アヴェスターにはこう書いている?
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谷崎光 『北京大学てなもんや留学記』(その1)

コミュニケーションギャップって東西差より、その国の体制の差の方が大きいと思う。(p.35)


国の体制というより、情報の流通のあり方と情報・言論の自由度の違いが決定的だろう。それを決定する大きな要因のひとつが政治的な体制なわけである。



 どこの国でも多少の二枚舌はあろうが、これが生活全部、教育全部に沁みこんでいるのが中国。各大学にも、もちろん党の監視機関はある。
 自国礼賛を暗黙に強要する教師に囲まれ、評価してもらおうと遠慮しているうちにどこか中国に対する客観性を失っていくか、もしくはいろんな攻撃や葛藤に耐えかね、中国人の前では相手に「好听(聞こえのいい話)」しかしなくなる人もいる。
 特に日本人は、日本をけなせばけなすほど中国人にウケる。(p.38)


中国に限ったことではないが、中国の場合、こうした状況が内部に残っていながら、急速に国際的な地位を向上させているところが、周囲に脅威を感じさせるところであるように思われる。とりわけ日本の右翼(右翼的な考えの人々)が不安を感じているのはこの辺だろう。まぁ、彼らのメンタリティも民主的なものとは程遠いから、実は似たもの同士なのだが…。

ただ、教育・言論の状況に関して言えば、いわゆる「講壇禁欲」が守られていないどころか、政府(党)により積極的に「講壇禁欲」が禁止され、政府(党)に都合のよい方向に言論が方向づけられているということである。いわゆる理系的な学問ならば、これでも大した影響はないかもしれないが、人文・社会系の学問はこれでは国際的に通用するようなものは出てこないだろう。

逆説的に、政治的に特定の立場に偏りすぎているが故に、他のより自由な立場からは見えないようなものを見せる言説が登場することはありうるが、その立場自体は可変性が低いので、この手の発話者が持続的な影響を与えることは困難であり、短期的なインパクトを与える以上のことはできないだろう。



「ちがうよ。先生はその作品の価値も、君が取り上げた意味も全部わかっていると思うよ。でも政府が発禁と決めた本は、北京大学の教師としては教室では非難しなくてはいけない
「そんなもん?イマドキ?文革時代じゃあるまいし」(p.46)


「真理」に仕える教師ならば、政府が発禁と決めても自らの所信に基づいて評価・発言すべきなのだが、それができないのならば、学者などやっていてもしょうがないように思う。中国の教師達がこの本で言われるほどの状況に置かれているのかどうかは検証のしようがないが、こうした傾向があることにはあるのだろう。



 日本人からすると思いがけないことがこの建前に含まれていたりして、一度、
「一般の中国人の、中国メディアに対する信頼度はどのくらい?」
 と聞いたら、ふだんいっしょに共産党批判しているような子までが、新聞は読まないとか、君はどうしてそんな話題が好きなんだとか、何人もが言を左右にしてなかなか答えてくれなかった。(p.46)


興味深い質問である。メディアの自由堂が低い中東諸国と比べてロシアと中国は批判的である度合いが低いというのが私の感触である。

すなわち、中国やロシアと比べて、少なくとも同じくらいメディアの自由度は低いと思うのだが、中東の人々はそのことを明確に自覚していて、政府などに隠れて衛星放送の番組をみんなで見まくっているし、外国人と話をすれば、外国の話や外国人による物事に対する評価を聞きたがるが、ロシアや中国の人々はそこまで不信を抱いておらず、外国人から第三者としての意見を聞くというよりは、自分たちの意見が正しいと考える傾向が強いというのが私の観察した限りでの所見である。

だから、筆者が発した質問に対する中国の人々の「自己認識」には興味があるのだが、なかなか答えてくれないのか…。今度試してみようか。



 歴史問題は難しいし、各国人刷り込まれてきた情報も違う。
 が、公共の場でまともな議論ができないのは中国人学生だけである。韓国人も対日となるとヒートアップはするものの、まだ会話は成り立つ。が、中国人学生はただただ主張をくりかえし、そしてプライベートになるとまたころっと変わる。中国のこの世代は生まれてこのかた、一つの見方のみの情報を受けつづけてきたせいだと思う。(p.49)


私自身も中国の人に歴史問題を「吹っかけられて」似たような経験をしたことがある。

ここで述べられているような歴史問題に対する「中国人学生」の態度は、要するに、「知識」ではなく「信仰」を持っている場合に起こることである。教わった事柄を疑ったり、さらに別の角度から批判的に検討するということが許されないが故に、教わったことが客観的な知識となることができず、主観的な信仰箇条になってしまったのであろう。

ただ、私としてはこれが信仰箇条になるか知識になるかの程度に関しては中国の人の間でも個人差が結構あると思っている。ただ、全体的な傾向として、日本に関わる歴史問題に関しては、学校で教わった事柄が「信仰箇条」になっている度合いは他国と比較して著しく高いのは間違いないと思う。

こうした相手と友好的に交わり、摩擦を少なくするためには、思うに、真正面から歴史を検討するというよりは、それに触れないで済ますことであるように思われる。中長期的な視点を持って歴史を検討する作業を裏で交流しながら進めつつ、表では歴史には触れないで交流する(マイナスの情報が刷り込まれている相手にプラスの情報を与えていく)という二重の方向性が必要であるように思われる。



 みんなからどんな話題を振られても、何も答えなかった北朝鮮からの留学生は工学部へ進学していった。こういうおそらく軍事がらみの留学生もちらほらいて、理工大学に軍事レーダーの勉強に行くパキスタンの留学生なんかもいた。(p.50)


なるほどと思わされる。

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