アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

立岩真也、尾藤廣喜、岡本厚 『生存権 いまを生きるあなたに』(その2)
尾藤廣喜

そうすると、戦後の理想主義的な空気の中でかもしれませんが、「健康で文化的な」という文言があそこにぴしっとはまったことは、いま云々されている改憲論議のなかで、一字一句でも変えると大幅に崩れる可能性がありますね。(p.66)


これは尾藤氏の発言ではなく、インタビュアーの発言だが、同意見である。なお、「あそこ」とはもちろん憲法第25条第1項のことである。



それは、生存権の保障を分権化した場合にですよ、地方に財源がないということで、それで生存権の空洞化っていうのはあり得るわけなんで、私は地方自治の問題も実は二十五条と関連してるんだということを忘れちゃいかんと思うんですよね。あんまり言われてませんけど。自民党の案では、地方自治の条項の面で、そこが後退しているんです。(p.66-67)


これも同意見である。私は財政論議をする際に、地方政府への財源保障を確実に行ない、財政的に「地方分権」をすべきではないと、しばしば主張するのだが、それは尾藤氏とほぼ同様の問題意識を持っているからである。

特に福祉や社会保障の面に関しては、市町村レベルにかなりの事務が集中していると見ており、こうした財政的に自立できない小さな主体に福祉を委ねていることが、日本において福祉水準の低さが克服されない大きな構造的要因であると考える。

道州制の前に市町村合併が行われたことや三位一体の改革と称して地方交付税の削減――すなわち、地方間の再分配の縮小――が行われたことは記憶に新しいし、その弊害は現在もなお継続中である。

「地方分権」は未だに美名として使われているし、反対しにくい響きを未だに持っているかも知れないが、生存権の切り下げに直結する大問題であるということは銘記すべきである。



 この前も私は北九州市に行ってきて、福祉事務所の人たちと喧嘩してきたんですけど、そんな行政担当者、彼らはね、やっぱり保護を受けてる人たちを普通の市民と思っていないですよ。貧困層を市民と思っていないですよ。それは許せないです。だから権利もへったくれもなくて、窓口に来ても追い返す相手としか考えてないですよ。(p.73)


この批判は恐らく一理あるだろう。

ただ、私が別の本(『この国に生まれてよかったか 生活保護利用者438人 命の叫び』)で読んだところでは、地区担当員(生活保護ケースワーカー)には優しくしてもらっているという受給者のコメントも意外と多かったと記憶している(ブログには書いてないが)。

思うに、これらは両立しうる。窓口で追い返すのは、新たに申請しようとする人や受給中だが何か特別の需要が生じて一時扶助を申請しに来る人のことだろう。働くこともできなくてもうどうしようもなくなっている受給者に対しては、(一種の憐憫の情などがあるかどうかはわからないが)優しく接することが常態であるが、新たに金を引き出そうとすることに対しては警戒心が働くということは十分ありうるからである。

そして、ある「福祉川柳」で読んだことがあるが、「騙されても騙されても受給者の言葉を信じる」という主旨の川柳がどこかで紹介されていたのを見たことがある。裏を返せば、保護受給者がケースワーカーに対してどれほど多くの虚偽や隠蔽を行っているかということが推測される。上記のような申請(すなわち、金を引き出そうとする行為)の場こそ、嘘や隠蔽は行われるし、その意味も最大限に表れる場である。そうした行為が繰り返されるケースワーカーが受給者に対してある種の偏見を持つことは十分ありうることであろう。

生存権という権利擁護の制度であることから、証拠の提示を十分求めない法律構造になっていることや事務負担の重さがこうした事態の背景にはある。事務負担が減ってこれば、事後的に証拠の提示を求めるなどの手続きももっときちんと行うことができるはずである。そのためには人員を増やす必要があるが、実際に進んでいるのは受給者の増加に比べると担当者の増加は少ないというのが現実。

こうした背景のある行政担当者に対して、敵対的なスタンスを取ることは必ずしも得策ではない。行政担当者と受給者の不幸な関係に怒りを感じるのはわかるが、その背景にある要因を解明し、問題を除去するように働きかけることが学者の務めであろう。

実際、実務に携わっている人間を道徳的に責めたところで改善される見込みなどほとんどない。受給者の側にしても制度や運用が大きく変わらない限り、行政に対する姿勢には変わりは生じないだろう。制度や運用を変えることこそが問題である。厚生労働省の官僚や彼らに影響力を行使できる研究者らが、地方の現場の労働者(ワーカー)の意見や受給者の意見をどれだけ吸い上げられるのか、また、必要な財源をどれだけ確保できるのか、ということが課題であろう。


スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/548-b2d1f859
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)