アヴェスターにはこう書いている?
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張承志 『紅衛兵の時代』

 学問の問題はひとまず落ち着いたが、多分その頃から青春が忍び足でやってきたのだろう。私はそれをはっきりと意識してはいなかったが、精神的な欲求が自分のなかで強まっているのを感じた。クラスにも、学校全体にも、このような欲求の高まりがあった。精華付中の生徒たちは、学業によって押さえつけられてはいなかった。とりわけ高校生の間には、政治的理想を追い求める一つの潮流が、ひたひたと押し寄せつつあったのである。(p.15)


これは60年代前半のことだが、中国でこの時代に理想主義が流行しつつあったことには複数の要因があるように思われるが、客観的および言葉の正しい意味で「批判的」な情報が少なかったことも、その一つではなかろうか。様々な出来事の帰結を第三者的に特定の利害から離れて冷静に記述する情報が少ない場合、行為の結果は顧慮されないことになる。これは行為の動機の重視に繋がり、信条倫理が主流となりやすくなるのではないか。

もちろん、信条倫理は(責任倫理と比べて)暴力を容認しやすいということは、ここに付け加えておこう。



 いま真面目という言葉を使ったが、中国語で「朴実」と書くこの言葉は、当時の私たちの判断の基準となっていた。つまり「朴実」か「不朴実」かで同級生を評価し、友人を選ぶ。これがだんだんと派閥感情を形成し、そのグループがのちに高校二年になっての紅衛兵グループに結びついていくことになる。(p.17)


理想主義が求めがちなものである「純粋さ」とは、常に「不純」なものの排除の上に成り立つものである。純粋であることは、本質的ないし絶対的に排除の論理と切っても切れないものなのである。ここでも真面目か不真面目かというやり方で、その排除の論理が表面化されている。

実際問題として、当時の中国社会に理想主義が蔓延していたのは、問題の所在は明示できないが何かがおかしいという感覚が人々の間で共有されており、どこかに「不純なもの」を見つけ出し、おかしな世の中にあっても自分は「正しい側にいる」ということを確認したい欲求が生じていたからではないだろうか。

だとすれば、90年代以降の日本の状況と文革前から文革までの時期の中国の状況とはかなり似たところがあると言えよう。



文化大革命が白熱化したのちに不幸な目に会った人々と対面すると、こういう才華あふれる文章は偉大であるからこそ罪深いと私は感じる。(p.72)


偉大であるという判断は信条倫理的になされ、罪深いという判断は責任倫理的になされている。しかし、全体的に真雨林理の色彩が濃厚である。



 私たち精華付中紅衛兵も、毛沢東主席が真面目に書いてくれたこの手紙に実用主義的に対応した。なぜなら、紅衛兵の前途はすでに中国特権階級の利益と離れ難くからみ合っていたからだ。全人類を解放し、自分に反対した人々と団結することは、事実上自分たちの利益を放棄することであった。
 われわれはすでに全国公認の左派組織であった。全国でまき起こっていた思潮は共産主義の赤色血統論であった。「血統論」とは、この世で血縁関係だけを認めようとする思想である。それはどこにでも存在しているが、古代封建の中国ではとくに目立っていた。こういう思想が社会主義時代の中国で、赤色の看板を掲げて大きく膨張してきた。出身家庭が文化大革命初期に突然、人間を判断する唯一の基準に変わったのだ。われわれは、血統論がもたらし、いながらにして手にすることができる、この自明の巨大な利益を放棄できるだろうか?ゼロの地点にもどって、犬っころ同然の普通の学生、生徒になることができるだろうか?
 精華付中紅衛兵はこのように鋭く自らに問いかけることができなかったのだ。(p.87-88)


紅衛兵だった著者の反省ないし自己批判が含まれている。しかし、そのような反省・自己批判がある程度異常の規模のグループで成立することはまずありえない。彼らはすでに強力な権力が発生してしまった磁場に取り込まれていたのである。



 60年代の中国は、すでに大爆発の潜在的条件を備えていた。多くの中国人が望んでいたのは一つのことだった。つまり、雲の上で威張り返っている官僚の頭を下げさせ、不公平極まる特権をぶちこわし、皇帝を馬から引きずり下ろすことだった。(p.187)


このあたりこそ、90年代以降の日本と中国の文革時代の最大の類似点かもしれない。



 熱情を持って生活する人には、必ず収穫がある。このことを私は学びとった。(p.195)


良い言葉である。『職業としての学問』でマックス・ウェーバーが述べた、あるフレーズを髣髴とさせる。

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