アヴェスターにはこう書いている?
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星野博美 『愚か者、中国をゆく』(その2)

 日常を引きずったまま、まるで日常から旅空間へワープしたように、何の苦労も懸念もなく旅先に到達できれば――たとえばツアーに参加するとか、専属の通訳やガイドがつくとかして、何の心配もなくたびを続けられる状態であれば――、感動できやすい。なぜならそういう状況では、自分が属する日常と旅先の風景や異文化との差異がより際立つからだ。少々意地悪な言い方をすれば、そういう状況下では、さして感動するようなことではないことに、たやすく感動できるともいえる。
 ……(中略)……
 一生懸命がんばって現地の価値観に慣れようとすると、日常と異文化との差異が狭まる。そしてそのことが、無邪気な感動を妨げてしまう。
 観光して感動するというのは、実はとっても難しいことだったのだ。
 つまり、こういうこと?真面目にがんばって旅をすればするほど、この先ますます感動できなくなるということか?(p.206-207)


そうだろうか?現地の価値観に慣れようとすると、感動が妨げられるだろうか?私の意見は異なる。「現地の価値観」を体得すればするほど、感動は増すのではないか?(ここで言う「現地の価値観」とは、歴史的知識等も含めた、かなり広い意味で用いることにする。)

例えば、ゴシックの教会堂を見るとして、「現地の価値観」を体得すれば、その建築の歴史的意味や細部の装飾の意味なども見れば分かるということになる。何も分からずに見に行く旅行者が特にパックツアーなどの参加者には結構多いと思うが、彼らは例えばパリのノートルダムを見るとき何分見るだろうか?15~30分の間だろう。そして、大抵は「へぇ~大きいなぁ」で終わる。私なら2時間はかけるし、それがゴシック建築の中でどのような位置付けになるだろうかと考えならが細部まで見る。(もっとも、あの聖堂は観光客でごった返しているので落ち着いて見られないが…。)

現地の人たちだって、無関心な人も多いだろうが、全く遠く離れた地域よりは見方や歴史的意味やどこから見ると美しいかといった知識などを持っていることが多いはずであり、それを自然なこととして体得しているはずである。外部からの旅行者(十何年も定住しているような人でない限り)は、その価値観にどこまで肉薄しようとも、外部の視点を容易に導入できる立場であるが故に、その価値観と同化し、血肉化すればするほど感動しやすいはずである。

いわゆる発展途上国と呼ばれるような国々については、確かに現地の貧しさなどが、旅行者にある種の感動を引き起こすこともあるが、それとて現地の人の価値観と同化し、それを普通のこととして受け取ったとしても、外部の世界を知っている人間である限りは、別の視点を導入してそれを相対化することができる。そうした視点の自由度があるかどうかが、感動できるかどうかを決める重要な要因の一つではなかろうか?この箇所で提示されている見方は、そうするだけの余力がない場合のものでしかないように思われる。



 旅というのは、どこまで足を延ばしたとしても、目的地には何もないのかもしれない。心の底から魂を揺さぶられるような感動や、自分の将来に何らかの啓示を与えてくれるような衝撃的な出来事などを旅に求めたら、一生旅から戻って来られなくなるかもしれない。そんなものは、旅先にごろごろ転がっているようなものじゃないんだ。(p.216)


旅先というのは、旅先の住人にとっては「タダの自分が住んでいるところ」でしかないのだから、そりゃそうだろう。

過度な感動や冒険を求めるロマン主義的な旅行は不満に終わることが多いのではないだろうか。



 こんなにすいているというのに、なぜ切符は依然として手に入らないのか?(p.226)


こうした不条理ないし非合理性は、本書のテーマの一つであるように思われる。



 自由旅行と帝国主義は紙一重。バックパッカーはさしずめ、平和的な帝国主義者なのである。(p.260)


なかなか興味深い箇所。バックパッカーのような自由旅行ができるということは、帝国主義側のような豊かな地域の人でなければならないし、帝国主義は(特に支配する側について)ヒト・モノ・カネの自由な移動を推奨する傾向があるから、帝国主義的な政策の結果として自由旅行者が登場できるという側面もある。また、帝国主義者と一部のバックパッカーが共有しているであろうオリエンタリズムなど、いろいろと共通点を見つけることは容易であり、本書の指摘はなるほどと思わせるものがある。

しかし、バックパッカーは帝国主義者そのものではなく、帝国主義的な政策によって世界が改造されることによって出現できるようになった種類の人々だというだけである。バックパッカーが存在することによって、(帰国後に自らの経験を人々に語ることによって)オリエンタリズムを強化する可能性は否定できないものの、それ以外の点では特に帝国主義を推し進めるものとは言えないように思われる。(実際、相対的に豊かな地域の住人が相対的に貧しい地域に出向いて外貨を落としていくのだから、世界的な所得再分配すら行っているのである。)

引用された言葉は、レトリックとしてはよくできているが、現象の表層だけを的確に表現する言葉にはある種の危険が付きまとうということは一言言っておきたい。



 すいているバスに乗ってはならない、という教訓もこの時教えられた。日本で常に、できるだけ好いている交通機関を選択していた私にはまったく世界の逆転だった。
 中国ではできだけ混んでいるバスに乗るべきである。なぜなら、おおかた客で埋まったバスはじきに出発するからだ。一方、すいているバスは混みあうまではけっして発車しないから、埋まるまでいつまででも待たされる。もしもそのバスがいつまでたっても埋まらないとしたら、自分だけが知らず、付近の住民たちには知れ渡っている重大な欠陥が隠されている可能性もある。(p.301)


この指摘は正しいと思う。



 いまあなたが使っているトイレットペーパーとは、トイレで使う紙というより、水に溶ける紙、科学技術の粋を極めた紙である。世界じゅうのどこを旅行しても痛感するのは、日本のトイレの清潔さと、それに輪をかけたトイレットペーパーの質のよさだ。水洗トイレは、水に溶ける紙があってこそ、詰まらせずに快適に使用することができる。日本では、水洗トイレとトイレットペーパーが同時に切磋琢磨して進化してきたことを、ここで認識してもらいたい。(p.309)


日本のトイレ事情のすばらしさは私も世界を旅して痛感するところであり、トイレットペーパーの質の高さは確かに世界一じゃないかと思うくらい優れていると思う。柔らかくて水に溶けるという点が特に優れたところである。便座についてもウォシュレットや温かい便座など快適に使用するための機能がかなり普通に標準装備されており、こうしたところは他国ではあまり見かけない。

なぜこのようになったのか、その理由については謎だが、今後、旅を続けながら考えてみたいと思う。

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