「で、何なの?」という問いに対しての答えを、読者自らが創出することを想定して書かれている本が「開いている」本です。(p.19)


こういう本があるということを意識させる上ではこの「開いている」本という概念は有用だと思う。

ただ、本書ではこうしたタイプの本をどちらかというと高く評価する傾向があるのは気になる。

こういうことは、小説や文学などでやれば良いことであって、「思想」でやる必要はないというのが私の考えである。思想の本で他人に考えさせることを主眼に置く必要はない。明確な主張があっても、それに従うことはしないのが思想の本を読む人間がやることだからであり、著者が明確な主張をしても「そんなことないだろう」と批判的に取り組みながら思考を展開させるというのは、誰しもやっていることではないだろうか?むしろ、思想の本が「開いている」と、著者は読者からの直接の批判を免れることができ、対決から逃げることになる。



ここでも重要なのは、「自分の目的」もしくは「自分がどこまで理解したいと考えているのか」ということをしっかりと自覚して読み進んでいくということです。(p.70)


この辺は「読書論」の本なら必ずというほど書いていることだろう。



さらに言えば、質問をするというのは、その相手を判断するための最もよい方法です。繰り返しますが、わかっている人間に質問しなければ、有効な答えは返ってきません。当たり前のことです。そして、一般に「わかっている」とは、その「わかっている」ことを「使っている」人間のことです。(p.103)


使うことができるということと、説明することができるということは、次元が異なる話なんだが(著者もこの直後にそれについて断っている)、大雑把に言えば、ここで述べられているような考え方も役立つだろう。

要するに、質問するならその知識を「使っている人」の中で「説明できる人」に質問しないとダメということだ。しかし、私としては「使っている」が「説明できない人」からは、言葉以外の方法で「知識」を習得できるとも考える。そして、そっちの方が実は結構重要なことが多かったりするような気がするのだが、「思想」を念頭においている本書ではそれは語られない。これはまさに、いわゆる「現代思想」が陥っているのと同じ盲点である。



「できる人間ほど、やっているところを見せる」というのが鉄則です。(p.104)


なるほど。まぁ、「能ある鷹は爪を隠す」とも言うけれども、質問相手として「見つけやすい」のは、やっているのを見せている人だとは思う。



フロイトの思想のうちでラカンやジジェクがことさらにこだわるのは、フロイトの「自我」についての思想であり、「私」がいかにして成立(発生)するのかということである。つまり、それこそが、フロイトが現代思想につながるポイントであるとも言える。(p.205)


本書におけるフロイト思想の現代的意義についての簡単なスケッチは、なかなか的確なように思われて参考になった。まぁ、現代思想が言説の範囲内で動いている限り、この問題(自我など「何ものかの生成や同一性がいかに可能か」という問題)は決して解決されないだろう、とだけは言っておくことにしようか。「システムの作動」を捉えない限り、この問題は解決できないだろう、とも。

スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/568-8971e649
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)